映えるご飯と、甘い誘い
満を持して披露したアウトドアコンロのせいで、帰宅後のキャンプギアコレクションが窮地に立たされた貞夫は、
「と、とりあえず調理を始めようじゃないか……」
最近買ったと言っていたダッチオーブン(鉄なべ)をコンロの上にそっと置いた。
続いて貞夫は、由奈たちが事前に用意してくれていたクーラーボックスの中から、トマト缶3個と薄黄色の何かが入ったジップロックを取り出してテーブルの上に置く。
「校長……、ソレ、なんすか……?」
見慣れない色をしたよく分からない物体に、宏太は恐る恐る尋ねる。
明らかに食欲が湧かない見た目をしているそれは、宏太のみならず生徒3人も皆不安に感じていた。
そんな怪訝な視線を集めているジップロックーーその中身を鉄なべに移しながら貞夫は答える。
「昨日のうちに仕込んでおいたカレーのベースだよ」
「昨日て……」
宏太の呆れ交じりの一言を、今更拾う者はいない。
だが傍らでお茶を飲んでいた由奈が、
「私が昨日帰る前からやってたみたいだよ?」
呆れながらも昨日のことを思い出しながら、苦笑交じりに口にした。
「でも大丈夫。校長先生のご飯だけは、信用できるよ」
由奈はメンバーを安心させるように、そんな一言も付け加える。
貞夫はそんな娘のフォローに、
「ご飯”だけ”って……、私の信用は他にないのかい……?」
「んっ? いつも思い付きで唐突なことして、おまけにカードの限度額も把握していない”大人”に信用ってあるのかなぁ」
由奈の遠慮がない毒混じりな問い詰めに、貞夫はまたもしゅんと、「め、面目ありません……」とうなだれるしかなかった。
「で、でも由奈が言った通り、料理には自信があるんだ。任せて欲しいっ」
言いながら薄黄色のペーストをすべて鉄なべに入れ終える。
よく見ると既に肉や簡単な野菜が入っており、
爽は具材を見て「確かにカレーっぽい……。中身だけは……」
と未だ不安がぬぐい切れない様子で一言漏らす。
そんな爽の様子は気にする様子もなく、貞夫は続けてトマト缶を3つすべて鉄なべの中に入れた。
軽くかき混ぜてそれをコンロの上にのせると、火をかけて弱火に調整する。
「あとはいわゆる、”じっくりコトコト”で待つだけだよ」
貞夫は言いながら椅子の背もたれに深く腰を下ろす。
”調理”といっても、貞夫が仕込んだものとトマト缶を鍋に入れて火にかけただけ。
そんなあまりにも呆気ない調理行程に美鈴は、
「えっ?これでおしまいですか?」
「そうだよ。あとは小一時間くらい弱火でゆっくり煮込めば完成かな」
「エプロン用意した意味はっ!?」
「せっかく用意してくれたのは嬉しいけど、基本的にはいらないかなぁ」
「そ、そんなぁ!」
美鈴はあからさまに落ち込んで見せる。
絢音に爽、そして宏太も含めた初心者組も、
(意外とこんなものか)
と、美鈴ほどではないがその呆気なさに同じく驚きの表情を浮かべていた。
「キャンプ飯って、こんなあっさりしてるんすか?」
宏太が自然と口にすると、
「いや、それこそピンキリだよ。今日はあまり面倒が無いように、事前に出来ることはしていたからね。みんな初めてなら、これくらいがちょうどいいかなって思ったんだ」
貞夫はマグカップに緑茶を注ぎながら答える。
ちなみに緑茶自体は市販されている1人用のペットボトルで、わざわざ移し替える必要はない。
誰も口に出すことはしないが、これは完全な貞夫の自己満足であることは、この場にいるメンバーが察しているのだ。
「う、うぅ……。でもこれじゃあ、ただの恥のかき損だよぉ……」
美鈴は両手で顔を覆いながら、恥ずかしそうに上半身を揺らす。
未だ着用しているエプロンのイルカの顔は、爽に少し悲しそうな表情を向けているように見えた。
*
鉄なべを火にかけてからしばらくして、貞夫たちはカレーライスに不可欠な米の仕込みを始めた。
「っていっても、これもただ水に浸して炊くだけなんだけどね……」
貞夫は美鈴に軽く気を使った表情を浮かべながら、手際よく米用の羽釜ともう一つのジップロックをテーブルに並べた。
別のジップロックに入った少し多めの米は、事前に長瀬宅で洗米されたものが入っているらしく、貞夫は羽釜に米を入れたのちに、脇にあるウォータータンクから慣れた手つきで水の分量を調節する。
(良かれと思って支度してたけど、これは私も菅谷君の事言えないな……)
内心でそんな反省をしながら、羽釜をコンロの横に置いた貞夫に、宏太が声をかけた。
「校長、コンロの上でその釜、使うんすか?」
「そうだよ?」
当然と言わんばかりに貞夫が答える。
貞夫にとっては、その疑問自体が意外だったが、
「校長せんせーが本格的な羽釜もってるのはとりあえず置いておいて……、それをコンロの上で使うのって、なんかイメージと違って面白いっ」
美鈴が宏太の代わりにその違和感を口にした。
「あぁ、そういうことか」
貞夫は彼らの奇異な視線の正体に気づくと、少し得意気に口を開いた。
「こういう釜を使う人って、意外といないんだよね。米炊きなんて最悪シェラカップでもできるから」
「じゃあなんでそんなデカいの持ってるんすか……」
間接的に、”こんなものはいらない”と言ってるも同然な答えに、宏太は思わず口から漏らす。
すると貞夫は短く、
「ロマンだよ」
「な、なるほど……」
宏太はこれ以上、この話題を広げることはしなかった。
その後カレーを一度火からおろして、貞夫は羽釜をコンロの上にセットして火にかけた。
始めは強火で沸騰するまで火にかけて、蒸気が吹き出した頃合いで弱火に調節して約10分放置。
相変わらず見た目は安定感に欠けるようで違和感しかないが、着実にお米の炊けるいい匂いがタープ内を包み込んでいった。
「よし、いい頃合いかな」
羽釜を火からおろす頃合いになると、貞夫は耐熱グローブを両手に装備して釜をテーブルの上に置いた。
「これからさらに10分くらい置いておくよ」
「それって”蒸らし”、ってやつですか?」
貞夫の後を追うように絢音は短く答えると、
「そうそう。笹川さん、よく知ってるじゃないか」
関心交じりに貞夫が口にする。
「炊飯器が壊れちゃったときに、母親がお鍋使って同じ炊き方してたんです」
苦笑いを浮かべながら言う絢音に、メンバーは皆自然と口ごもる。
この場にいるメンバーは全員――正確には絢音を除いて彼女の家庭環境があまりいいものではないことを概ね察している。
この場でその話題を広げるのは、明らかに今までの空気を破壊するどころか、せっかく溶かしてきた絢音の心に、余計な影を落としかねない。
だが、そんな空気をあえて打ち破るかのように口を開いたのは、シェラカップでお茶を飲んでいた美鈴だった。
「私も炊飯器壊れたことあるけど、流石にお鍋使ってまで炊こうって思わなかったなぁ。アヤの家って、ご飯しか食べないの?」
よりにもよって家庭状況を含めて突っ込んだことを口にする美鈴に、教師陣と爽は表情をやや固める。
だが意外にも受け手側だった絢音は、
「違うよっ! 私の家の晩御飯って、いつもご飯に合うおかずが並ぶこと多かったから、ご飯を炊きがちってだけ」
そんななんてことのない様子で答えた。
だが一方の美鈴は、「ふーん……」と、少し据わった目を絢音に向ける。
「な、なにっ……?」
絢音は警戒した表情を浮かべるも、美鈴はそんな彼女の元に近づく。
「アヤ……、もしかしてご飯いっぱい食べてるからそんな立派にっ……」
どこか悔し気な表情を浮かべると、あからさまに美鈴は絢音の胸と同じ高さに視線を置いた。
「も、もうっ……。やめてよぉ!」
恥ずかしそうに身体を背ける絢音。
いつも学校で見せるようなテンションのままでいるその様子に、
(はぁ……。持ちこたえた……)
周囲の大人と爽は緊張の糸がふと切れたような感覚に襲われた。
ようやく場に介入する余地を得た貞夫は、
「まぁまぁ、女の子同士のじゃれ合いはそれくらいにして、そろそろご飯食べる準備しようじゃないか」
言いながら再び鉄なべを火にかけた。
しばらくして鉄なべからもグツグツとカレーが煮える音だけが響き始める。
「さぁて、お待ちかねのお披露目だよ」
ご飯の蒸らしが終わる頃合いと同時に、
「オープンっ」
言いながら貞夫は、鉄なべと羽釜の蓋を両手で同時に開けた。
「うわぁー!」
「すごくおいしそうっ!」
「やべぇ……、マジなやつじゃん」
美鈴、絢音、宏太が口々に驚きと期待に声を上げる。
ご飯はしっかりと粒が立っていながら、コシヒカリならではの甘さが香る完璧な炊きあがり。
そして一番の懸念だったカレーは、トマトの酸味とカレらしいスパイスの香りがタープ内に広がり、一般的なカレールーとは明らかに違う。
鉄なべで煮込まれた絵面も相まって、”ザ・キャンプ飯”と言わんばかりの映え方をした晩御飯がそこにはあった。
「流石校長先生……、あんな簡単だったのに、ご飯まで本格的だ……」
爽がそんな感嘆の声を漏らし、
「写真撮らせて!写真っ!」
美鈴と絢音はすぐさまスマホでパシャパシャとシャッターをしきりに切り始める。
シレっと爽と宏太、そして由奈も鉄なべたちを写真に収めると、
「さて、少し暗くなり始めたし、ランタンだけ下げたらご飯にしようか」
称賛の声に包まれた貞夫は、照れ隠しにそんなことをいいながらタープ下にランタンを吊るして明かりをつける。
そんなまだ夕日が山に沈み切っていないタープ下で、メンバーは皆晩御飯に一番の感動を覚えるのだった。
それぞれのシェラカップにカレーとご飯をよそい、昼間に作ったお手製のスプーンを皆手に持つ。
「さぁ、暖かいうちに頂こうじゃないか」
貞夫の号令で夕食が始まった。
「いただきます」
「いただきますっ!」
貞夫に続いて、同時にメンバーは手を合わせる。
期待に胸を膨らませながら、皆それぞれ形が異なるスプーンでカレーを掬うと口に運んだ。
「うんっまッ!?」
宏太が驚きに目を見開きながら、素で大きな声を上げる。
トマトの酸味とスパイスのピリッとした辛みが絶妙で、後から肉のうま味が口の中で余韻としてしっかり残る。
ご飯も少し硬めに炊かれていて、ほろほろになるまで煮込まれた豚肉との相性は、言うまでもない。
他のメンバーも間髪入れずに口々と、
「これはっ、美味しすぎるっ……」
「美味しいぃーッ!」
「ほいしぃすぎるっ!」
爽、絢音、美鈴が口々に言いながら必死にシェラカップのカレーを口に運んでいた。
特に美鈴は熱いカレーをリスのように頬張りながら言っているので、正直よく聞き取れない。
「美鈴ちゃん、行儀悪いよ?」
由奈が苦笑いを浮かべながらも、まるで母親のような注意をした。
だが美鈴の耳にはまるで届いていないようで、相変わらず幸せそうな表情を浮かべたままカレーを食べ進めている。
「もぉ……」
由奈は呆れ交じりに漏らすが、たまに父親がつくるどこか懐かしいカレーの味に、彼女もまた「うんっ、美味しい」と顔をほころばせた。
「そういや、トマト缶と一緒に煮込んでたアレって、結局何だったんすか?」
宏太が純粋な疑問を貞夫にぶつける。
一方、黙々とカレーを食べ進めていた貞夫は、特に隠すこともなく、
「ヨーグルトに市販のカレー粉と豚肉を入れて、前日から漬けておいたやつだよ。他にもニンニクとか、チリペッパーとかも入れてるかな。隠し味にチャツネとかブイヨンスープの素とかも入れてるよ」
淡々とレシピの大まかな詳細を口にする。
「だいぶ手が込んでるんすね……」
普段の宏太ならまず使わない材料ばかりで、若干引きつつも驚きの表情を浮かべた。
だが貞夫は謙遜することなく、
「いや、全部混ぜるだけだからね。誰にでもできるさ」
愉快そうに笑いながら再びカレーを口に運ぶ。
「校長せんせーっ! 今度レシピ、教えてください! コレ、家で作ってみたい!」
美鈴が口の所々にルーを付けながら、目を輝かせながら口にする。
「いいよ、お父さんにでも作ってあげたらいいさ」
貞夫はなんてことが無いように、さらっと美鈴にそう返す。
そんなやり取りを傍らで聞いていた絢音は、
「校長先生、私にも教えてもらっていいですか?」
少しだけ逡巡したあと、意を決した様子で、意外にも美鈴に倣うように口にした。
「もちろんいいよ。あとでレシピはまとめておくから、出来たらみんなに教えるよ」
貞夫は機嫌よく言うと、その後は他愛もない話が続いた。
生徒たちの学校生活のことに、若手教師たちの苦悩――。
普段あまり学校でゆっくりと会話する時間がないこともあって、年代や立場を超えたタープ下の輪はとても暖かい時間が流れていく。
だが一方で、彼らは唯一”自分たちの家庭事情”だけは、露骨に話題に出そうとはしなかった。
他の話題で盛り上がっていたこともあるが、これは大人たちが特に気を払って話題を誘導していたこともあるだろう。
その甲斐もあってか、タープ下で過ごす夕食の時間は、終始賑やかながらも平和な時が進んでいた。
*
羽釜で炊いた5合近いご飯はすべて空になり、タープ下のメンバーはお腹も心も満たされていた。
鉄なべにはカレーがまだ半分近く残っているが、貞夫曰く、「これは明日の朝食に使うからね。ちょうどいい感じに残ってよかった」とのこと。
とはいえ時刻は夜の7時近くを回り、流石に辺りが暗くなり始めてきた。
空は日が沈み姿が見えないが、西の空は橙色と紺色の狭間で幻想的なグラデーションに染まり、周りのキャンパーも焚火やランタンで明かりを灯し始めている。
一方、既に明るく照らされているタープ下で、学校の話題に一区切りついた頃合いを貞夫は見計らうと、
「さてと、洗い物は僕たちでやっておくから、由奈たちは風呂にでもいってくるといいよ」
「それは嬉しいかも。それじゃあ、お願いしちゃおっかな」
貞夫の提案に、由奈は膝にかけていたブランケットを畳み始めた。
「美鈴ちゃん、絢音ちゃん、準備できたら行こっか」
「りょうかいです!」
「はいっ」
由奈の掛け声に、美鈴、絢音は口々に言って、一度テントの中に荷物を取りに入る。
しばらくして女子3人は着替えなどが入っているであろう手提げと、小さなLEDライトを手に持った。
「それじゃあ、行ってきます」
「いってきます!」
由奈に続いて、美鈴もタープ下にいる宏太たちに背を向けると、軽い足取りでサイトを離れていく。
だが少し遅れて用意が出来た絢音が、由奈たちを追うとしたとき、徐にその足を一度止めた。
「あっ、そうだ」
言いながら何かを思い出したかのように、絢音はまっすぐ爽の元に近寄ってきたと思えば、
「爽くん爽くんっ、お風呂あがったら二人だけでちょっとお話しできないかなっ?」
いきなり小声で、そんなことを言いながら耳打ちをしてきた。
あまりにも急な出来事に、爽はビクッと身体を震わせる。
その言葉の意味を理解するより先に、爽は背筋が反射的に伸びていた。
とはいえ絢音から面と向かって爽に声をかけてきたのは、キャンプが始まってから初めてのことだった。
だから爽は反射的に、
「う、うんっ……、別にいいよっ……?」
少しキョどりながらも、そんな肯定の言葉を返す。
爽の返答に満足したのか、絢音はそっと身体を彼から離すと、いつも学校で見せるような快活な笑顔を自然と向けてきた。
屈託のないそんな彼女の笑みに、爽は再び耳に熱が帯びていくのを感じる。
「アヤぁー? 置いてっちゃうよ!」
「はぁーいっ!」
背後から美鈴の声が飛び、絢音はそれに応えると、
「じゃっ、またあとでねっ」
小さく手を振りながら由奈たちの方へとかけていった。
残された男子三人は、そんな絢音の変わりように唖然としながらただ見守る。
「おい、菅谷……」
「な、なんですか……?」
宏太の間抜けた呼びかけに、爽も訳が分からないと言わんばかりの気の抜けた返事を返す。
「お前、何かしたのか……?」
「いや、本当に心当たりないです……」
当然ともいえる宏太の問いに、爽は素直に答える。
今まで何処か爽を避けていたような絢音が、急にいつもの調子で”内緒の約束”を取り付けてきたのだ。
その内容を知らない宏太や貞夫にとっても、爽と絢音のやり取りは、驚きを隠せないほどのものだった。
とはいえ、一番驚いているのは当事者の爽であることは間違いない。
(僕、これからどうなるんだろ……)
爽はそんなただ成り行きに身を任せるほかない状況に、頭がいっぱいいっぱいになりながらも、貞夫と宏太と共に後片付けを始めるのだった。




