新たな一歩
俺は学校の屋上にいた。
橙色に染まる空の下、転落防止用のフェンスに体重を預けながら地上を見下ろすと、下校や部活で移動する生徒たちの姿が見えた。
それらをなんとなしに眺めながら、大きな息をつく。
「……疲れた」
やーっと放課後になった。途轍もなく長い一日だった。
約三ヶ月と少しぶりの登校は苦労の連続だった。
まず昼夜逆転の生活に慣れた体を改善することはもちろん、必死で追いつかなければならない各授業内容、そして何よりクラスメイトや先生からの気遣いがありありと窺えて居た堪れなかった。
それについて仕方ないことだし、もし逆の立場であれば俺だってそうしただろう。
気持ちが分かるからこそ、お互いに余計な神経を使わないようできるだけ明るく振る舞って日常の雰囲気に戻そうと試みたが……やはり一日の時間だけでは無理だったみたいだ。
唯一鷹人がいつもの調子で声をかけてきてくれたから乗り切れたが、いつまで続くことやら。
「──まぁまぁ。留年を避けられたからよかったじゃないですか」
俺のすぐ隣でフェンスに背を凭れかけた霧ヶ峰が他人事のように言う。
確かに出席日数的に留年は覚悟していたが、意外にも見送られた。どうも俺の情状を配慮してくれたようで、今後の成績次第によって決めるそうだ。
「そう言うわりにはどこか残念がってないか?」
「残念ですよ。同級生になって一緒にスクールライフを楽しめるかもと期待していたので」
「お前がそんな純真なやつだったら素直に感謝するんだけどな」
「失礼ですね。先輩という肩書きが無くなって粗野な態度を取れるなんて思ってませんよ」
相変わらず生意気な後輩だ。
「無駄話はやめて、早く約束を果たしてくれ」
昨日、墓苑を去ったあと、霧ヶ峰たちに行き先を告げていなかったことを思い出した。
手ぶらで連絡手段がなかったため一度自家に帰って電話しようと思ったら、すでに家の前には高級車が停まっており、玄関先で逢花が霧ヶ峰と三船さんの応対をしているところだった。
わざわざ霧ヶ峰邸に戻るのは時間が勿体ないということで、そのまま家に上がってもらってリビングに通し、ユミルの物語についての物語の事細かな内容や俺の感想などを話した。
そして霧ヶ峰の目的について訊いてみた。なぜアンフィニシュトの書を集め、ハッピーエンドを望むのか。ユミルのハッピーエンドを達成できれば教えるという約束を覚えていたのだ。
しかしその時にはもう時間も遅く、『続きは明日の放課後に学校の屋上で話します』と言われたため、仕方なくその日は帰ってもらったわけだが。
霧ヶ峰はわざとらしく首をかしげる。
「約束? はて、何のことやら」
「鳥頭かよ。意味のない時間稼ぎはやめろ。というか、なんで屋上でなんだ?」
「私は人気者ですからね。異性の生徒と二人きりで行動して噂でも立ったら面倒です」
「だったら尚更、学校外で会うのがいいだろ」
「このあと部活があるので」
「お前、部活に入ってるのか」
イメージ的に文化部か、でも体力お化けだから運動部の線もあるか……。
「気になります?」
「いや、どうでもいい」
「そうですよね、やっぱり気になっちゃいますよね」
「会話をしろ、会話」
「聞いて損はありませんよ。私の目的と関係が無きにしも非ずでもないわけでもなかったり」
「ややこしいわ。……ったく、分かりやすい話の逸らし方してまで言いづらいことなのか?」
霧ヶ峰は図星を突かれたというように俺から目を逸らして黙るが、やがて無言の間に耐えられなくなったのか、小さなため息をついた。
「これは分かっていると思いますが、私の目的を果たすにはアンフィニシュトの書を深く知る必要性があり、今後もヒロインのハッピーエンドを目指すことになります。
正直に心のうちを明かすと……断られるのが怖いんです。今回の物語は清次先輩にとって得るものや本心からヒロインを助けたいという気持ちがあったからこそ乗り越えられましたが、これから先の物語がそうとは限りません」
たしかに今回は経緯が経緯だ。霧ヶ峰に助けてもらったお礼で訳が分からないまま本の世界に迷い込み、ユミルと出会って彼女の人柄がハルと重なったからハッピーエンドまで完走できた事実はある。
しかし、アンフィニシュトの書の性質を知っている今、見知らぬヒロインの為に自分から苦難に飛び込むなんてお人好しにも程がある行いをしようとは普通は思わない。
「だから俺が怖気づいて拒否するってことか? 随分と精神を柔に見られたものだな」
「でも身を持って体験したでしょう。同じ時間を繰り返す残酷さを」
「そうだな。記憶がこんがらがって頭がどうにかなりそうだった」
「ですから、私は悩んで言えな……」
「だけど、そうなった時はまたお前が助けてくれるんだろ?」
「────! ……保証はできませんよ。清次先輩が私の言葉を素直に聞かないといけませんから」
「助けないって言わないなら十分だ」
「……本当にいいんですか? 大変な目に遭うのは目に見えて明らかですよ」
「前に中途半端は嫌いだって言っただろ。真相が有耶無耶で終わるほうがよっぽど辛い」
それに、きっとハルだったら困ってる人のことを放っておかないだろうしな。
霧ヶ峰は真意を探るように俺のことをまじまじと見つめてきたが、少ししてフッと口元を緩めて「やっぱりあなたになら……」と呟くように言った。
「俺になら、何だよ?」
「いえいえ、ただの独り言です。では改めて今後ともよろしくお願いします────ということで、手始めに私の部活に入部してください」
「は? なんでそうなる?」
「今後も話し合いをする機会が増えていくとなれば、周りに誤解を招かないためにも何かしらの接点が必要でしょう。部活なら学年関係なくても自然ですしね」
「俺が帰宅部の体で話を進めるな」
「でしたら今すぐ辞めてください。何ヶ月も顔を出していない人が復帰したところで足を引っ張るだけですし、心情的にも接しづらいのでみんなの活動の妨げになります。邪魔です邪魔」
「事実でももっとオブラートに包めよ…………仮に俺が入る判断をしたとして、お前はよくても部長や他の部員の意見もあるだろ」
「部長は私なのでご心配なく。断固として異論は言わせません。それに私含める三人の小さな部ですから、そこまで気を張らなくて大丈夫ですよ。ちなみに全員女子です。ハーレムを築けますね」
「それはそれで居心地が悪そうだな…………まぁ一年の時からやってる部活を続けるつもりはなかったから、幽霊部員みたいな扱いでいいのならいいけど……」
「じゃあ決まりですね! 早速、今から部員たちと顔合わせしましょう」
「お、おい。さすがに今日は急すぎるだろ。それに結局お前の目的は何なんだよ?」
「それは正式に入部してくれた時に話します。ささ、思い立ったが吉日ですよ〜!」
俺の気持ちなんて一考すらもせず、霧ヶ峰は上機嫌にスキップしながら屋上の扉に向かう。
「はぁ。先が思いやられる」
でも、もう立ち止まるつもりはない。
ユミルが教えてくれたから。
ハルに誓ったから。
二人のくれた想いが俺を後押ししてくれる。
「清次先輩! 早く早く!」
「分かったから急かすな」
俺は返事をして、新たな未来に続く一歩を踏み出した。




