こうして彼女は、決別した
「新田せんせー!」
美鈴がロビーに入ると、そこには一足早く到着していた宏太と絢音、そして美鈴の父親が既に待っていた。
白衣姿の父親を見つけた瞬間、美鈴が彼のすぐ近くまで駆け寄ると、
「まさか、こんな形で帰ってくるとは思わなかったよ」
「えへへっ、ただいま!」
「ここは家じゃないんだけどねぇ……。とりあえずお帰り、みんな無事そうで何よりだよ」
言いながら美鈴の父親は、美鈴の頭を優しく撫でる。
遅れて絢音の母親が近づくと、
「あの、この度はご迷惑をおかけしまして……」
「いえ、とんでもない。……貴女が笹川さんの、奥様、でお間違いないでしょうか?」
「はい、そうです」
「そうでしたか。私は外科医をしております、糸川と申します。旦那様の主治医は別の者なのですが、娘と学校の方がいらっしゃると耳にしましてね。抜け出してきちゃいました」
美鈴の父親は頭を軽く掻きながら、気さくにそんな冗談を口にする。
するとさらに少し間を置いて、
「糸川さん、お久しぶりです」
後ろから貞夫の声がロビーに響くと、
「校長先生、その節はお世話になりました」
美鈴の父親は頭を下げながら返事を返す。
「いえいえ、こちらこそ私共の部活動にもご理解とご協力をいただき、ありがとうございます」
「とんでもない。美鈴はやんちゃして、ご迷惑をおかけしておりませんでしたか?」
「ちょっと! ヤンチャってなにっ!?」
美鈴が抗議の声を上げるも、貞夫は軽く笑いながら、
「大丈夫でしたよ。むしろ色々と大活躍でした」
「それならよかった」
美鈴の父親も冗談っぽく笑いながら言うと、
「先ほど新田先生と娘さんにもお話しさせていただきましたが、ご主人は今、病室にいらっしゃいますよ。まだ目を覚まされていませんが、職員の者が色々とお手伝いさせていただいています。皆さんお揃いのようですし、行きましょうか」
こうしていよいよ、絢音の父親がいる病室へと、宏太たちは足を運ぶのだった。
*
エレベーターで5階まで上がると、白くて長い廊下を進む。
その途中にあった、ある部屋の前で立ち止まると、
「こちらです」
美鈴の父親は、言いながらその部屋の扉を軽く数回ノックした。
――503号室。
ゆっくりと扉を横に開いて入室すると、そこには点滴が打たれた絢音の父親が静かに呼吸していた。
「軽い栄養失調もありましたので、一時的に点滴で栄養を補っています」
「なんか、物々しいっすね……」
宏太が素直な感想を小さく溢すと、
「そうですね……、”人が管に繋がれている”姿というのは、医者になっても見慣れるものではありません……」
美鈴の父親も小さく肯定する。
その隣で貞夫は何処か思わし気な表情で、ベッドに眠る男の姿を見ていると、
「人間というのは、ホントにいつどうなるか……、分からないものだね……」
まるで独り言のように、ぽつりと零した。
あまりにも真剣なその表情に、
「……お父さん?」
由奈が貞夫に声をかけた。
「いや、何でもないよ。だけど本当に、良く寝ているね……」
言いながら貞夫は、ベッドの脇のイスに近づくと、
「ん……、んん…………?」
急に人が増えて騒がしくなったせいか、絢音の父親はゆっくりと目を覚ました。
「あ、貴方っ!」
「な、なんだっ……、それにここは……」
絢音の母親の声に、ベッド上で病衣姿の彼は戸惑いながら周囲を見渡す。
「病院ですよ。笹川さん」
「なんで……、病院なんかに……」
「私たちと食事中に、急に倒れられたんですよ。応急処置は、そこの糸川 美鈴さんがしてくれました」
「あ、あぁ……。そう……」
貞夫の説明に、少しずつ状況を飲み込んでいったのか、絢音の父親は再びムクムクと表情を険しくさせていった。
そんな彼の様子に、絢音の母親は、
「貴方、お礼くらい言ったら?」
「さ、指図するん――」
普段と違う絢音の母親の雰囲気に、絢音の父親は威勢を失う。
「わ、分かった……」
諦めたように下を俯くと、絢音の父親は何処か不自然さが拭えない様子で、
「糸川さん、だっけ? その……、ありがとう……」
「ありがとうございます、でしょ?」
「っ……、ありがとう、ございます……」
絢音の母親に釘を刺され、ぎこちない動きで美鈴に頭を下げた。
対して、大人の――しかも同級生の親に頭を下げられた美鈴は、
「い、いえ! そんなお気になさらないでくださいっ!」
「そうそう、この子は当然のことしたまでなんですから」
美鈴の父親が笑みを浮かべながら追従する。
「むっ、お父さんは褒めてくれてもいいじゃん……。言われ続けたこと、ちゃんとできたんだし」
「それもそうなんだけどね……」
明らかに褒美を強請るような表情で、「じぃー」と声に出しながら、美鈴は自分の父親の顔に視線を向け続ける。
しばらくして耐えかねた美鈴の父親は、
「わ、分かった! 帰りに好きなお菓子でもなんでも買って帰るから」
「ほんとっ!?」
「はいはい」
子供っぽく「やったっ」と喜ぶ美鈴に、「やれやれ」と美鈴の父親は何とも言えなさそうな表情で、頭を軽く掻いた。
そんな親子のやり取りを目の当たりにした絢音の母親は、
「随分と、仲がいいんですね……」
「そうでしょうか?」
「えぇ、なんか見ていて、微笑ましいです」
美鈴の父親の疑問に、絢音の母親は笑っているとも、困惑しているとも言えるような表情で答えた。
「笹川さん、実はこのお二人も、最近になってこんな明るい雰囲気になったんですよ」
「そのお話、美鈴ちゃんから聞きました」
貞夫の説明に、絢音の母親は少し困ったような笑顔を浮かべながら答えた。
「そうだったんですか?」
「えぇ、お母様のお話をお聞きしようと思ったら、父子家庭だってことから色々と……」
「そうでしたか……、なんとお恥ずかしい限りです」
美鈴の父親は少しばつが悪そうな表情で答えるも、
「いえ、こんな言い方は上からっぽくて失礼ですけど、とてもご立派だと思いましたよ」
「そう言っていただけると、嬉しい限りです。……ですがそれもこれも、学校の先生方のおかげです」
謙遜するように、美鈴の父親は貞夫と宏太に視線を向けながら口にした。
宏太は気恥ずかしさからか視線をそっぽに向いて、隣に立つ貞夫は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままで、
「そんなことないですよ。あれからかなりお久しぶりになるかと思いますけど、すっかり美鈴さんとの空気感が変わっていて、少し驚きました」
「そう、ですね……。確かに、お互いの時間は増やしてこれていると思います」
貞夫の素直な驚きに、美鈴の父親が美鈴の頭に手を置きながら言うと、
「むふーんっ」
と、美鈴は何処か満足そうな声を漏らした。
(美鈴ちゃんのお父さん、優しそう……)
絢音は自然と羨まし気な表情で、糸川親子のやり取りに視線を向けている。
そんな娘の様子に、絢音の父親は誰の耳にも届かない舌打ちを鳴らすと、
「そういや、絢音のこと……」
「うん、そうでしたね」
ポツリと思い出したように口にした絢音の父親に、貞夫は真剣な表情で答える。
だが、ふと柔らかい表情に戻したと思えば、
「その件については、また改めてお話ししましょう。”女池さん”と三人でね、”笹川くん”」
「っ!? その、呼び方……」
何処か含みを感じさせる笑みを浮かべながら、聞き馴染みのない苗字を含めた名を呼ぶ貞夫に、絢音の父親は驚きに目を見開き、声を震わせた。
「まさか、学年主任の……」
「今更、思い出したのかい?」
ワナワナと震える絢音の父親に、苦笑いを浮かべながら貞夫は続ける。
「空いた時間でね、奥さんと懐かしい話をしていたんだ。今度は君とも、今回の件と絡めてゆっくりと話したいな」
「っ……、今更教師面かよ……」
「何を言ってるんだい?」
貞夫の言葉に、絢音の父親は「はっ?」と固まると、
「私はあの時から今もずっと、”コネだらけのインチキな英語教師”、だろ?」
「っ……!」
かつて陰で呼んでいた蔑称に、絢音の父親は気まずさから顔を俯かせていた。
「相変わらず、酷い言い方……。貴方、先生に謝っておいた方がいいんじゃない?」
「べ、別にッ! 俺は昔から直接言った覚えなんて――」
絢音の母親が咎めると、反抗心むき出して絢音の父親は言いかけるが、
「謝った方が、いいんじゃない?」
「は、はい……」
病人ということを差し引いても、絢音の父親はすっかりとその威勢を失っていた。
「おやおや……」
「こりゃ笹川家のパワーバランスにも、革命が起きそうだねぇ」
美鈴の父親も苦笑いを浮かべ、貞夫は愉快そうに笑いながら口にする。
(結局父親は、”尻に敷かれるくらいがちょうどいい”のかもね)
貞夫は心の中で思いながら、ふと由奈の方へと視線を向けた。
「おい、これどういう状況……?」
「さ、さぁ……?」
宏太と由奈は状況についてこれていないのか、小声で言い合いながら戸惑いの表情を浮かべている。
(まぁ、無理もないよね)
貞夫はフッと笑みを浮かべると、
「それじゃあみんな、今日はこの辺で失礼しようか」
言いながらゆっくりとベッドから離れる。
「笹川さん、僕はまた顔を出させてもらうよ」
貞夫の声に、絢音の父親はベッドに腰を下ろしたまま、
「フンッ」
と短く鼻を鳴らして、
「はい、今日はありがとうございました」
絢音の母親は礼儀正しく頭を下げた。
「それじゃあ」
「失礼します」
貞夫に続いて、宏太と由奈も口々に言いながら病室を後にしようとする。
「せんせー達に、美鈴ちゃんに爽くんも! みんなまた学校でねー!」
絢音がブンブンと片手を振って見送る中、
「うんっ、またねー」
「じゃあ、バイバイ」
美鈴は小さく手を振り、爽はペコリと一礼して病室を出ていくのだった。
*
帰りのエレベーターを待っている間、
「校長せんせー」
「ん?何かな?」
美鈴に呼ばれ、貞夫はいつもの穏やかな声で返す。
「結局、アヤの件って、もう解決したってことでいいの?」
「そうだねぇ」
貞夫は思案気に言いながら、考える素振りを見せると、
「少なくても、新田先生が淫乱教師なんて噂されることはないんじゃないかな?」
冗談めかしたように言って、ちょうど到着したエレベーターに乗り込んだ。
「ホントっすか?……」
隣で由奈がクスクス笑う横で、宏太は居心地悪そうにエレベーターへ乗り込む。
生徒二人が最後に乗り込むと、
「さぁ、こんな時間になってしまったし、今日はみんな送って行こう。新田先生はどうする?」
”閉じる”ボタンを押しながら貞夫は言うと、本来の同好会メンバーだけを乗せた広めの箱は、ゆっくりと一階に向かって降下し始める。
「いや、どうするも何も、俺車ありますけど」
「そうじゃなくて、久しぶりに家に泊まって行かないかい?」
「はっ?」
思いもよらない貞夫の提案に、宏太は短い声を漏らす。
「ずっとバタバタして、落ち着いた話もできなかったじゃないか。せっかくなら家でゆっくりしていけばいい。由奈も喜ぶだろうし」
「もう、お父さんっ……」
余計な一言を付け加える貞夫に、由奈はギョッと目を見開きながら咎めると、
「あ、由奈せんせー顔真っ赤!」
「ほんとだっ」
美鈴と爽は透かさず声を上げた。
「二人とも、余計なこと言わないのっ!」
珍しく由奈がワナワナと慌てていると、エレベーターの扉はゆっくりと開いた。
目的のフロアに到着したらしく、由奈が先陣を切ってエレベーターを降りる。
「やっぱ俺、帰ります。洗濯物も溜まってるし、冷蔵庫の中身も心配っすから」
メンバー全員がエレベーターから降りると、宏太は疲れた表情をわずかに見せながら口にする。
「そうか、じゃあ話はまた明日にしよう。お疲れ様」
貞夫は少し残念そうな表情を見せるも、特に食い下がることはなかった。
「せんせー!バイバーイ!」
「ありがとうございました」
ブンブンと手を振る美鈴と、行儀よく頭を下げる爽。
「コウくん、またね」
やや距離を取りながら、少し控えめに手を振る由奈に、
「あぁ、また明日」
宏太はそれ以上何も言わず、少しだけ足早にエントランスへ向かった。
(マジで疲れた……)
思い起こせば朝からずっと、宏太はストレスに晒されっぱなしの一日だった。
だが不思議とその足取りは妙に軽く、ホッとしている自分がいる。
(……とりま、コンビニで酒とつまみ……買って帰るか……)
自分へのご褒美と言わんばかりに、頭の中でそんな楽しみを作りながら駐車場に足を向ける。
ともあれこうして、波乱万丈の初キャンプは幕を閉じたのだった。




