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似たもの同士は、気づけるもの

 タープ張りの練習が行われた翌日。

 金曜日の放課後の空は、どんよりとした灰色の雲に覆われていた。重苦しい空気が校舎を包み込み、窓越しにのぞくグラウンドには、細い風が砂を巻き上げている。


 雨が降りそうな空模様にもかかわらず、サッカー部の部員たちはいつも通り準備を始めていた。声を張り上げ、ボールを蹴る音が乾いた空気に響く。


 一方で、アウトドア同好会は校長の一言であっさり休みになった。

 「明日も活動がある。今日は無理せず、明日に備えようじゃないか」

 ――あのゆるさが、このサークルのいいところなのかもしれない。僕はそんなふうに思った。


 「ちゃんとした部活は大変だな……」

 小さくつぶやきながら、教室から昇降口へと向かう。


 その途中、背後から弾むような声が飛んできた。

 「爽くん!」


 振り返ると、糸川美鈴が駆け寄ってきた。ポニーテールが左右に揺れ、足取りも軽やかだ。


 「美鈴ちゃん、なんか機嫌いいね」

 「今夜、お父さんと一緒にご飯行くの!」


 浮かれた様子で声を弾ませる美鈴。

 笑顔でこれからの予定を口にする彼女のその様子は、以前よりも父との関係が修復されているのが明らかだった。

 中学時代から2度の家出を経て、つい最近までお互いに背中を合わせていたあの頃の複雑さはもう感じられない。

 

 そんな美鈴は不意に何かに気づくと、スカートのポケットからスマホを取り出して画面を確認する。

 どうやらスマホが通知を受信したらしい。

 「もう迎えに来てるみたいだから、今日は先に帰るね!」

 「うん、楽しんできてね」

 「ありがとう! また明日!」

 

 短いやり取りの後、軽快に走り去る美鈴の背中を爽は見送った。

 (みーちゃん、お父さんと和解できて本当に良かった)

 爽は改めてそんなことを思いながら、彼もまた自分の靴を履き替えようとする。が、ふと机に置きっぱなしの課題を思い出した。


 (やばッ、数学の課題忘れてた……!)

 数学――それは担任であり、同好会の顧問でもある宏太先生の担当教科だ。提出を忘れたら、間違いなく小言を食らう。面倒だと思いつつも、僕は教室へ戻ることにした。



 *



 自教室まであと十数メートル。

 その途中、ふと横目に映った空き教室で、見覚えのある栗色のショートヘアが目に入った。


 ――笹川絢音。


 机のそばで立ち尽くす彼女の前に、背の高い男子生徒が腕を組んで立ちはだかっていた。制服の袖を無造作にまくり、ネクタイは緩み、香水の匂いが漂ってきそうな雰囲気。表情には薄笑いを浮かべ、どこか人を見下す態度だった。


 「ごめんなさいっ。いま誰とも付き合うことはできなくてですね~……」

 絢音の声は、かすかに戸惑いと不安で揺れていた。

 「えぇ? なんで? もしかしてもう好きなやつがいるとか?」


 (……うわ、押しが強いな)


 男子生徒は机に片手をつき、体を傾けて絢音へ迫る。彼女は肩をすくめ、逃げ場を探すように視線をさまよわせていた―――その時。


 「あっ……」

 (あっ……!)


 互いの声と心が重なった。


 次の瞬間、絢音が大きく手を振る。

 「おーい! 爽くん!」


 男子生徒は怪訝そうにこちらを振り返る。

 絢音の「助けて」という必死の意図を感じ取り、爽は教室の扉を開いた。


 「や、やぁ……」

 どう挨拶していいのか分からず声が裏返る。すると絢音は爽の元に駆け寄ると、彼の腕をがしっと掴んだ。


 「実は私、この人に猛アタック中なんです!」


 にこやかに言い切るその声は、どう聞いても芝居がかっていた。

 爽の心臓は跳ね上がり、頭は真っ白。どう反応したらいいのか分からず、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。


 男子生徒の表情が険しくなっていく。

 「は? ……こいつに? 絢音ちゃん、わざわざそんなライバル多そうなやつ狙ってんのかよ」


 爽に突き刺さるその視線には、苛立ちと嫉妬が混ざっていた。

 (ちょ、ちょっと待って……! 僕は何も言ってないから!)

 心の中で必死に弁解するが、声には出せない。


 だが絢音は笑顔を崩さず、わざとらしく勢いよく頷いている。声の裏に焦りがにじんでいた。


 「チッ……つまんねーな」

 彼は苛立ちを隠そうともせず、爽の肩をわざと強くぶつかって通り過ぎた。

 「邪魔なんだよ」


 体が揺れて、思わず息を詰める。

 荒々しい足音が廊下に響き、やがて遠ざかっていった。


 

 *



 静けさが戻ると同時に、絢音は爽の腕を離し、深々と頭を下げた。

 「面倒なことに巻き込んじゃって、本当にごめん!」


 「い、いや……気にしなくていいよ」

 なんとか笑顔を作りながら答える。けれど胸の奥には、昨日の違和感が重なっていた。


 「さっきの人、知り合い?」

 爽が問いかけると、絢音はあははと乾いた笑いを漏らした。

 「ただの顔見知りだよ。バスケ部の先輩なんだけど……生徒会の仕事でちょっと話したことがあってね。それから妙に声をかけてくるようになっちゃって……強引に誘われたりもして」


 軽く受け流すように言うものの、その笑顔はどこかぎこちなかった。


 「まぁ、笹川さんなら狙われても仕方ないよね。クラスの男子からも名前よく出てるし」

 爽がからかうように言えば、絢音はわざと肩をすくめる。

 「爽君に言われたくないなぁ。女子の噂のトップはいつも君でしょ?」

 「え、いや……そうかもしれないけど……」

 「ほらっ! 爽君は人のこと言えませーんっ!」


 二人で小さく笑い合い、張りつめていた空気がわずかに和らぐ。

 だが、ふとした沈黙の後で、爽の胸に昨日からの違和感が浮かんだ。


 「……あのさ、一つ聞いてもいい?」

 「ん? なになに? まさか爽君も愛の告白!?」

 わざとらしく両手で口元を隠し、大げさに目を丸くする絢音。

 「ち、違うって!」慌てて否定した爽は、表情を引き締めて言葉を続ける。

 「最近の笹川さん、なんか元気なさそうに見えたんだ。テストが返り始めた頃から……その、大丈夫なのかなって」


 問いかけに、絢音は一瞬だけ間を置き、すぐに明るい笑みを浮かべた。

 「実は初めてのテストで、自分でも納得できないミスばかりしてしまいまして……。我ながら抜けてるなーって呆れてただけなのですよっ」


あははと笑いながら後頭部を掻く。けれど、その瞳だけは笑っていなかった。


 (やっぱり……なんか無理してる感じだ……)


 胸の奥にざらつきを覚え、思わず口をついた。

 「ねぇ、もし笹川さんさえよければ、連絡先……交換しない?」


 絢音はわずかに目を丸くし、すぐに小首を傾げて答えた。

 「ごめん、スマホ今日忘れてきちゃって……」


 露骨な断り文句。それ以上は踏み込めず、爽は素直に引き下がるしかなかった。


 「今日は早めに帰らなきゃでさ!」

 そう言い残して足早に立ち去ろうとする絢音に、爽は思わず声をかけた。


 「笹川さん!」


 振り返る彼女に、真っ直ぐ言葉を届ける。

 「もし困ったことがあったら、いつでも相談してよ。僕だけじゃ大したことはできないかもしれないけど……力にはなれると思うから!」


 絢音は驚いたように瞬きをし――そして、いつもの明るい笑顔を浮かべた。

 「うん! ありがとう!」


 ぶんぶんと手を振りながら去っていく背中を、爽はしばらく見つめていた。

 その笑顔に潜む仮面を、爽は確かに感じたのだった。

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