エピローグ ~結局問題は、終わらない~
――翌日の朝。
教室で一人眠気と戦いながら、美鈴は「ふぁーわ……」と小さくあくびを漏らした。
久しぶりに制服を着た身体の感覚に違和感を覚えつつ、半分閉じた目でカバンから筆記用具を探る。
(流石に疲れたかも……)
机にいつものシャーペンと消しゴムを置きながら、ふと二日間のキャンプでの出来事を思い出す。
半ば強引に絢音を連れ出してから、苦労して作ったオリジナルのスプーンに、本格的でおいしかった校長手製の晩御飯。
途中から調子づいた絢音が、爽にちょっかいをかけ始めるようになったのは解せないけど、最終的に事を荒立てることなくキャンプを終えられたのは、紛れもなく校長の機転のおかげだろう。
(色々あったけど、楽しかったな)
フッと笑みを浮かべたまま、美鈴はカバンを机の横にかけた。
――その時、
「みーすーずぅーちゃーんっ!」
「うわぁっ!?」
突然背後から、最近聞き覚えのある声と共に抱き着かれる。
背中に密着してくる感触。その犯人は、爽と同じクラスの少女――笹川絢音だった。
「おっはよー!」
「アヤっ!? いきなりなにっ!?」
「ん? なにって、朝の挨拶じゃん!」
キョトンと当然のように言う絢音に、
「朝のあいさつで抱き着くことないでしょ!?」
「えぇー? 一緒にお泊りした仲なのにぃー?」
「それとこれとは別っ!!」
「美鈴ちゃん、やっぱり面白ーいっ!」
絢音は回した腕に少し力を込め、美鈴の逃げ道を塞ぐ。
「アヤ……っ、いい加減にっ……!」
妙に主張の強いその感触に、美鈴は涙目で抗議の声を上げようとしたその時、
「お、おはよう……、二人とも」
おずおずとアウトドアサークルの部長――菅谷 爽が入りづらそうな表情で二人に声をかけてきた。
傍から見れば、美少女二人が仲睦まじそうにじゃれ合っている平和な光景――だがある程度事情を知っている爽からしてみれば、同じ部活の仲間が、無駄にテンションの高いクラスメイトに捕まっている光景そのものだった。
そんな爽の心配などどこ吹く風で、
「おっ! 爽くんもおっはよー!」
「爽くん! 助けてよっ!」
絢音らしい元気な挨拶に続いて、美鈴は爽に抗議の声を漏らす。
「いや、その……、うん……。やっぱ仲、良さそうだね……」
「でっしょーうっ?」
「よくないっ!!」
ひとまず客観的な意見を口にした爽に、絢音と美鈴は真逆の答えを返す。
だがその様子に爽は自然と、「ぷっ」と笑いをこらえると、
「とりあえず僕、お邪魔みたいだから先行くね……」
言いながら自分の教室へと廊下に戻っていく。
「また後でねー!」
「あっ! ちょっと!! 爽くん逃げるなぁー!」
背後の教室は、相変わらず朝から賑やかだった。
とはいえ、周りの生徒から感じる視線に、爽は気まずさに耐えられず、足早に自分の教室へと滑り込ませた。
「ふぅ……」
ようやく一息つくと、爽は自分の席に向かいながら、心の中でふと思う。
(ほんとに、よかった……)
一時はどうなるかと不安も多かったけど、昨日までのキャンプで絢音の闇はだいぶ薄まったように感じる。
――だけど……。
問題の本質は、まだ終わっていない。
絢音の父親は相変わらず気難しそうなままで、無断で絢音をキャンプに連れ出した問題は有耶無耶になったままだ。
(けど、何とかなる、のかな……)
根拠はない。
だけど昨日の病室のやり取りを目の当たりにして、爽はひとつだけ確信していた。
(僕が出来ることは、もう終わったしね)
絢音は既に、両親と向き合う覚悟が出来ている。
絢音の母親に至っては、扱いづらい絢音の父親に対して、いつの間にか上手くいなす術を習得し始めているようだった。
それに何より――、
(何かあっても、先生たちがいるしね)
そんな漠然とした安心感が、爽の心の中で確かに根付き始めていたのだった。
*
美鈴と絢音がじゃれ合っていたその頃。
「あぁ…………、疲れた」
宏太は教務室の自席で項垂れるように、抜け切れていない疲労感に苛まれていた。
週初めの慌ただしさに、何とか身体のエンジンをかけようとする宏太だが――、
「はぁ……」
そんな気が抜けた声を漏らすばかりで、脳の命令を身体が受理しないまま、時間ばかりが過ぎ去っていた。
(いい加減、動かねぇとなぁ……)
心の内で何度目かの決意を固めていると、
「おはよ、コウ君」
昨日も顔を合わせていた一つ年下の同僚――長瀬 由奈がいつも通り教務室に入ってきた。
「だから、コウ君いうな……」
「お疲れみたいだね」
力なく返す宏太のその様子に、由奈はいつもの柔らかな笑みを浮かべながら、自席に腰を下ろす。
「あぁ……、流石にずっと気ぃ張ってれば、疲れるだろ……」
ようやく重い上体を上げながら、宏太は背もたれに身体を預けると、
「つかなんでお前は、そんないつもの調子でいれるんだよ……」
「ん? ちゃんと寝て起きれば、大抵の疲れなんて飛んでっちゃうじゃん」
さも当然と言わんばかりに、いつも通りの調子でカバンから道具を取り出す由奈に対して、
「ま、マジっすか……」
宏太も渋々、朝礼の準備を再開した。
「そんなことより、絢音ちゃんのフォロー、ちゃんとお願いね?」
「あぁ?」
「少なくても今日の放課後までには、彼女と面談しなきゃ。あの後のご家族との話も気になるでしょ?」
「代わりに任せちゃダメか……?」
「だぁーめっ、私もちゃんと同席するから、終わったら校長に報告ね?」
担任の宏太よりよほど教師らしく、由奈は念を押してきた。
「あいあいさーっと……」
宏太は力の無い声で、とりあえず由奈のご機嫌を損ねないように肯定だけしておく。
ともあれいずれにせよ、絢音のフォローは避けられないと分かっていた宏太は、深いため息を吐きながらいつものタブレットを手に取った。
するとその時、教務室の電話の音が響いた。
いつもの調子で由奈が外線を取ると程なくして、
「コウ君、田上さんのお母さんから」
「……マジか……、あの母ちゃんかよ……」
朝から一番相手にしたくない相手からの電話に、宏太は眉をひそめながら受話器をとる。
「お電話代わりました、新田です」
『もしもし! 田上 真の母ですけどッ!!』
「おはようございます」
『あのね、単刀直入に聞くけど――』
朝からキーキーと耳をつんざくような声に、宏太は受話器のボリュームを下げる。
鼓膜を労わりつつ要件を待っていると、
『真ちゃんのクラスに、”笹川 絢音"って子いるのよね?』
思わぬ人物の口から、聞き馴染みのある名前が飛び出した。
宏太はいきなり浮上した絢音の名前に、胸を掴まれたような感覚を覚えつつも、
「い、居ますけど……」
『そう……、なら話が早いわ』
嫌な予感に喉が詰まりながら、宏太は再び相手の出方を待ち続ける。
そしてその直後、飛んできたのは――、
『私の息子、その”笹川”さんって子にいじめられていたらしいの。もうこればかりは流石に黙っていられないから、この件は教育委員会に訴えさせてもらうわ』
「…………は?」
――笹川さん。いじめ。教育委員会。そして、訴え。
どれも単語としてしか入ってこず、宏太は言葉を失う。
ギャーギャーと何かを言っていた気もするが、宏太が適当に相槌を返していると、
――ガチャ!!
通話が途切れ、ツーツーという電子音だけが規則的に残った。
受話器を手に取ったまま、しばらく固まる宏太の様子に、
「だ、大丈夫……?」
由奈は不安そうな表情で、言いながら宏太の引きつった顔色を見守っている。
だが一方で、
「マジ……すか……」
さらなる波乱を予感して、宏太は顔を引きつらせるのだった。
ー終わりー
最後まで読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございました。
第2話に相当するこのエピソードたちも、無事に一つの山場を終えることが出来ました。
エピローグの最後の展開からお察しのとおり、この物語はあくまで”絢音”を軸とするストーリーが一区切りがついただけで、宏太たちの試練は続いていきます。
また、次の第3話については、明日の1月18日、お昼過ぎを目途に新しい作品という形で公開予定ですので、引き続き楽しみにしていただけたら嬉しいです。
この物語は突発的に書き始めたものですが、すっかり私の中でこのキャラクターたちとの日々が生活の一部になってしまいました。
今後も一週間に一話の更新ペースを目指して頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。




