モテる生徒のフラグの立て方
月曜日の朝。ホームルーム前の教室で、爽は自分の机に頬杖をつき、窓の外をぼんやり眺めていた。ガラス越しの住宅街は薄い朝靄に包まれ、通学路を行く自転車のベルが、ときおりかすかに響く。
土曜日の昼——校長たちと食事をしていた時に告げられた、いわばミッション。
——笹川絢音をアウトドア同好会に勧誘せよ。
そもそもどう切り出せばいいのか、見当がつかない。ため息がひとつ、またひとつ。丘の上の校舎から見える住宅街の向こうで、低いビルの列が陽に白く霞んでいる。空は澄んだ青で、綿菓子のような雲がゆっくりとかたちを変えていった。
「ほんとに、どうしよう……」
独り言が口の端から零れた、そのとき——
「溜息ばっかついてると、幸せにげちゃうぞー」
横から明るい声が飛び込み、爽は椅子をがたんと鳴らしてのけぞった。
「おはよっ! 爽くん!」
栗色のショートカットがひときわ軽く揺れる。笹川絢音だった。廊下から流れ込む風に、彼女の髪先が小さく踊る。
「お、おはよ……笹川さん」
「およっ、元気ないねー? どしたの?」
喉の奥で言葉がほどけて、また結び直される。言わないで笑ってごまかす——それもできる。けれど、それではあとで余計な誤解を招くかもしれない。生徒会の人間相手に曖昧な言い回しを重ねれば、余計に話がややこしくなるだけだ。ならば、短く、やわらかく。最初から事情を伝えたほうが早い。
爽は机の縁からそっと指を離し、ひとつだけ呼吸を整える。窓から入る風が、開いたノートの端をぱらりとめくった。
「実は——」
言葉の角を落としながら、土曜日のことをかいつまんで話す。校長と一緒に食事をしたこと。同好会の話題になったこと。名前を出されたのが彼女だったこと。強制ではないけれど、もし良かったら——そういう温度で伝える。
話しているあいだ、絢音は相槌をひとつも挟まず、まっすぐこちらを見ていた。笑っているのに、目の奥だけが静かだ。
「そゆことね」
小さく目を細めてから、彼女は言った。
「ごめん、その頼みは受けられないかな。生徒会、これから忙しくなっていくし……」
ことさらきつい言い方ではない。むしろ、やさしく置くような断り方だ。なのに、返ってきた言葉の表面はひんやりとしていて、爽の胸の中で小さく音を立てた。
「そっか……」
相変わらず絢音の笑顔はやわらかい。
でもどこか申し訳なさそうな雰囲気も相まって、ふたりの間には気まずい沈黙が落ちた。次の瞬間、それを打ち破るようにホームルームの予鈴が鳴る。
「もうすぐせんせー来ちゃうねっ。私、席戻る!」
「笹川さん!」
振り返った彼女に、爽は思わず声をかける。喉が乾いて、最初の一音が少し遅れた。
「もし、その……悩みとかあったら、相談、乗るから」
絢音は返事の代わりに、ふっと優しい笑みを浮かべた。声は出さない。そのまま席へ戻っていく。蛍光灯の白と朝の光が混ざる教室のざわめきに紛れて、その笑みの輪郭はすぐに薄れていった。
*
絢音にやんわり断られてから数時間後の昼休み。
廊下からは自販機のコインが落ちる乾いた音と、食堂の方角から立ちのぼる揚げ物の匂い、どこかのクラスの笑い声が流れ込んでくる。教室の窓は半分だけ開いていて、梅雨前の風はまだ爽やかで、カーテンの端を小さく揺らしていた。
「爽、飯行こうぜ!」
何も事情を知らないクラスメイトが、爽の机に両手をついて顔をぐいと近づける。下田陽介。金髪のツーブロックといういかつい見た目に、最初こそ爽は一歩引いた。けれど、提出物の締切を誰より先に確認していたり、掃除の時間に黙って箒を持つ横顔を見たりするうち、根っこの真面目さが分かってきた。気を張らずに話せる相手——気づけば、昼を共にすることが多い“友達”になっていた。
「うん、行こっか」
立ち上がると、椅子の脚が床を擦って短い音を立てる。視線の先、教室の扉の向こうに人影。廊下でこちらへ視線を寄こし、ポニーテールを揺らしながら手招きしている少女がいる。美鈴だ。同じサークルの仲間。蛍光灯の白に髪の毛先がきらりと光り、その掌の合図は“急ぎではないけれど、できれば今”と伝えてくる。
「ごめん。ちょっと別用できちゃったみたい」
「なんだよ、もしかしなくても彼女?」
「な、なんで断定ぎみ……違うよ」
爽が苦笑いを浮かべると、陽介は背中越しに親指を向けて、
「ポニテのあの子だろ? めっちゃ可愛いじゃん」
「彼女じゃないって。同じ……仲間、かな」
「部活? お前、部活入ってたっけ?」
「えっと……そのうち説明する」
陽介の軽口に、爽は曖昧に笑う。そして弁当袋を手にして、
「じゃあ、またあとで」
ふくれっ面の陽介に見送られながら、爽は美鈴のもとへ駆け寄った。
廊下のワックスと紙の匂いが混じった空気が、足もとでやわらかく揺れた気がした。
今日はなかなか時間が取れず、短めの物語になってしまいました。また来週末に執筆できるように頑張りますので、今週はこの辺でご容赦ください。
引き続き作品を楽しんでいただけたら嬉しいです。




