隠しすぎれば、仇が出る
救急車が最寄りの基幹病院に到着してすぐ、医師の診療が始まった。
ストレッチャーに乗せられたまま、処置室に送られる父の姿を見送り、残された宏太と絢音は、病院スタッフに待合室へ案内された。
とはいえ、待ち始めてからたった五分ちょっとで、宏太たちは主治医がいるという診察室へ通される。
主治医の前に絢音、その後ろに用意された椅子に宏太が座ると、
「極度の過労ですね」
端的に下された診断結果に、付き添いの絢音と宏太は肩の力が同時に抜けていった。
「とりあえず、三日ほど検査のために入院が必要ですが、特に問題が見つからなければすぐ退院できるでしょう。ただ――」
白衣を窮屈そうに羽織った医者は、何処か気まずそうな視線を、宏太と絢音の間で彷徨わせると、
「誠に失礼ながら、この病院は緊急性の高い患者さんを受け入れるための施設ということもあって、別の病院へ転院していただなければなりません。県央付近には此処以外に、入院施設がある病院もないので、市外の病院になります」
「て、転院……?」
絢音は医者の説明に、何処か不安げな声を漏らした。
「そうですね、新潟市内か長岡市内になるかと思いますが、現状はまだ分かりません。今他の者が受け入れ先を確認している最中なので、結果が出次第またご報告させていただきます」
「そう、ですか……」
医者の言葉に、絢音は何処か力が抜けたような返事を返す。
そんな現実を素直に咀嚼しきれていない様子の絢音だったが、
「あ、あの! ひとつ要望を聞いていただけませんか?」
その突然の依頼に、
「なんでしょうか?」
「……あの……、できれば、転院先は長岡市内の病院にしていただき、たいです……」
宏太は驚きに目を見開く。
医者は尚も同じ声音で、
「……問い合わせを入れている者に、申し伝えましょう。ただ、ご希望に添えない場合もありますので、その点はご了承ください」
「はい、ありがとうございます……」
「ひとまず、受け入れ先が決定し次第、今後の流れをご説明させていただきます。確認が取れましたらお呼びしますので、受付のロビーでしばらくお待ちください」
こうして宏太と絢音は、診察室を後にした。
*
再び静まり返ったロビーに戻った二人。
平日の昼間は多くの患者や職員で行きかうこの場所も、日曜日の夕方前ともなると暗くかなり静かだった。
受付や併設の薬局の窓口にはシャッターが下ろされ、宏太と絢音を照らす明かりも僅かしかない。
そんな冷たく静まり返ったロビーのソファーで、宏太と絢音は二人並んで医者からの呼び出しを待っていた。
二人の間には、自然と会話は生まれない。
お互いに気まずさや気負いのようなものはなかったが、ただ、それぞれに現状を整理する時間が欲しかったのだ。
そんな無言の時間が数分続いた時、
「なぁ、笹川」
「なんですか?」
「お前の父ちゃん、確か自営業だってあったけど……、具体的にはどんな仕事してんだ?」
「…………」
意を決したわけでもなく、自然と口火を切った宏太の疑問に、絢音は顔を伏せたまま微動だにしなかった。
「別に、言いたくなきゃ無理しなくていい。家庭調書で出してもらった以上の情報は、あんまり詮索するもんじゃねーし」
「別にいいですよ。隠すことでもないですし」
絢音は視線をやや上げると、非常口を示す案内灯をただボーっと見つめながら答えた。
「お父さんとお母さん、どっちも夫婦でコンビニを経営しているんです」
「へぇー……」
「経営って言っても、フランチャイズなので、半分雇われみたいなんですけど、それでも売り上げはそこそこあるみたいです」
「なるほど、な……」
”フランチャイズ”という単語に、宏太は一瞬、言葉を失った。
コンビニ経営には、大きく分けて二通りの経営方針があると、宏太はいつかのテレビ番組で聞いたことがある。
一つは、コンビニ本社の社員が直接経営している直営店。そしてもう一つは、コンビニ本社が開業者を募り、手厚いサポートとノウハウ、商品流通などの貸与を受けて経営される”フランチャイズ店”だ。
その番組内では、”フランチャイズ経営の闇”と題打って、売り上げの大半を収める必要があるロイヤリティや廃棄リスクの押し付けなど、コンビニ経営者と本社との間に少なからず存在するパワーバランスによる疲弊が事を取り上げられていて、宏太も他人事ながら(ヒデェー世界もあるもんだ……)と印象に残っている。
テレビで取り上げられていたようなフィクションめいた内容はともかく、リアルでも悲鳴染みた声が実際にある環境で働く絢音の両親に、宏太は何も言えなくなっていた。
そんな宏太の胸の内を知らないであろう絢音は、
「最初はよかったんです。まだ1店舗だった時までは」
「は? 2店舗も経営してんのか?」
「ううん、いまは3店舗同時に経営してるみたい」
「3店舗!?」
予想をはるか斜め上を行く答えに、宏太は思わず声を上げた。
慌てて周囲を見回してみるが、宏太の声がやや反響しているものの、誰も彼らに迷惑そうな視線で見る者はいない。
「す、すまん……」
「ううん、大丈夫」
絢音はさして気にした様子もなく、一度深呼吸すると、またポツポツと語り始めた。
「他で経営していた人が、急に止めるって言い始めちゃったみたいで、スーパーバイザーさんの口車に乗せられて、その店の経営も始めちゃったみたいだったんだ。だから別に1店舗の経営で売り上げがいいわけじゃなくて、3店舗分でやっとそこそこ稼げてる、くらいのポジションなんだって」
「そ、そうなんか……」
絢音の説明に、宏太はポツリと呟くと、
「そりゃ、倒れるわけだ……」
初めて夫婦の顔色を見た時のことを思い出し、心の中ですんなりと納得してしまう。
同時に宏太は、ふと気になったことを言葉を選びながらも、絢音に口を開いた。
「でもよ、なんでお前の親父さん、あそこまでお前のことを、その……、心配?してたんだ?」
「……分からない。けど、なんとなく思うことはあるんだ」
「思うこと?」
オウム返しに聞き返す宏太に、絢音は何処か諦めたような笑みを浮かべながら、
「私の両親って、元々悠久高校のOBとOGだったらしいの」
「えっ、まじで?」
「うん、まじ」
それから絢音は、自分の両親について思うことを宏太に語り始める。
元々勉強はとてもできて、学内でも上位の成績を収めていたが、特に父親が国内で一番と名高い国立大学に固執していたこと。
十分射程圏内だったと言われていたが、結論父親は、その大学には落ちてしまったこと。
結局母親は地元の国立大学で4年間を過ごし、父親は4度目の挑戦でとうとう諦めて、母親と同じタイミングで働くことを選んだこと。
とはいえ、高卒からブランクが空いてしまった絢音の父親は、なかなか就職先が見つからず、絢音の母親もそんな彼のプライドの高さを気にして、あえて地味な会社の事務職として就職したこと。
それでもプライドの高さが邪魔して、曲がりにも”経営者”の肩書を父が欲していたこと。
絢音が母親から聞いたという、ざっくりとしていながらも必要十分な両親の成り行きを、宏太は静かに耳を傾けていた。
「それが、私の両親の過去だって、お母さんから聞いた話」
「……そ、そうなのか……」
「この話を聞いたときにね、私思ったんだ」
絢音はいいながら、諦めと悲しみがないまぜになったような笑みを浮かべると、
「お父さんは、私を”自分の成功した姿”と重ねてるのかなって」
「成功した姿と、重ねる……」
言い得て妙だと、宏太は思う。
自らの失敗とプライドを隠し続けた末に、かつて目指していた成功した姿を娘に押し付けていた父親。
沸点が低くて、貞夫ですらそんな彼の内面まで入り込めなかったが、母親と娘は当然のように気づいていたのだ。
その上で絢音は、親の望みに抗うことなく、ただまっすぐと与えられた無理難題にも応えようと足掻き続けてきた。
それが、”高難易度の定期試験で、満点が当然”と、決して褒められることのない”無理ゲー”でも。
(……これって、ある意味”見てもらえてねぇ”環境じゃねぇか……)
宏太はいつかの自分が感じてきた境遇と似たものを感じつつ、絢音に問いかける。
「それじゃあお前は、この学校に入ったのは、親の期待に応えるためだったのか? 成績がいいのも、生徒会にいるのも……」
「うん、正直そんな感じ」
宏太のドライすぎるような絢音のこれまでの問いに、絢音はフッと声を漏らした。
「でもね、後悔はしてないよ」
視線を上げて、宏太にまっすぐと表情を見せる。
その顔は何処か憑き物が落ちたかのように柔らかく、
「この学校に入るのも、生徒会に入ったのも、結局全部自分で決めたことだし。それに――」
言いかけた時、絢音の表情はパッと自然な笑顔を浮かべながら続けた。
「この学校に入れたおかげで、美鈴ちゃんたちに出会えた。そして今回のキャンプで、自分らしくいていいんだって肯定してもらえた。それだけでも、この学校に入れてよかったって、本気で思ってるよっ」
絢音らしい屈託のない笑顔。
これに宏太もフッと力が抜けたような笑みを浮かべると、
「そっか。なら、よかったな」
「はいっ」
宏太の言葉に、絢音はいつもの明るい声で答えた。
「そういえば、一つ気になったこと、聞いてもいいか?」
「ん? 何ですか?」
「さっき医者に言ってた、移送先の要望、なんで長岡だったんだ?」
「……それは……」
絢音は一瞬言い淀むと、太ももの上で所在なさげに自分の指を絡める。
そしてしばらくして出た答えは、
「もし学校から近ければ、お見舞い行きやすくなるから……。それに――」
絢音はその瞳に真剣さを宿らせると、
「もう逃げないって、決めたから」
キッパリと自分の意志を宏太に宣言してきた。
もうそこには、裏垢から先の世界へと逃げようとしていた彼女の面影はどこにもいない。
そんな絢音の向き合う覚悟を、言葉と態度から感じ取ると、
「なるほどな」
ただそれだけ言って、切れかけの蛍光灯に視線を仰いだ。
しばらく再び、宏太と絢音の間に無言の時間が流れる。
それから程なくすると、
「すみません、笹川さんの付き添いの方でしたでしょうか?」
病院の職員証をぶら下げた女性が、宏太たちに声をかけてきた。
突然かけられた声に、絢音は慌てて、
「は、はいっ……」
「受け入れ先の病院が確定しました。長岡市内にある、立川病院になります。これから救急車が来るので、支度をしてお待ちください」
「分かりました」
こうして再び、宏太と絢音は救急車に同伴して、指定された搬送先へと移動するのだった。




