第1幕 第7話 主人公に矛先
朝の空気は、濡れた木肌の匂いが濃かった。
石段の上で名が読まれ、返事が続く。ひとつ、途切れる。
「――長谷川 はやと」
返事は、ない。
それだけで、ここでは事実が決まる。名前だけが朝から消える。
広間に移る。座る者は四人になっていた。空席のほうが多い円は、やけに広く見える。
田島 ちかが前に出る。
「確認します。昼は多数決で一人を処刑、夜は人狼が一人を襲撃。今朝は長谷川さんが不在。投票の内訳は出しません。……まず、昨夜のことを」
俺は自分のメモを開いた。二十三時の停電/金属の音/小さな灯り/影が二つ→一つ。
口を開く前に、神谷 勝が先に言った。
「単刀直入にいく。外から来た相馬。お前の**“見た”“嗅いだ”が昨夜から多すぎる**。
詰所の障子が白く走った? 油の匂い? 小道の踏み跡? 他に見たやつはいない」
「障子は一瞬だ。見逃しても不思議じゃない。油の匂いは……提灯の口を絞った匂いが残ってた。小道の踏み跡はつま先だけ深かった。片足を引きずってるみたいな――」
「匂いを言い出したのはお前だけだ」
勝はかぶせる。「長谷川はそれを言ってない。田島さんも、かぐらもだ。“詳しすぎる”のは、そこにいたからだろ」
「部屋からだ。窓越しに見た。外には出ていない。戸は――」
「長谷川は昨夜、拍子木の合図を出した。お前にだけ指示をしに戸口へ来たわけだ」
勝の声は低い。「その直後にいなくなった。都合が良すぎる」
喉が乾く。田島が口を挟む。
「落ち着いて。嘘でも本当でも、言葉は短く。……かぐら」
宮守 かぐらは姿勢を正し、俺と勝を順に見た。
「昨夜、本殿側の小道に薄い灯りが見えました。提灯の覆いをしていました。影が二つになって一つに戻るのも、遠目に見ています。
……誰だったかは、分かりません」
勝がすぐ拾う。
「“二つが一つ”に戻る。――連れ戻されたか、連れて行かれたかだ。
本殿裏で宮守 たかおさんが消え、昨夜は長谷川が消えた。相馬、お前はどっちの朝も“外の話”を知りすぎてる」
「知りすぎてるんじゃない。見える位置にいただけだ。外から来たから、何も持ってないから窓に貼り付くしかない」
「なら訊くが――狩人の立ち位置を見たと言いながら、誰の戸口か言わなかったのはなぜだ?」
勝の目が細くなる。「守り先を人狼が回避できるようにするためか。情報の出し惜しみだ」
言葉が喉で止まる。
――言えば目印になる。昨夜、そう思って黙った。だが今、それは言い訳の形をしている。
「今日の方針を言います」
田島が区切る。「占い師は黒で出る/霊媒師は伏せ/狩人は名乗らない/村長は同票時のみ――昨日決めた通り。
占い師、**黒(狼)**を見た方はいますか」
沈黙。
かぐらの睫毛がわずかに震え、しかし何も言わない。黒は、まだ出ていないのだ。
「では、昨日までの不整合で判断します。二十時の詰所の灯り、本殿裏の踏み跡、昨夜の灯りと影。
発言と行動の筋が通っていない人に、票を入れてください」
紙が配られ、筆の先が沈む。
俺は自分の名を書かない。書けない。勝の名を書く。
紙が集められ、田島が数を取る。
置かれた二つの札。
「相馬 みなと――神谷 勝」
同数。
広間が、呼吸を止める。
田島は紙束を伏せ、顔を上げた。村長の立場で前に出る。
「――最終決定を出します」
喉が、ごく、と鳴る音が自分で分かった。
かぐらは膝の上で指を組み、目を伏せたまま動かない。
勝は視線をまっすぐこちらへ向け、わずかに顎を上げている。
田島は、俺と勝を一度ずつ見た。
ためらいが、ほんの一瞬。
それから、乾いた声で言う。
「相馬 みなとさん」
名前が、選ばれた。
足元の木が低く鳴った。
誰も顔をこちらに向けない。鈴が一度、静かに鳴る。
投票の内訳は公表されない。この村は、いつも通りの手順で昼を終える。
胸の内側で、何かが冷たく沈む。
――ここで、終わる。
そう理解したとき、視界の縁が白く揺れ、雨の音が遠ざかった。
*
目を開けると、カーナビは北東の空を指していた。
ワイパーが雨筋をはじくたび、フロントガラスに藁の線が走る。
峠の先、太い縄が道をふさぎ、雨を受けて低く鳴っている。
――戻った。最初の夕方へ。
シートの上で、指が勝手にメモ帳を探す。表紙を開いた最初のページ、昨日までの字が薄い穴を開けている。
直売所の……
そこにあったはずの名前が、出てこない。
インクが滲みそうになるのを、乱暴に拭う。
車外で、人影がこちらを見る。小さな箱を提げた少年――誰だっけ、と一瞬思って、胸の奥が冷える。
「すみません、ここ、通行止めっす」
雨と一緒に若い声が滑り込んでくる。
俺は、息を整えた。同じ夜を、今度は違う順番で切り抜けるために。
読了ありがとうございます。第1幕では昼=多数決/夜=襲撃の型と、詰所の灯り・本殿裏の踏み跡が主な手掛かりでした。
第2幕は周回2、同票を意図的に作って村長の癖を読むところから再開します。ブクマ・★応援いただけると嬉しいです。