予算超過は、時間の問題
車で移動することおよそ五〇分。
貞夫の運転する車は、市のいちばん端――山と海に挟まれた沿岸部へと滑り込んだ。
そこにあったのは、白い小さな家のような建物。鮮やかな青のドアがひときわ目を引き、外壁には乾いた薪が規則正しく積まれている。まるでイタリアの海辺から切り取って置いたような一景――そんな佇まいに、美鈴が息を弾ませた。
「すごくおしゃれ!」
「久しぶりに来た。行きたいイタリアンって、ここだったんだね」
由奈も納得したようにうなずく。
「早速だけど入ろうか。ここはとにかく、ピザが美味しいんだ」
貞夫は言い、青いペンキの木製扉に手をかける。鈴がやわらかく鳴って、一行を迎え入れた。
*
店内は外観と響き合う、小洒落ていながら落ち着いた空気。
梁が縦横に走る天井、白壁と木目がつくる柔らかなコントラスト。素朴なテーブルと椅子。カウンター奥には色とりどりのカップとグラスが整然と並び、棚の小物からは店主の遊び心がのぞく。午後の光が大きな窓から差し、磨かれた天板に薄い光膜を落としていた。奥では薪窯がときおり乾いた音ではぜ、温かな匂いが波のように寄せてくる。
窓の外には小さなテラスと畑、その向こうに澄んだ青の日本海。きょうは空気がよく抜けているのか、水平線に佐渡島の影がくっきり浮かぶ。木の温もりに包まれてこの景色を眺めていると、世界が自分のためだけに設えられた舞台のように思えてしまう。
案内されたのは、窓際の六人掛け。
「すごく素敵……」と美鈴。
「校長先生って、やっぱりすごいんですね……」と爽も続く。
宏太は感想を飲み込み、静かに腰を下ろした。
「私も久しぶりに来たけど、やっぱり雰囲気いいね」
「由奈先生も来たことあるんですか?」
「小さいときにね。お父――校長先生が、よく家族で連れてきてくれたの」
「学外なら、いつもどおりでいいんじゃないかい?」
冗談か本気か読めない調子で貞夫が言うと、由奈は苦笑して首を振る。
「いやよ、生徒の前で恥ずかしいし。それに今日は一応、課外活動ですよね?」
「そ、そうだったね……。教師陣は気を引き締めようじゃないか」
貞夫はメニューを広げ、「さぁ、遠慮なく選びなさい」と気前よく促した。
爽はページを行き来しながら迷う。ピザ、サラダ、パスタ、肉料理――しゃれた名前がずらり。
「ここは何が美味しいんですか?」
「おすすめはやっぱりピザだね」
「め、メニュー名が分からない……」
困り顔の二人に、貞夫が助け舟を出す。
「とりあえずDOCは頼もう。ウエウエもいいね」
「でぃーおーしー? うえうえ?」
美鈴が首を傾げると、貞夫は苦笑交じりに説明した。
「DOCは、ちょっといい素材を使ったマルゲリータ。ウエウエはチーズベースで、オリーブやドライトマトがのるやつだね。どれも美味しいよ」
「そういえば今さらだけど、二人は苦手な食べ物は?」
「私はなんでも食べられます!」
「僕はパクチーとか、セロリとか以外なら……」
「なるほど、菅谷君は癖の強い葉物が苦手なんだね」
「分かる。俺もパクチーは苦手だわ」宏太が相槌を打つと、
「えぇ! あんなにおいしいのにっ!」と美鈴が身を乗り出す。
由奈がやわらかく笑って添える。
「糸川さん、エスニック系もいけるんだね」
「はい! タイ料理とか結構好きですよ!」
「僕はエスニックは得意じゃないけど、パクチーはタコスと相性がいいって聞いたよ。キャンプでタコス、面白いかもしれないね」
貞夫は自分の案を味わうように言葉を置いた。
「まさか、パクチー入り……?」と爽が眉を寄せると、
「いや、いろんな具材を用意して、その場で好きに包むのが醍醐味。トッピングにすればいいさ」
乗り気でない宏太と爽をよそに、
「いいですね! キャンプでタコス! やってみたいです」
と美鈴が目を輝かせ、由奈も「楽しそう。今度やってみよっか」と頷く。
「いつか、だな……。とりあえず注文しよう」
宏太の仕切りで、DOC、ウエウエに加え、チーズと蜂蜜のピザ、鶏ももとハラペーニョのピザ――合計四枚を頼んだ。
*
注文が済むと、宏太がふいに思い出したように爽へ向き直る。
「そういえば菅谷、昨日の放課後、笹川と何かあったか?」
「え、何がですか?」
「六時過ぎだったかな。笹川が、お前の腕につかまってたのを見たんだよ」
「笹川さんが?」「爽くんに?」
由奈の疑問と、美鈴のジトッとした視線が同時に刺さる。爽の手の内で、グラスの氷が小さく鳴った。
「い、いや……あのときは、やむを得ない事情があって……」
声が自然と細る。
「ふーん。否定はしないんだ。私と別れた直後にね。やっぱり爽くん、相変わらずモテモテだねー」
美鈴の追撃。含みのある響きに続いて、
「前の部活の時も、笹川さんのこと気にしてなかった? もしかして――」
由奈が事実を並べつつ、憶測に踏み込みかけた、その前に――
「違います! あれはただ、仕方なくというか……」
爽が割って入る。
「“仕方なく抱きつかれていた”か……。僕も一度くらいは言ってみたかったな」
校長の冗談で空気がわずかに揺れるが、美鈴の機嫌はまだ斜め。
由奈がクッションを入れる。
「そういえば笹川さんって、男の子からけっこうモテるって聞いたことあるよ」
「確かに、可愛いし明るいもんねー。さすが同好会の会長! テントもフラグも設営はお手の物だねっ!」
美鈴は満面の笑みで皮肉を投げる。
「だから違うって! 先輩に絡まれてて、たまたま僕が忘れ物を取りに行こうとしたら――巻き込まれただけです!」
「でも、なんで“腕をつかまれる”展開になるの?」
「それは……」
爽は観念して、昨日の出来事を順に語った。言葉を並べるあいだ、指先がテーブルの木目に小さな円を描く。
ひと通り話し終えると、貞夫が「なるほどねぇ」と頷く。
「なーんだ、そういうことだったんだ」
美鈴もつまらなそうにも聞こえる調子の奥で、ほんの少し肩の力を抜いた。
丁度そんなタイミングで、次々に注文していたピザが運ばれてくる。
王道のマルゲリータをより上質な材料で焼かれたDOCに、ドライトマトやオリーブの実といった鮮やかな具材がチーズの上で主張するウエウエ。 他に追加した2枚のピザがテーブルに並び、ひとまず5人はピザを思い思いに突っつき始めた。
そしていったん話題は目の前のピザへ移った。
薄い生地なのにしっかりとした焦げ目、香りの立ち方。トッピングの個性がそれぞれに主張しつつ、口中ではチーズがまとめ役を果たし、舌と腹をまっすぐ満たしていく。
皿が少しずつ空になり、枚数はどうやらちょうどよかったらしい。皆、程よい満足で背もたれに息を落とす。
「そういえば、さっきの続きなんだけどね」
貞夫は口元のソースをナプキンでそっと拭き、姿勢を正した。
「菅谷くん、糸川さん。二人に、いずれやってもらいたいことがあるってね」
「なんですか?」
「新しいメンバーを、早急に追加しないといけないんだ」
「早急に?」「追加?」と二人が交互に首を傾げる。
「実はこのサークル、今の規則上は“結成を認められない”状態なんだ」
「はっ?」「どういうこと?」
宏太と由奈の疑問の声に、
「さては、宏太君も由奈も生徒会会則を確認していないな」
貞夫は溜息交じりにジト目を二人に向けた。
教員として当然と言わんばかりのその視線に、二人は揃って明後日の方に視線を向ける。
貞夫は二人の様子に溜息を小さく漏らすと、
「本来サークル結成には、4つの条件を満たす必要があるんだ」
その4つの条件を説明し始めた。
一つ目は、生徒の自主性が優先されること。 これは少々怪しいところはあるが、最終的に爽と美鈴が自ら”アウトドア”というものに興味を示して身を置いている以上、今は条件を満たしているといっていいだろう。
二つ目は、生徒の個性と能力が発揮されること。 これはアウトドアを通じて自然に触れあい、今後様々な個性や能力の発見や育成が出来る見込みが高い。そのためこの条件もクリア。
三つ目は、学業に影響が出ないこと。 これは一応顧問の宏太が生徒二人を管理しているため、概ね問題なし。
そして最後の四つ目の条件は――、生徒の部員が3名以上であること。
この条件は、現状クリアしていない。
貞夫の説明に、
「でも、会長はあの時すぐ許可しましたよね?」
爽がふと疑問を浮かべる。
結成届を出したあの日の真鍋会長は、特に渋った様子を見せることなく素直に判を押したのだ。
これに貞夫は、
「事前に条件付きの取引をしていたんだ」
「取引?」
宏太が顔を引きつらせる。
「会長の真鍋君はパソコンに詳しくてね。生徒会の据え置きPCが古いと相談を受けていた。そこで、彼が望むスペックのPCを私が個人的に手配する代わりに、特例で認めてもらった。既製品じゃないぶん、納期も値も張ったけどね……」
正面の由奈が冷ややかに笑むと、貞夫の表情がわずかにこわばる。
爽が素朴な疑問を重ねた。
「でも、交渉はもう成立してるんですよね? なぜ急ぐ必要が?」
「会則未達のサークルを認可し続けるのは、校長の私が絡んでいても面倒が多い。買収まがいの真似までしたんだ、だからなおさらね」
「買収の自覚はあったんすね……」
宏太が呆れ混じりに突っ込む。
「だから、部員が三名に達するまでの間は、彼の望むPC部品や周辺機器をほぼ無条件で買いそろえる――という条件で暫定的に認められている」
「会長、意外とゲスいところあるんだな……」
宏太が苦笑し、少し引いた顔をする。
「まあまあ。本来は認められないサークルを作らせてもらっているんだ。とはいえ、私の財布は無限じゃない。早めに条件を達成したいのが本音だよ」
貞夫は少し言いにくそうにしながら続けた。
「だからこの際、とくに菅谷君には笹川さんを勧誘してもらうのも面白いと思ってね」
「えぇ……」
爽の顔に、呆れと困惑が同時に張り付く。
「でも確かに、いいアイデアかもしれない」
意外にも宏太が同意した。
「なんで!?」
美鈴が代わりに声を上げる。幸い、店内に他客はいない。
「笹川は、テストの件のあと“いつもどおり”に見える。でも昨日の菅谷との件もあるし、見えないところで気になる。なら、一緒にいる時間が増えたほうが、もし厄介な事情を抱えていても先に手を打てる」
「……それは、そうかもだけど」
煮え切らない表情のまま、美鈴はストローで水をぶくぶくさせる。小さな気泡が、言葉にならないもやもやを代弁した。
貞夫は困ったように笑い、すぐ真顔に戻る。
「宏太君も言ってくれたけど、私も笹川さんには同じ不安を感じる。だから菅谷君、君から少しアプローチしてみてほしい」
お願い、というより託す声色。昨日の一件が脳裏に浮かび、爽は背筋を正した。蔑ろにはできない。
「……分かりました。頑張ってみます」
爽は少し迷いながらーーでも確かにはっきりとした声音で答えた。
「話が“いい感じ”にまとまったみたいだけど――帰ったら、いろいろ聞かせてね。お・と・う・さ・ん?」
由奈が声色を変えずに圧を乗せる。
「はい……」
しゅんと答える貞夫。
「校長先生って、由奈先生にいつも負けっぱなしですね!」
美鈴がおどけると、貞夫は「参ったな」と苦笑い。肩が少し落ちた。
爽と美鈴、そして宏太も思わず笑い声を漏らした。
場が和んだと同時に、各々が食後の飲み物を追加して締めに入る。窓の外では潮風が畑を撫で、テラスに光の粒を散らしていた。
「そういえば、入り口にアイスありましたよねっ!」
美鈴が思い出したように声を上げ、由奈が間髪を入れず煽る。
「じゃあデザートは――校長のお金でアイスだぁ!」
「おぉー!」
美鈴が拳を天井へ突き上げる。
「ここ、現金しか使えないんだけどなぁ」
貞夫は苦笑しつつ、ポケットから分厚い長財布を取り出した。
その厚みを横目で確かめた宏太は、遠慮という文字をメニューに置き去りにして、この店のちょっといいイタリアンジェラートをダブルで注文したのだった。




