第1幕 第4話 混乱と役職方針
朝の空気は、雨の匂いを薄めただけで重さを残していた。
神社の石段に並び、点呼がはじまる。名は淡々と呼ばれ、返事が返る。ひとつ、途切れる。
「――宮守 たかお」
返事はない。
宮守 かぐらの睫毛が、わずかに揺れた。声は出さない。誰も理由を言わない。ここでは“名前”だけが欠ける。
広間に移り、全員が座る。田島 ちかが前に出る。昨日、同票を裁いた人だ。
「確認します。昼は多数決で一人を処刑、夜は人狼が一人を襲撃。今朝は宮守たかおさんの不在を確認しました。投票の内訳は出しません。落ち着いて、まず昨夜見聞きしたことを順に」
筆と紙が配られる。声が円を回る。
「二十三時ごろ、停電。十呼吸くらい。復帰直前に鈴が二度」(みなと)
「私は民宿の廊下を見回り。停電時は各部屋に声かけ。戸を開けないでと」(田島)
「詰所で待機。拍子木を二打、それから鈴の合図。停電は想定内」(長谷川)
「私は本殿側。縄の合図を見ていました。裏手の小道の踏み跡は、今朝はっきり残っていました」(かぐら)
「……夜は寝ておった。耳は遠いが、鈴は二度と聞いた」(古谷)
神谷 勝は腕を組み、短く言う。
「青年団詰所の片付け。停電で手を止めた。鈴かどうかは分からん」
俺はメモを見下ろす。昨夜、窓から見た**“長く同じ戸口に立つ影”――誰かを守る狩人**らしき姿。
言うべきか迷う。言えば、その家の主が目印になる。黙れば、俺だけの“仮説”で終わる。
「本殿裏の踏み跡は、一方向が深い。何度も往復した足じゃない。行きが重く、帰りが軽い――そんな残り方でした」
言葉を選んで口にすると、かぐらが小さく頷いた。
「私もそう見ました」
田島は視線を一巡させ、区切る。
「では、役職の扱いを決めましょう。うちの村は昔から、朝は“方針”を先に決めるのが習わしです。
占い師――夜に一人を占って人か狼かを知る人。
霊媒師――昨日の処刑者が人か狼かを知る人。
狩人――夜に一人を護衛する人。連続護衛なし/自分は守れない。
村長――同票のときだけ最終決定を出す人。昨日、私がそれでした。
名乗るか、伏せるか。今日の方針を、決めましょう」
沈黙。紙の端がこすれる音。
長谷川が先に口を開いた。
「いま名乗れば、夜に狙われる。狩人は一人しか守れない。占い師と霊媒師のどちらを守るかで揉める。伏せを基本に、**結果だけを“必要なときに出す”**でいい」
「“必要なとき”って、いつ?」
勝が刺すように言う。「**占いで黒(狼)**が出たときか?」
田島は頷いた。
「そう。占いが黒を見たら、出る価値がある。霊媒は……昨日の処刑が人か狼か。小松なおさんの色。
いま出す利点は、昨日の判断の検証になること。欠点は、夜に即、狙われること」
円の向こう側で、古谷 清の喉が小さく鳴った。湯呑みに手を添えた指が、紙の上に影を落とす。
彼が霊媒師かどうか、俺には分からない。ただ、“何かを呑み込んだ人”の動きだった。
「伏せでいいと思う」
かぐらの声は落ち着いている。「霊媒の色は朝、本人だけに届いている。
今日の昼は、居場所の矛盾と、投票の筋を見ます。色は決定打に使う。出るのは“ここ”という時だけ」
「じゃあ、占いの出方は?」
俺は尋ねた。言い出す人がいないと、空回りする。
長谷川が短く答える。
「黒一発なら出る。白(人)だけなら伏せ。白先の護衛指定はしない。狩人は自由。
狩人の名乗りは禁止。護衛先は連続不可の通り。……村長は今日も同票のときだけ動いてくれ」
田島は「分かった」とだけ言い、視線を落とした。
さっきの点呼で欠けた名前――宮守 たかお。かぐらの祖父だ。彼女は表情を整え、必要最小限の情報だけを口にしている。
「もう一つ。夜の居場所。一人でいたと言うなら、その理由を。誰かといたというなら、互いの証言が一致しているかを、きちんと見ます」
勝が口角を引く。
「昨夜の詰所の灯りの話をもう一度やるか。俺は点いていたと言った。長谷川は消えていたと言った。なおも消えていたと言った。
なおは昨日、処刑された。色は分からない。霊媒が黙ってるなら、今は誰も信用できない」
濁った水面に石がひとつ落ちたみたいに、円の中が静かになる。
田島は頷き、そこをあえて流す。
「昼までに、昨夜の時刻ごとの自分の動きを、紙に三行で書いてください。嘘は要りません。時間の前後と場所だけ。あとで見比べます」
紙が配られ、筆が走る音が重なる。
俺はメモ帳の別ページに、本殿裏の踏み跡を書き写した。行きが重く、帰りが軽い。
――宮守たかおは、本殿裏の部屋で休むと言っていた。誰がそこへ向かい、誰が戻ってきたのか。
書き終えた紙が回収される。田島が束ね、かぐらが一礼した。
「ありがとうございます。昼の議論は一時間。そのあとで多数決に入ります。
繰り返します――占い師は黒一発で出る。霊媒師は今は伏せ。狩人は名乗らない。村長は同票時のみ。
投票の内訳は非公開です。落ち着いて、言葉で決めましょう」
散会の空気になったとき、古谷 清がゆっくり立ち上がり、背筋を伸ばした。
誰にも向けずに言う。
「……“名は力”と言う。名が呼べるうちに、呼んでおけ。呼べなくなってからでは、遅い」
意味は、いくつにも取れた。かぐらは短く目を閉じ、会釈した。
広間の外で、縄が低く鳴る。昼の光は薄く、石段はまだ湿っている。
俺は胸ポケットのメモを確かめ、深く息を吸った。
今日の昼を、言葉で切り抜けるしかない。