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恩師は意外と、近くにいる

 宏太たちを乗せた救急車が出発すると、貞夫たちは店員の指示に従って、一度室内の飲食スペースに移動した。

 バーベキュー開始から間もなくして、絢音の父親が倒れたこともあり、ほとんど食材には手を付けられていない。

 だが美鈴たちが座っていた席は、肉用のタレや飲み物が無造作に倒れ、テーブルの縁からはドロッとした液体が滴っている。

 

 当然その席に座っていた――というよりも、その状況にした張本人たる美鈴と、同じ席に座っていた爽と由奈は、服の袖を中心にかなり汚れている。

 一方の絢音の母親は、テーブルの角の方に着席していたこともあって、大きくその影響を受けることはなかった。

 

 「べ、ベトベトで気持ちが悪い……」

 「乾かすのも時間かかりそうだね……」

 美鈴と爽は、口々に困り顔で言いながら、服の袖を気にする。

 特に美鈴は自らソースをなぎ倒していったことも相まって、袖から色の濃いソースがしたたり落ちそうだ。

  

 「私もちょっと汚れちゃったし……、校長、すこしみんなでお風呂に行ってきてもいいですか? 確か三時までなら、コレ使えるんですよね?」

 由奈は言いながら、スマホケースの中から一枚の入浴券を取り出しながら言った。

 それは、昨日のキャンプ受付時に受け取った温浴の入り放題券。

 キャンプのチェックアウトが終わっても、その日の午後3時までの間であれば、利用可能なのだ。

 「あぁ、その方がいいね。ちゃちゃっと入ってきなさい。私たちは待っているから」

 貞夫が言うと、由奈と生徒二人はそのまま浴場受付まで戻って、本日二度目の温浴施設に足を向けていった。

 

 「すみません、私はもうしばらく彼女たちを待ってから向かいます。笹川さんは先に向かわれても結構ですよ」

 「いえ、もしでしたらご一緒させていただいてもよろしいでしょうか? その……、できればもう少し、校長先生とお話しできたらと思っておりまして……」

 「私は構いませんよ。でしたらせっかくですし、コーヒーでも飲みながらにしましょう」

 言いながら席を立つと、しばらくして貞夫は注文したコーヒーカップを2つ持って席に戻る。


 「どうぞ」

 「ありがとうございます……。あの、お代は……」

 「結構ですよ。これも学校の純然たる経費ですので」

 笑みを深めながら貞夫が手渡すと、絢音の母親は申し訳なさそうな表情を浮かべながら、コーヒーが入ったコップを受け取った。

 

 「奥さん、お気を悪くされたら申し訳ないのですが、一つ伺ってもよろしいでしょうか」

 貞夫は言いながら、コーヒーを早速一口口にする。

 「えぇ、なんでしょうか……?」

 「失礼ながら、絢音さんの御父上はかなり自尊心が高いお方のようにお見受けしたのですが……」

 「そう、ですね……。かなりプライドが高いのは、事実だと思います」

 貞夫の疑問に、絢音の母親は静かに肯定した。だが同時に、

 「ですけどあの人、昔はあんなじゃなかったんですよ?」

 「ほぉ……」

 貞夫は軽く頷きながら、ソーサーにコップをゆっくり置くと、

 「昔というと、悠久高校に在学していた頃のこと、かな?」

 「えっ……」

 絢音の母親は口に運ぼうとしたコップの手を止めて、貞夫に驚きの表情を向けた。


 「顔を見た時からずっと引っかかっていたんだ。だけど君ほど有名だった生徒は、今でも印象に残ってるよ。”女池 涼音”さん」

 「……どうして、私の旧姓を……」

 驚きでソーサーからコップを持ち上げきれていない、絢音の母親をよそに、

 「覚えていないのも無理はないか。当時はまだ私も、ペーペーだったからね」

 貞夫は懐かしそうに続けて口を開く。

 「もう20年近くも経つのか……。君が生徒会長をしていた頃は、まだ私は学年主任だったかな。それも絢音さんの父――いや、あの時は君の彼氏だった”笹川くん”の英語も担当していたっけ」

 

 「そ、そんな昔のこと……。いつ……、思い出して……」

 「こう――新田先生と言い争いを始めそうになった時だよ。まだ彼も若くて血の気が多いけど、何処か当時の私と彼の光景が、重ねて見えてしまってね」

 「それって……」

 「そう、多分当時彼からは、”学がないクセに、コネばかりのインチキ教師”なんて呼ばれてたんじゃないかな?」

 

 冗談めかして言う貞夫に、絢音の母親はフッと笑みを深めると、

 「その蔑称、懐かしいですね」

 「そうだね。改めて酷いあだ名だよ」

 貞夫もまた、懐かしさに表情を緩ませる。

 

 「先生、校長になられたんですね」

 「まぁ、世襲も同然の学校だったからね。これじゃあ、笹川君のあだ名もあながち間違いじゃないかな」

 「あはは……」

 「でも驚いたよ。正直君はいずれ、彼のこと見放すかと思っていたから」

 「先生、生徒のことそんな目で見てたんですか?」

 「正直ね。当時から彼は、あまり人に心許すタイプではなかっただろ?」

 「確かに、昔から気難しい性格でしたからね、”彼”は」

 「あの時は色々あっただろうけど……ともあれ、あの学び舎で出会った生徒たちが子供を育てて、また同じ学び舎に通わせる――感慨深いと言えばいいか、素直に私は嬉しい限りだよ」

 「ありがとうございます……」

 力なく頭を下げる絢音の母親は、ようやくコーヒーカップに一口つける。

 

 その一口を見届けてから、貞夫は声を落とした。

 「君たち、かなり無理していたみたいだね」

 「そうですね……、特にあの人は、色々と抱えていると思います」

 「仕事、そんなに大変なのかい?」

 「正直、この年になるとキツイなって思うこともいっぱいありますね。そういえば、私たちコンビニを3店舗経営しているんですけど、ご存じなかったですよね?」

 「3店舗もかい!? それは……無理もないね……」

 貞夫は言いながらコーヒーを一口飲むと、ふと疑問に思ったことを口にする。

 

 「だけどなんで、コンビニの経営を? 確か君たちは二人とも、大学への進学を希望していたじゃないか」

 「……そのこと、なんですけどね――」

 絢音の母親は一瞬のためらいを見せると、これまで長い間胸の奥に沈めていた過去を溢し始めた。

 それはかつて、絢音にも一度だけ話したことのある、彼の浪人時代の話。

 そして、肩書きに囚われた男の話だった。

 

 たっぷりと10分ほどかけて、絢音の母親が説明し終えると、

 「なるほど……。それはある意味、”彼らしい”選択だね」

 貞夫は静かに頷きながら、カップの中身を飲み干した。

 

 「えぇ、だからあの人は絢音に、”自分と同じ失敗”をさせたくなかったのだと思います……。私も絢音には、悔いがない学生生活を送ってほしいと本心から思ってます。だけど、私とあの人の方針にはどうしても溝があって、でもそれを咎めれば、あの人は手を出してしまう……」

 「だから自然と、彼の肩を持つようになってしまったと」

 絢音の母親は、貞夫のその一言にコクリと小さく頷いた。

 そして両手の拳に力を込めると、

 「……私、母親失格ですよね……。絢音が苦しんでいるのも知っていたのに……、それでも”がんばりなさい”と、追い打ちをかけるように言ってしまっていました……」

 声を震わせ、目元に涙を滲ませながら、絞り出すように告白した。

 

 そんなかつての教え子に、懐かしむように目を細めると、

 「そうやって自己否定に走る癖、昔の君を思い出すよ」

 「え……」

 「確かに絢音さんは、成績とか校内のステータスに苦しんでいたと思うよ。だけどね、女池さんがかけた言葉全部が、プレッシャーになっていたとは思えない」

 「なんで……、そんなこと言い切れるんですか……?」

 少しの誤魔化しも許さないと言わんばかりの雰囲気をまとい、絢音の母親は貞夫に視線だけを向ける。

 

 貞夫は空になったカップの縁を寂し気に見つめながら、

 「あの子は何処か、君に似ているところがあるんだ。キャンプを通じて彼女は、同じ学年の子たちとの自然な姿を見せてくれた。そんなあの子の姿は、まるで昔の君そのものだったんだ――」

 無言で言葉を受け止める絢音の母親に、貞夫は続ける。

 「――人の感情の揺さぶり方も、時々子供っぽく振舞うその仕草も……、絢音さんは本当に、昔の君に似ている。それはつまり、君から受けた言葉や態度を自然と吸収して、成長してこれた賜物、ともいえるのじゃないかな?」

 「昔の私に、絢音が……?」

 

 意外そうに目を見開く絢音の母親に、

 「本当に、面白い子だよ。人望が自然と集まるのも、頷けるくらい、良く”演じられる”子だと思ったかな。彼女の担任を受け持つ新田先生が、正直羨ましいくらいにね」

 「先生、本当に私のこと、どういう風に見ていたんですか?」

 「そのままの意味だよ。君は良くも悪くも、自分の本心を表にあまり出さないみたいだからね」

 少し頬を膨らませながらコーヒーに口をつける彼女に、貞夫は苦笑いを浮かべた。

 

 「そんな君に、20年越しのヒントをあげようか」

 貞夫はその柔らかな口調とは異なり、真剣な表情で絢音の母親の顔にまっすぐと視線を向ける。

 ガラッと変わった雰囲気に、絢音の母親はピンと背筋を伸ばすと、貞夫の言葉を待った。

 

 「まず、旦那さんの言葉や行動に、もし娘のためじゃないと思うことがあるのなら、真っ向から議論したらいい。その時は君らしく、ちゃんと理屈で返してやればいい。そしてこれは、どの親御さんにも言えることだけど――」

 貞夫は目元を緩ませ、穏やかな口調に戻ると、

 「女池さん自身が、”子離れ”の準備を始めておきなさい」

 言葉の後半が予想外だったのか、絢音の母親は一拍置くと、

 「なんですかそれっ」

 「大事な事さ。僕も何かと苦労したんだ。準備しておくには、越したことないよ」

 絢音の母親が冗談っぽく笑うと、貞夫はさらに笑みを深めて答えた。


 絢音の母親は小さく頷くと、

 「そう、なんですね……」

 けれど次の瞬間、ふと表情が曇る。

 「でももし、あの人が目を覚まさなかったら……」

 「大丈夫さ」

 「えっ」

 貞夫の迷いのない断言に、絢音の母親は短く戸惑いの声を漏らす。

 すると続けて貞夫は、冗談めかした口調で、

 「少なくても私よりは、君たちの方が長く生きる。というか、そうでなきゃ困るさ」

 「それは……」

 「それに――」


 貞夫は元教え子の肩に優しく手を乗せると、

 「もし彼が本当に重篤な状況なら、私が直接彼の耳元でまた説教でも垂れてやるさ」

 「ぷっ」

 絢音の母親は小さく吹き出すと、

 「確かに、それなら間違いなさそうですねっ」

 二十年越しに見た彼女の笑みは、今も変わらず彼女らしいままだった。

 

 どこか人懐っこい無邪気な雰囲気を思わせるその笑顔。

 (本当に、親子だね)

 貞夫は心の中でそんなことを思っていると、

 「校長せんせー! お待たせしました!」

 着替えのジャージに身を包んだ美鈴と爽が二人並んで帰ってきた。

 

 「おっ、さっぱりしたかい?」

 「はい!でも寝間着のジャージしかなかったから、服が可愛くないのが解せないけど……」

 「仕方ないよ……。渇いた服があるだけマシと思わなきゃ……」

 美鈴が唸りながら言うと、爽が苦笑いを浮かべながら宥める。

 「確かにそうだけどさぁ……」

 「まぁまぁ、さっぱりできたなら何より。あとは由奈先生が来たら、私たちも病院へ行こうか」

 貞夫は言いながら腰を上げると、車のカギをポケットから取り出す。

 

 「美鈴ちゃん、だったわよね?」

 一方の絢音の母親は、少し和らいだ表情で美鈴に声をかけると、

 「もしよければ、病院まで一緒に行かないかしら?」

 「へっ……?」

 突然の提案に、美鈴は思わず口から短く漏らすと、頭に多くの疑問符を浮かべるのだった。

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