ガールズトークは、静かな場所で
「うぅ……。トイレ……」
美鈴が目を覚ましてテントを出ると、外は静まり返っていた。
点在するテントから漏れ出た小さな明かりに、炊事場に灯された無機質な蛍光灯。
美鈴はスマホのライトを点灯させると、そのまま炊事場兼トイレの建物を目指して丘を登り始める。
「ふぅ……」
綺麗な温水対応のトイレで用を足して、洗面台で手を洗う。
トイレの扉を開いて外に出ると、ひんやりとした山の風が美鈴の頬を軽く撫でた。
「さ、さむっ……」
軽く身震いさせながらも、つけっぱなしにしていたスマホのライトを正面に当てて、再び自分の寝床に戻ろうとした。
その瞬間――、
「あっ」
聞き覚えのある声が右後方から聞こえてきた。
「ん?……って、アヤ……?」
短く声を漏らした声の主――絢音の存在に気づくと、美鈴はいいながら彼女の元に近づく。
「美鈴ちゃん、どうしたの?」
「私は普通にトイレ。アヤこそ、こんなところで何してるの?」
「私は……、気分転換、かな?」
「なにそれっ」
丘の斜面にちょこんと座りながら、絢音は「えへへ」と小さく笑う。
「美鈴ちゃんも、ゆっくりしていかない?」
「……そうだね、アヤには聞きたいこともたーっぷりあるし」
言いながら絢音の隣に腰を下ろした。
正面に広がっているのは、Aサイトに張られた明かりの少ないテントと、最低限の照明だけが灯された受付の建物。
人の温度をあまり感じられないその光景は、自然と人工的な光が見事に共存していた。
何処か現実離れした広大な自然の景色――それを人工的な安全地帯から見下ろしている美鈴たちは、そんな贅沢な場所を、二人だけで陣取っているようにも感じさせる。
そんな、二人のためだけに用意されたと錯覚してしまう場所で、
「綺麗、だね……」
「ホントにねっ。三条にもこんな場所、あったんだ……」
ポツリと、美鈴と絢音は素直な感想を口から溢した。
「そういえばアヤって、もともと三条住みなんだっけ?」
「うん、そうだよ。新潟と長岡のちょうど間だから、正直どっちつかずで中途半端な場所だなぁて思ってた」
何処か自嘲気味に言う絢音は、ふっと顔をほころばせると、
「でも、こんな素敵な空間があったなんて、知らなかったよ」
「そっか」
慈しみに満ちたような穏やかな笑みを浮かべる彼女に、美鈴もホッとした笑みで短く返す。
「ねぇ、美鈴ちゃん。一つ聞いてもいい?」
「なに?」
リラックスした声音で問いかける絢音は、美鈴の返事を聞くと、
「美鈴ちゃんってさ、やっぱり爽君のこと、好き?」
「はひっ!?」
あまりにも突拍子もない話題に、美鈴は調子はずれな声を漏らした。
「な、なんでそんな……、いきなり……」
「その様子だと、やっぱりそうなんだねっ」
「うぅ……、やっぱり解せぬ……」
ニヤニヤと表情を浮かべながら言う絢音に、美鈴は否定も肯定もせず、ただ悔し気に呻く。
しばらくして美鈴は一呼吸つけると、
「そういうアヤは、その……どうなの?……」
「んっ?」
「……爽くんのこと、どう思ってるの……?」
「性格良くて、かっこいいって思ってるよ」
どこか探るような美鈴の問いに、絢音は淡々と答える。
明らかに美鈴の意図を分かっていながら、あえてずらした答えを返す絢音に、
「いや、そういうことじゃなくて……」
美鈴はムッと表情を浮かべると、
「……その……、恋愛的なのは……?」
「ぷっ……」
あえて質問の意図をはっきり口にした美鈴に、絢音は急に吹き出した。
「なっ!?」
「ごめんごめんっ、やっぱり美鈴ちゃん、かわいいなぁって思っちゃってさ」
「むぅ……、やっぱりアヤのこと、私嫌いっ!」
言いながら腰を上げようとする美鈴を、絢音は慌てて引き止める。
「冗談!半分冗談だからっ!」
「はぁ……」
いつもの絢音らしいその反応に、美鈴はとりあえず芝に腰を再び下ろす。
「でっ? ホントのところは?」
「優しくてかっこいいし、文句がつけようのない男子だよね。……だけど――」
絢音はふと申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、
「爽君の優しいところは、やっぱり私にとっては、重すぎる、かな」
「……どういう、こと?」
「今日のキャンプでやっぱり感じたことなんだけど――」
美鈴の素直な問いに、絢音は確信を持った口調で答える。
「――爽君ってさ、良くも悪くも相手のこと、気にかけすぎるところあるなって思うんだよね」
明らかにそれまでの雰囲気で言う絢音に、美鈴は続きの言葉を静かに待った。
「ほらっ、”放っておけない”って言えば聞こえはいいかもだけどさ、それって人によっては”プレッシャー”に感じちゃうこともあるわけじゃん? 正直、私は後者側だったから、ね……」
真面目な口調で本音を吐露すると、絢音はハッとした表情を浮かべて、
「別に、爽くんが悪いとか、嫌いとかそういうことじゃないよ……?」
「うん……、言いたいことは、なんとなく分かる……かも」
弁解するように言う絢音の一言に、美鈴はかつて宏太に言った自分の言葉を思い出していた。
――爽くん、何度か笹川さんに勧誘してたでしょ? ああいうのって、本人にはプレッシャーになるの。
――裏垢やってた時の私なら、あまり関わりがなかった男子から同じことされたら、正直しんどい。
美鈴にとって爽は、かつて幼い頃の自分を拾い上げてくれた男の子――いわば、ヒーローのような存在だった。
始めから美鈴自身が爽の優しさを無自覚に求めていたから、結果的に爽に救われた。
だけどもし美鈴の腕を取ったのが爽じゃなかったら――、美鈴はかつての闇を抱えたまま今もいたかもしれない。
逆を言えば、爽じゃない誰かに腕を取られていたら――美鈴は絢音が歩んでいただろう、制御の利かない状況に自分を追い込んでいたかもしれない。
(優しさって、なんだろ……)
美鈴は内心で、そう自分に問わずにはいられなかった。
絢音は隣で静かに考え事をしている美鈴に、
「だからさ――」
絢音は満面の笑みを浮かべる。
「美鈴ちゃんは安心して、爽君にアタックし続けるといいよっ」
「だ、だからそういう”グサッ”てくること、しれっと言わないでよっ!」
割と真剣に考え事をしていた美鈴に、今彼女が一番効く横槍を突きつける絢音。
反射的に声を上げてしまった美鈴に、
「しーっ、今は消灯時間、でしょ?」
「グっ、やっぱり解せぬ……」
人差しを口元にあてながら咎める絢音に、美鈴は何も言い返せずただ唸ることしかできない。
そしてどちらからともなく、
「……ぷっ」
二人は同時に吹き出した。
「なんか、青春してるね、私たち」
「だねっ」
美鈴の俗っぽい一言に、絢音も短く肯定する。
それに追随するように、
「もうこのままずっと、時間が止まっちゃえばいいのに」
絢音はポツリと、そんな本音を溢した。
眉を沈み込ませながら言う絢音のその表情に、美鈴はハッと思い出す。
(そうだ、アヤはまだ、”止まったまま”じゃん……)
裏垢問題はどうであれ、絢音を追い込んでいる根本的な問題はまだ解決していない。
あくまでこのキャンプは、一度現実のしがらみから彼女を解放させるだけで、問題自体は絢音自身が立ち向かわなければならないのだ。
震えながら芝を掴む絢音の手。
その手を覆いかぶせるように、美鈴は彼女の手を取ると、
「えっ……?」
「大丈夫」
まっすぐと絢音の震える視線を受け止めた。
「アヤはもう、ひとりじゃないでしょ?」
「そう……、だね」
半日ちょっとの時間で築いてきた、確かな”心の支え”の数々を思い返していくにつれて、絢音は落ち着きを取り戻していく。
「ほんとに、そうだ」
手の震えが収まり始めると、絢音はホッと心を落ち着けながら、
「ありがと、美鈴ちゃん」
「うん、どういたしまして」
素直な感謝の言葉に、美鈴は不思議と誤魔化すことなく、真正面から受け止めていた。
そして二人の間に、再び静寂が割り込む。
自然の中で浄化された空気と、澄み切った夜空に浮かぶ月明かり――それはまるで丘の上の舞台に座る美鈴たちを照らしながら、眼下に広がるサイトの芝を輝かせ続けていた。




