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事前準備は、念入りに

 翌日、火曜日の放課後。

 アウトドア同好会の部室には、爽、美鈴、宏太、由奈、そして校長の貞夫が顔をそろえていた。

 週末にはいよいよ――初めての一泊二日キャンプが待っている。

 今日はその事前打ち合わせの日だ。


 窓の外はうっすらと茜色。校舎の壁に夕陽が反射し、部室の空気を柔らかく染めていた。机の上には地図やキャンプ用品のカタログが広がり、教室の空気にほんの少しだけ遠足前のような浮き立つ気配が混じる。


 「いよいよ、今週の土日に一泊二日でキャンプだね」

 貞夫が、少年のように明るい声を上げた。


 「校長先生、すごく楽しそうですねっ」

 美鈴は笑いながら言い、テーブルに置いたシェラカップを手に取る。先日買ったばかりのそれには、すでに温かいお茶が注がれ、淡い湯気が揺れていた。


 「そう言う美鈴も、楽しそうじゃん」

 爽が苦笑しながらつぶやく。


 「ってか、校長。そもそもキャンプって言っても、どこに行くんですか?」

 宏太が腕を組み、半ば呆れたような口調で尋ねる。


 「三条の下田ってところにある、スノーピークが運営しているキャンプ場だよ」

 「スノーピーク……?」美鈴が首をかしげた。


 スノーピークといえば、新潟県三条市に本社を置く、全国的にも有名なキャンプギアメーカーだ。

 ファミリーキャンプやグランピングなど、快適性を重視したおしゃれな道具を数多く手がけており、初心者からベテランまで幅広い層に人気がある。

 そんなブランドが運営するキャンプ場――それを聞いた途端、全員の指が一斉にスマホを取り出して検索を始めた。


 出てきたのは、黒を基調とした洗練されたウェブサイト。写真に写るのは、芝の上に整然と並んだテントと、焚き火の炎を映す湖面。まるで高級リゾートのようだ。


 「うわ」

 「なんか、すごい……」


 爽と美鈴の感嘆の声が自然と重なる。


 「めっちゃ、高そうっすね……」

 思わず漏れた宏太のつぶやきに、貞夫は「はは」と笑って手を振った。


 「費用については心配いらないよ。クレジットカードのポイントがたくさんあるから、今回はそれを使おうと思っているんだ」


 「ちなみに、いくらくらいするんですか?」

 美鈴が首を傾げると、貞夫は少し得意げな顔をした。


 「一人1700円くらいだよ。でも色々つけて、多分4000円くらいになるんじゃないかな」


 「色々って、別料金の方が高いじゃない……」

 由奈がジト目でつっこむ。

 「そこは気にしないでほしい……」貞夫は苦笑し、視線を泳がせた。


 「だーめ。なんでそんなに高くなるの?」

 由奈がなおも問い詰めると、貞夫はおずおずとして説明を続けた。


 「このキャンプ場の脇に、フィールドスパっていう温浴施設があるんだ。これが一泊二日の入り放題にした方がお得で、せっかくだからこれもつけようかと思ってね……。それがだいたい、一人二千円ちょっとかな」


 「高っ!?」

 宏太が即座に反応し、

 「風呂に二千円って、いくら入り放題でもいいお値段ですね……」と爽があきれたように肩をすくめた。


 「確かに高いかもしれないけど、設備はなかなかいいんだよ。入浴のたびにタオルセットは新しいものを貸してくれるし、チェックアウトしてもその日の昼過ぎまではゆっくり入れる。二回以上入るなら、むしろお得だと思うよ」


 「お風呂……。なら仕方ないね」

 由奈が諦めたように笑い、

 「そうですね。それに校長せんせーのおごりだし」と美鈴が続けた。

 オプションが風呂だということを知るや否や、女性陣はまんざらでもない様子で頷く。

 考えてみれば、外泊で風呂なしというのは、女性陣にとってなかなか厳しい話だ。その点、設備が整ったお風呂でその日の汚れを落とせるなら、そのオプションに対してノーという選択肢はないだろう。

 

 「そうそう!いいところだよ。本当に」

 貞夫の声は完全に浮き立っていた。


 「じゃあお風呂ありで、そこにしましょうか。あと決めることってありますか?」

 爽が言うと、貞夫は「そうだね」と頷き、指を折る。


 「あとはその日の晩御飯かな。みんな、食べたいものとかあるかい?」

 「そもそも、キャンプで食う飯って、どんなのがあるんすか?」宏太が腕を組み直す。


 「装備にもよるけど、割と何でもありだよ。でも今回はほとんどみんな初心者だから、いきなり凝ったものじゃなくて、定番のメニューがいいかもしれない」


 「定番って言うと、カレーとか?」由奈が言えば、

 「カレー!食べたい!」美鈴の声が弾んだ。


 「確かに、野外炊飯の定番って感じでいいな」

 宏太も頷き、

 「みんながそれでよければ、僕もそれでいいですよ」と爽が静かにまとめる。


 「おっ、じゃあもう決まりだね。カレーならちょっと多めに作っておいて、翌朝はカレーうどんにしてもいいし、キャンプ飯の入門にはちょうどいいかな」

 貞夫が手を叩くと、部室の中に明るい笑いが弾けた。


 それからしばらく、持ち物や道具の話が続いた。

 「そういえば、車の中に五人分の道具なんて入るの?」と由奈が首をかしげ、

 「大丈夫じゃないかな? 三列目のシートを跳ね上げれば、入ると思うよ」と貞夫が即答する。


 「でも着替えとかもありますよね? 結構窮屈になりそう……」美鈴が眉を寄せると、宏太が苦笑いした。

 「確かに、めっちゃ狭そうだな……」


 「じゃあ、新田先生車出してくれないかな?」

 由奈の一言に、宏太は思わず目を丸くした。

 「はっ? 俺が?」

 「キャンプって道具もそうだけど、買い出しした食材とかゴミとかでもっとかさばるでしょ? 出来たらもう一台あった方が、余裕あっていいと思うの」


 「確かに、それもそうだね……。宏太君、お願いできないだろうか?」

 貞夫の穏やかな笑顔に、宏太は頭をかいた。

 「はぁ……。分かりましたよ」


 「ありがと、コウ君っ」

 「だからコウ君いうな、長瀬先生」

 笑い声が重なり、談笑の輪が広がっていく。


 やがて集合時間も決まり、打ち合わせは穏やかに終わった。

 ――その日までは、少なくとも宏太は、嵐の兆しに気づいていなかった。


 *


 教務室へ戻ろうとした宏太の背後から、静かな声がかかった。


 「せんせ、ちょっといいですか?」


 振り向くと、廊下の夕光の中に立つ美鈴の姿。

 彼女の顔は、いつもの軽さをどこかに置き忘れたようだった。

 

 「なんだ?」

 「単刀直入に聞きますけど、爽くんから笹川さんの噂、聞きました?」

 「聞いてる。糸川から聞いたって言ってたけど」

 「その件でちょっとお話があります」


 張りつめた声。冗談の気配がひとつもない。

 「なんだよ、改まって……」

 「実はアレ、半分嘘なんです」

 「は?」


 宏太が眉を寄せる。

 美鈴は唇を噛み、ほんの一瞬、視線を床に落とした。


 「笹川さんはまだパパ活まではしてないです。だけど、これからし始めるかもしれないんです」

 「どういうことだ?」

 「せんせ、これ見て」


 差し出されたスマホの画面には、匿名アカウントの投稿。

 そこに写る制服の影が、どこか見覚えのある形をしていた。


 「これは?」

 「笹川さんの裏垢」

 「こ、これは……。かなり際どいな……」


 画面をスクロールする手が止まる。

 息がわずかに詰まった。

 アカウント名――アヤ。

 アイコンは可愛いウサギのイラストでありながら、中身はなかなかに生々しいものだった。

 投稿されていた画像の多くは、大きくシャツがはだけ、下着が見えるか見えないかというなかなかに刺激的な物ばかり。

 教師として喉がひやりと冷えた。これは、見過ごせない。

 

 「せんせー、目がやらしー……」

 「はッ!? そ、そんなことねーよっ……」

 美鈴に指摘され、宏太は耳の端に熱を感じながら彼女のスマホから目を反らした。


 「ってかそれより、なんでこんなの見つけたんだよ?」

 「ここだけの話なんですけど……実は私も裏垢あったんです」

 「……は?」

 「か、勘違いしないでください! 私はこんな破廉恥な画像は上げてないから!」

 「ま、まぁもうそれはいいよ……」

 宏太の冷静な返しに、今度は美鈴の顔が赤く熱を帯びる。

 「っ……。は、話し戻しますけど!」

 「お、おう……」


 怒涛の勢いで言い切る美鈴に、宏太は思わず肩をすくめた。


 「テスト明けにタープ張りの練習した日あったじゃないですか。あの日の夜に私、裏垢持ってたことを思い出して、もういらないから消そうと思って久々にアカウント開いたんですよ。そしたら、タイムラインにたまたま流れてきたツイートに目が留まって。よく見たら、うちの学校の生徒だって分かったんです」


 宏太は無言で再び、画面を覗き込む。

 過去の投稿をさかのぼるように、美鈴の細い指によってスワイプしていく。

 次々と表示されていく画像や文字の羅列のなか、宏太はある投稿に目が留まった。

 【知らない先輩から告られた……。クラスの男子のおかげで切り抜けられたけど、いい加減もう疲れる】


 あの日の出来事が、頭に蘇る。

 ――笹川絢音と、彼女を助けた爽。

 偶然にしては出来すぎていた。


 「なるほど……。確かに、笹川っぽいな……」

 つぶやく声が落ちた瞬間、美鈴の瞳が小さく揺れた。


 「だけど糸川、なんでまだ笹川が“パパ活していない”って言いきれるんだ?」

 「それは……本人に聞いたから」


 そして、ぽつりぽつりと話し始める。


 昨日、美鈴はまず由奈に相談を持ちかけたという。

 二人で考えた末に、ある作戦を立てた。

 ――“パパ活相手になりすまして、絢音をキャンプに連れ出す”という大胆な作戦だった。


 最初、由奈は当然反対した。だが他に手立てもなく、美鈴の経験を織り込んだ二次被害の可能性を具体的に指摘され、結局彼女の提案に乗ったらしい。

 美鈴は別の裏アカウントを作成し、絢音の裏垢へ接触。DMでそれとなく探りを入れた結果、

 「今は興味がある」という言葉を引き出したのだという。

 どうやら昨日早く帰ったのは、美鈴にこの件を相談されていたのだろう。


 「それで一つ、せんせにも協力してほしいことがあるんです」

 「おい、まさか……」

 話の流れからして、嫌な予感しかしない。

 顔を引きつらせた宏太の予想は、

 「キャンプの日、笹川さんと約束してる場所に迎えに行ってほしいんです」

 やはり的中してしまった。


 宏太は深くため息をつく。

 「お前ら……最初っからそのつもりで、俺に車出させる気だったのかよ……」

 続けて宏太は、

 「一応俺、笹川の担任教師だぞ? もし学校の誰かに見られたら、俺の教師人生終了するんだけど」

 「それは大丈夫! 私も一緒に行くから!」

 「お前、ナチュラルに俺を送迎要員にしていないか?」

 「ば、バレました?」

 「露骨すぎだバカ」

 「えへへ」


 照れるような仕草で笑ったあと、

 「まぁまぁ、それは半分冗談だとして――」

 美鈴の表情が引き締まる。

 「この作戦には、せんせーの力が必要なんです」


 真剣な瞳。

 宏太の脳裏に、昨夜の貞夫の言葉が響いた。


 ――生徒の可能性を見つけ、信じること。それは義務だ。


 昨日貞夫が言った意図とはやや違うかもしれない。

 生徒の可能性というよりも、これは美鈴から見た生徒視点の解決手段だ。

 だがこれは同時に、美鈴の一つの可能性――信じるべき彼女の本気といえるかもしれない。

 

 ――時期早々に首を突っ込むのは、良くないって話だよ。

 

 追い打ちをかけるように、貞夫の言葉がまた響く。

 

 下手を打てば、生徒と不純な行為に及んだ教師として社会的に死にかねない。

 だが同時に、他の生徒にはない行動力で絢音を救おうとしてくれている美鈴を前にして、そのリスクを取るだけの価値も感じていた。

 「はぁ……」

 そして宏太は観念したように、深々と再度溜息を吐きながら、

 

 「分かった、俺も協力する」

 「ありがと! せんせ!」


 美鈴の笑顔は、いつになく柔らかかった。


 「でももう一つお願いがあって――」

 彼女の声が少し沈む。

 「この作戦のこと、校長先生と爽くんには内緒にしておいてほしいんです」


 「校長のことは分かった。長瀬先生の言う通りだし……。けど、なんで菅谷にも黙っておくんだ?」

 むしろ爽に共有しておけば、何かと都合がいいこともあるだろう。

 そんなことを考えていると、

 「せんせー、笹川さんがここまで追い込まれたのって、爽くんにも原因あると思わない?」

 予期せぬ問いに、宏太は頭に疑問府しか浮かばなかった。

 

 何も分かっていない様子の宏太に、美鈴は軽く溜息を吐くと、

 「爽くん、何度か笹川さんに勧誘してたでしょ? ああいうのって、本人にはプレッシャーになるの。裏垢やってた時の私なら、あまり関わりがなかった男子から同じことされたら、正直しんどい」


 宏太は何も言えなかった。

 美鈴の言葉は痛いほど現実的で、どこか寂しい真実を含んでいた。

 そして同時に、美鈴が同時に言いたかったであろう意図に気づく。


 「つまり、菅谷にそのことを言えば、アイツが傷つくかもしれないってことか?」

 「それもそうだし、単純に私が気に入らない」


 その率直さに、宏太は思わず吹き出した。

 「それにしても糸川、やけに献身的なんだな」

 「別に私は、笹川さんが裏で何してようと興味ないの! ただ爽君がずっと笹川さんのこと考えているのが嫌ってだけ!」


 言い切ったあと、彼女の声がほんの少し震えた。

 「だけど……もしかしたら私も、そうなってたかもしれなかったわけだし。なんか、ほっとけないよ」


 宏太は小さく頷く。

 「そう、か……」

 

 そんなことを言われてしまっては、なおさら協力しないわけにはいかない。

 残りの細かい作戦については、後日こっそりと由奈を含む3人で相談したいとのことで、ひとまず美鈴とはここで別れることになった。

 一人残された宏太は、深いため息と共に再度教務室へと足を向ける。

 ――結局こうして、宏太も美鈴の何処か危うい作戦を信じ、共謀する覚悟を決めたのだった。

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