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優雅な朝と、不穏な空気

 「……んっ、んー……」

 宏太が目を覚ますと、テントの布越しに光を感じる。

 スマホの画面を確認すると、表示されている時刻は、朝の五時五十分過ぎ。

 既に貞夫と爽の姿はなく、宏太は重い瞼を擦りながら入り口のファスナーを開けた。

 朝のひんやりとした空気が、宏太の頬を撫でる。


 テント内の重い空気が押し出され、新鮮な空気に入れ替わると、宏太は自然と大きく深呼吸した。

 「やぁ、宏太君。おはよう」

 「おはよう、ございます……。校長、もう起きてたんすか」

 タープ下で焚火をいじりながら声をかけてきた貞夫に、宏太は半分閉じたままの瞼を擦りながらテントを出た。

 「年取ると目覚が覚めるのも早くてね。コーヒー飲むかい?」

 「えぇ……、貰います……」


 宏太の返事に貞夫は、「はいよ」と、いつものポットを手に取る。

 「そういや、菅谷はどっか行ってんすか?」

 「トイレだよ。彼も普段は早起きみたいでね。私が起きてしばらくして起きてきたよ」

 「へぇ……」


 そんな彼の生活習慣を耳した宏太の後ろから、

 「あ、新田先生。おはようございます」

 「おう、おはよう」

 身支度を簡単に整えた爽に、宏太は朝の挨拶を返す。

 「男子はみんな揃ったみたいだね。女子達はまぁ、時間にも余裕があるし、もう少し寝かせてあげよう」

 

 貞夫は緑茶が入った茶缶を手に取ると、小さなステンレス製のヤカンに茶葉を入れる。

 「それ、小さくてすごく可愛いですね」

 爽が興味深そうにヤカンを見ながら言うと、

 「おっ、いいところに目を付けたね」

 機嫌良さそうに言いながら、その小さなヤカンをテーブルの中央に置いた。

 

 キャンプギヤらしい、シンプルなステンレスのボディのそれは、まるで膨よかなミカンにツルと注ぎ口を付けたかのような丸みがある。

 「これも、燕市内のメーカーが作っているんだ。ステンレスの加工技術は、流石なものだよね」

 急須の隣で沸かしているポットに気を配りながら、貞夫は口にする。


 「確かにすごいっすけど……、これ、いくらしたんすか……?」

 宏太はシェラカップを買ったときの値段を思い出し、顔を引きつらせながら聞く。

 「んー……、確か五、六千円くらいだったかな?」

 「うわぁ……」

 「たっけー……」

 貞夫の答えに、爽と宏太は素直な感想を口々に溢す。


 「いや、でもこれは火にもかけれる実用的なものなんだよっ。ほら、安物買いの銭失いなんてよくいうだろう? 始めから損するくらいなら、良いものを手にした方が、回りまわってむしろお得だと思わないかい?」

 「いや、別に俺らは責める気なんてないっすよ……。由奈は知らねぇけど……」

 「でも確かに、こういうちゃんとしたものなら、長く使えそうでいいですね」

 弁解するように言う貞夫に、宏太は呆れたような口調で溢す。

 爽は尚も、まじまじと興味深そうにヤカンへと視線を向けながら言った。


 それと同時に、ポットの注ぎ口から、白い蒸気が吹き出し始める。

 貞夫は「菅谷君とは、とても気が合いそうだね」と誤魔化しながら、ポット下のガスバーナーの火を消す。

 その刹那――、

 「せ、せんせーッ」

 テントからヒョコっと顔出しながら、アホ毛を立てたまま美鈴が宏太に向かって呼びかけてきた。


 「ん? なんだよ、朝っぱらから」

 「大変なの! ちょっと来て!」

 手招きしながら必死な表情を浮かべている美鈴。

 宏太は仕方なしと言わんばかりに、重い腰を上げて女子たちが眠るテントの前室に足を踏み入れた。

 テントのファスナーが開かれ、テント内部が外気に晒される。

 「コウくん……」

 そこには物思わし気に宏太に視線を向けている由奈と、両手にスマホを持ったまま、視線を画面に落としている絢音の姿があった。


 「……おい、何があった?」

 「アヤ、ちょっと貸して」

 美鈴が絢音からスマホを受け取ると、その画面を宏太に差し向ける。

 「……ッ! マジ、かよ……」


 そこに表示されていたのは、メッセージアプリのとあるトーク画面だった。

 そのやり取りの相手の名は、【お父さん】とあり、受信している内容には、『どこにいるんだ?』から始まる、多数の短いメッセージ。

 夜中だというのに何度も電話の着信履歴もあり、その雰囲気はただ事ではない。

 他にも短いながら、絢音の居場所を確認するようなメッセージが続き、終いには、

 『朝までに連絡がなければ、警察に連絡する』

 淡々とそんな予告がある。


 「これ、ヤバくね……?」

 宏太は額に汗を流しながら、ポツリと漏らす。

 「どうしたんだい?」

 その後ろから貞夫も画面をのぞき込むと、

 「なるほど……」

 貞夫は淹れたてのお茶を片手に、珍しく彼の表情から余裕が減った。

 

 「こうなるリスクは承知していたけど、実際目の当たりにするとゾッとするね……」

 貞夫は緑茶に口を付けながら、顔をしかめる。

 「ごめん、なさい……」

 絢音が弱々しい声で、ポツリと口にする。

 「私のせいで……、皆に迷惑、かけちゃって……」

 「これって別に、アヤのせいじゃないでしょ。連れ出したのは私たちなんだし、別にやましいことなんて何もないじゃん」

 絢音の弱音交じりの謝罪の言葉に、美鈴は迷いのないはっきりとした口調で言った。


 「美鈴ちゃん……」

 「そうだね。確かにあくまで私たちは、部活として笹川さんを連れ出している。けど――」

 絢音は何処か救われたような表情を浮かべ、隣で由奈も追従するように口にする。

 それに貞夫は、

 「一番の問題は、保護者の同意なしに連れてきてしまっている、その一点だね……」

 由奈が言いかけた懸念を、何処か思案気に口にした。

 「それなら、僕たちが無理やり連れてきた、ってことに、その……、できないですか……?」

 後ろで静かに話を聞いていた爽が、徐に口を開く。


 「先生たちに嘘ついて、僕たちが笹川さんのことを連れ出してきた。そういうことにしておけば、先生たちに責任はないし、仕方ないって思ってもらえるんじゃ……」

 ある意味爽らしいそんな提案に、美鈴は「それ、いいんじゃない?」と肯定するも、

 「菅谷の言うことも一理あるかもしれねーけど、それはたぶん、一番の悪手だな」

 宏太はバッサリと、爽の案を除外する。


 「えっ……?」

 「菅谷の案だと、部活として生徒を同伴している教師が、テキトーに保護者の同意を管理していると思われるだろ? それに、生徒に一方的な責任を押し付ける真似なんて、したくねぇーよ」

 「なる、ほど……」

 「新田先生が言ってくれたけど、私も彼と同じ意見だね。仮に生徒が主導してやったとしても、最終的にその責任は大人が持たなければならない。教師という立場なら、なおさらね」

 宏太の答えにぎこちない反応を返す爽に、貞夫は付け加えるように言った。

 「でもそれなら、どうしたら……」

 爽の当然の疑問に、しばらくテント内は沈黙に包まれる。

 

 生徒だけで生徒を連れ出した――そんな単純な問題であれば、一般的にそれは当事者の家庭間の問題であって、教師が直接的に巻き添えを喰らうことはないだろう。

 とはいえ今回に限って言えば、その片棒を担任教師とその学校の校長までもが担いでしまっている。

 (これ、無理ゲーじゃね……?)

 

 再び宏太の脳内で、美鈴が計画した絢音の強奪作戦のリスクが頭をよぎった。

 (これじゃマジで……、淫乱教師の烙印が……)

 背筋にぞわっと、鋭い悪寒が走る。

 

 額に冷や汗をさらに吹き出しながら、宏太は顔を引きつらせる。

 すると刹那、そんな宏太の隣で、

 「……強引だけど、これしかないか……」

 貞夫が思わし気に、そんな短くも覚悟を感じさせる声音で溢した。

 

 「笹川さん、とりあえず一度、お父さんに”学校のアウトドアサークル”の人たちと、キャンプ場にいる旨を送ってほしい。それと――」

 貞夫は顔面蒼白になっている絢音の顔に視線を向けると、淡々と父親へのコンタクトを指示する。

 「校長から、”今日の午後1時、このキャンプ場に来ていただきたい”、と言われている旨も送ってくれないかな?」

 貞夫がその詳細まで言い切ると、絢音は驚きと困惑が入り混じったような表情で顔を上げた。

 ほぼ同時に、

 「はっ!?」

 「ちょ、お父さんっ……」

 宏太と由奈がそれぞれ声を上げる。


 「さっきも言っただろう? ”責任は最終的に教師が持つ”もの。それなら少なくとも、一番誠意が伝わる環境で話し合いをした方が、マシだと思わないかい?」

 「そりゃ、そうかもしれねーすけどっ……」

 淡々と言う貞夫に、宏太は何処か煮え切れない様子で不安を口にした。

 

 「何はともあれ、連絡はマストだよ。笹川さん、もし何かしら返信があれば、僕に都度教えて欲しい。必要なら電話でもなんでも受けよう」

 「分かり、ました……」

 貞夫の言葉に、絢音は弱々しくも肯定しながら頷く。

 そんな絢音の小さな頷きを確認すると、

 「さぁ、そうと決まれば朝ごはんだね。雲行きも怪しくなってきたし、ささっと済ませて撤収準備に入ろうか」

 貞夫は言いながら、コップを片手に再びタープ下の定位置に戻っていった。

 

 そんな校長の背中を眺めながら、

 「ねぇ、コウくん……」

 「なんだよ……」

 「無事に月曜日迎えたら、今日の代休申請、ちゃんと取ろうね?」

 「お前……、死亡フラグみてぇな事いうなよ……」

 由奈と宏太は、無事に今日という日を乗り越えられることを、ただ切に祈るのだった。

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