死地と御神木
「これは……ひどいな……」
目の前に広がった惨状を見て、俺は顔を顰めた。
現在、俺たちはラナフィナの家から東西に進んだ所に来ている。
三十分ほど前、ラナフィナの家で仕事の話を聞いたかぎり、森の環境保全の主な内容は、森の枯れた地域(通称、死地)の侵食具合を調べることだった。
実際にその場所へ赴き、枯れた箇所とそうでない箇所の境目を辿りながら範囲を測定し、ラナフィナが森の全貌が記された羊皮紙の地図にその詳細を描き込む。のちに複製したものを森民に配る(森の現状を知らせるためと倒木などの注意喚起のため)が一連の流れだ。
その話を聞いた時は、あちらこちら歩き回らないといけないから大変そうだなぐらいにしか思わなかったが、今、死地を目の当たりにしてそんな怠惰な気持ちは少しも湧かず、心に募るのは危機感だ。
死地という名が大仰でないことを表すように、目に映る全てが枯れ果てている。
緑はどこにもなく、茶色に染まった世界。木々は助けを求めるように腐食した幹や枝を項垂れさせ、涙を流すように枯れ葉を地面に落とす。
当然なことに妖精や小動物の姿はない。背後の緑あふれる穏やかな雰囲気と比べると余計に、胸が締めつけられるほど物悲しい光景に思えた。
隣にいるラナフィナは一度俺の顔を見上げたあと、三歩先に進んで立ち止まり、こちらを振り返る。
「今、我が立っている場所は、ちょうど一週間前の調査ではまだ死地でなかった」
「────! 侵食ってそんなに早いのか……」
「これでも三か月前よりはマシになったほうだがな」
ラナフィナの歩幅が約五十センチぐらいだから、ひと月で六メートルの緑が失われる計算か。これが十年、百年と続いていけば街にも被害が出るだろう。
「原因は分かっているのか?」
「ああ」
「何なんだ?」
「お前が知ったところでどうしようもない」
「……そりゃそうかもしれないけど教えてくれるぐらい…………ユミル、大丈夫か?」
枯れた大地を一途に見つめているユミルの顔は深い苦心に満ちていて、どこか気分が悪そうだ。
「……あ、うん。ここには何度も来てるけど、やっぱり見ちゃうとね……」
「だから調査は我一人でするといつも言っているのに」
「それはダメだよ。浄化の神子のわたしが目を逸らしちゃいけない」
「なら、仕方のないことと分かれ。お前のせいじゃない。自身を責めるな」
「……うん」
まるでユミルにならこの状況を変えられるというような口ぶりが少し引っかかったが、あえて訊ねるまではしなかった。
そこで俺たちは感傷に浸るのを止め、目的に移った。
調査毎に死地を取り囲むようにサークルの印を魔法で地面につけているようで、それを浮かび上がらせて現状と比較しながら、どの部分がどれだけ侵食しているのか、また同時に木々や落ち葉の枯れ具合もチェックする。
範囲が広いので方々に散らばって調べていく。
やがて俺が枯れた樹木を調べていた時、ラナフィナが近づいてきて声をかけてきた。
「どうだ? 何か変わった点はあったか?」
「俺から見れば異常ばかりだ。この木なんて触っただけで表面が崩れるほど脆くなってる」
「どの樹木もそうだ。いずれ自重に耐えれなくなって倒れ、地面の上で息絶える」
「凄惨な最期だな……」
「…………」
「……何だよ? 何か言いたそうな顔して」
「……お前に訊きたいことがある。ユミルのことをどう思っている?」
「何なんだその脈絡のない質問は」
「昨日から共に行動しているのだろう? あの子に対しての気持ちを聞かせろ」
「そんなこと言われても、昨日知り合ったばかりだから何とも……」
「べつに深い意味で聞いていない。話しやすいだとか、容姿が好みとか、浅いものだ」
「それならまぁ、全く知らない俺を警戒せずに助けてくれたことや、森民たちの気持ちに寄り添った仕事ぶりを見て、心根の優しい人間だなとは思ってるけど」
「ふむ……」
ラナフィナは真面目な面持ちで黙る。何をそんなに考えることがあるのか。
「つまりユミルに対して悪い印象は抱いていないのだな?」
「だからそれを感じるほど一緒にいないって」
「第一印象の話だ」
「あれだけのお人好しに嫌いになる要素なんてないだろ」
「ならいい」
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
「……いや。この森にはユミルと年の近しい者がいないからな。お前にとっては道に迷った不運な経緯ではあるが、あの子の会話相手になってくれると我としても助かると思ったのだ」
お兄さんにも似たようなことを言われたな。ただユミルの交友関係を心配しているだけか。
その後は、ふたたび調査を黙々と続けて時間が過ぎていった。
調査を始めておおよそ二時間の末、最後に三人で集まってそれぞれ調べたことを報告し、照らし合わせ、死地の広域化に改善傾向なしという残念な結果で終わった。
***
死地をあとにする。
滅入った気を晴らすように三人で雑談をしながら歩いていた時、距離的にラナフィナの家でも街でもない方向に歩みを進めていることに気づいた。
「今更だけど、今どこに向かってるんだ?」
「あっ、そういえば言ってなかったね。今から行くのは御神木のところだよ」
「御神木?」
「うん。簡単に言うと、この森の中心にある一番高くて大きな樹木のこと」
「なんか聞いただけで大層なものっぽいな。余所者の俺が立ち入っていい場所なのか?」
「少しでも不敬なことをすれば、足元から生気を吸われて根の養分にされるぞ」
「え、マジか……」
「ふふ、ラナフィナの冗談だよ。特殊なものではあるけど見る分には危険じゃないし、森民以外の人が入っても大丈夫だから安心して」
見る分には、という言い回し的に絶対の安全というわけじゃないらしい。
まだ未知なるものが待ち受けているのかと少々警戒した気持ちで歩くこと数分、その場所に辿りついた。
「──────」
その大樹を目にした瞬間から、俺の思考は止まった。
一帯は街近くの湖のように視界が開けており、その中心に鎮座する御神木。彼我の距離がまだ遠いのに目線を動かさないとその全体像が掴めないほど幹は極太かつ、天空に続いているように背高い。あれだけデカいと驚いていた周囲の巨木たちが今では小さく見えてくる。
そして周りの地面には、まるで御神木に付き従うみたいに、淡く発光する青い花が無数に咲き誇っている。
しばらくの間、何も考えられずにその壮大な姿に目が釘付けになっていたが、やっと目が慣れて思考できるようになった時に遅くながら思い至る。
ユミルの存在と同じで、この光景も霧ヶ峰から押し付けられたあの本の挿絵に載っていた。偶然か、それとも……。
今日は朝から考えないようにしてきたが、こうも類似点が複数見つかると夢の一言で済ませられなくなってくる。
しかし、でなければ何だというのか。お伽噺のように本の中に迷い込んだとでもいうのか。そんな非現実的なことがはたしてあり得るのか……。
「──キヨツグ、どう? 御神木は?」
ユミルの声で思考は途切れた。
「……ああ。なんか神聖なオーラが出てて圧倒されるな」
「でしょでしょ〜。あの御神木は森の中核で、この森にある全部の樹木と根が繋がってるらしいよ。要は森の根幹を担ってる大事な大樹ってわけだね」
「へぇ。それで、そんな重要な所に何しに来たんだ?」
「御神木の様子見と、明日の〝浄化の儀式〟のためだよ」
「浄化の儀式?」
知らない用語だが、そういえば昨日の見回りの時に森民たちが口にしていたような。
無言で御神木に視線を注いでいたラナフィナがこちらを見上げる。
「毎年行われる祈祷、詳しく言えば浄化の神子による瘴気を払うことだ」
「瘴気を払う……ただ感謝を捧げる伝統行事ってわけじゃなさそうだな」
「まぁその面もあるがな。御神木の地下には、御神木の生命である核が存在する。人間が年老いて弱っていくように、核には歳月をかけて瘴気が溜まっていくのだ。放っておけば他の木々にも影響が出てくる」
「そう。だから浄化の力を持ってるわたしが瘴気の量を減らして森を安定させてるの」
なるほど。あの不思議な治癒の力で御神木の生命を存続させているわけか。
おそらく死地の原因は核の瘴気なのだろう。昨日、湖で昼休憩を取っていた時に言っていた浄化の神子の重要な仕事というのも、それに当たるわけだ。
「儀式には森民も総出で立ち会うのか?」
「ああ。だが核の瘴気は普通の者にとって毒だ。同じ空間に一分もいれば意識を失うだろう。だから地下には浄化の神子と魔法で身を守れる我で入り、森民たちは外で我らの戻りを待つのが恒例だ」
「瘴気ってそんなに危険なものなのか……」
「核にさえ近づかなければ平気だよ。地下に続く扉はラナフィナが魔法で閉じてるしね」
大樹の核というものがどんな見た目なのか気になったが、近づけないのではしょうがない。
そこで話は終わり、ユミルとラナフィナは明日の儀式についての段取りを話し合い始めた。余所者の俺が居ても邪魔になるだけなので、その間は二人から少し離れて御神木を眺めつつ思考に耽っていた。
***
夕暮れに染まる街のメインストリートをユミルと肩を並べて歩く。
「────はぁ〜。いろんなとこを見て回れて楽しかったね! 一日でこんなに街の中を歩いたのは久しぶりかも」
「昨日も結構歩き回ったけどな」
「仕事とプライベートでは気持ち的に全然違うんですぅー。今日はキヨツグもいるしね」
「荷物持ちって意味か?」
「そうそう、両腕が楽ちん楽ちんって……うそうそ。愉快なお喋り相手としてだよ」
ユミルは上機嫌に笑う。
儀式関連のことが正午を少し跨いで終了し、その場でラナフィナに見送られて御神木を去ったあと、今日はもう特にやる仕事がないということとまだ昼食を取っていなかったこともあり、街のメインストリート辺りで過ごそうとなったのだ。
レストランや雑貨屋、ブティックなどなどユミルに連れられるままに巡った。
昨日も一通り街中を見たつもりだったが(後半はほとんどカイたちの遊びに付き合わされていたが)まだまだ知らない場所が数多くあり、人口に対しての街の広さに驚いたものだ。
「そういうキヨツグは楽しくなかったの?」
「え、ああ。この両手の重い荷物が無ければ楽しめたかもな」
「女の子には入り用な物が多いんです。それにキヨツグの分も入ってるんだからね」
「うそだよ。持つって言い出したのは俺だしな。でもまさか行く先々でこんなに貰うとは……」
両手を塞ぐ縦長の籐かごには、衣服や食材などがぎっしりと入っている。
この街にはお金の概念がなく、お互いの得意分野を活かして物資を生産し、それを分け合いながら暮らしている。
そして、やはりユミルは別格のようで、こちらが遠慮するほど沢山の物を渡された。
ユミルも俺の手にある荷物を見て苦笑いする。
「ほんとにね。すごくありがたいことだけど、ここまで気遣わなくてもいいのに」
「でも実際、ユミルのおかげで森が存続してるわけだからこの厚意は当然な気もするけどな」
「ううん。たとえ森が無事だとしても、衣食住の提供に携わっている人がいなかったら生きていけないし、そもそも住まう人がいなかったら意味ないしね。わたしだけじゃなくて、みんなの力のおかげだよ」
「そうか? 謙遜しすぎだと思うけどな」
だがきっと、こういう威張らない考え方が森民に愛される理由の一つなのだろう。
それから店での出来事を話しつつ、家に帰っていた時。
「──あ、兄さんだ」
その声に前を向くと、向こうからこちらに歩いてくるアリウスさんの姿があった。
アリウスさんは俺たちに気づくと、「おー、二人とも……」と片手を上げつつ覇気のない声を出す。なんだか疲れているご様子だ。
「兄さんが疲れてるなんて珍しいね。どうしたの?」
「ちょっと野暮用で、昨日からあちこち歩き回ってたんだ。二人は帰り? すごい量の荷物だけど、どっかに寄ってたのか?」
「そう! 仕事が正午過ぎに終わったから、ずっとキヨツグと一緒にメインストリートを回ってたの!」
「おお、やけにご機嫌だな。そんなに満足いくものだったのか?」
「うん! 久々に楽しめた! ……あ、でも、キヨツグってばわたしが目を離した隙にすーぐ迷子になるから捜すのが大変だったかな」
「おい、語弊はやめろ。店を出た時にちょっとだけ方向を間違えただけだ」
「だいぶ違ってたけどね。あのまま行ったら確実に迷ってたよ」
「し、しょうがないだろ。昨日来たばかりなんだから」
「ちゃんと木々の顔を見て判断しないと」
「そんな上級者的なことできるか」
「この街では当たり前のことです……って、兄さん、なに? 黙ってわたしの顔を見て……?」
呆然とした様子だったアリウスさんはハッとして、わざとらしく口元に手を添える。
「いや。ユミルに冗談を言い合える友達ができてよかったなと心の底から思って……」
「人をぼっちみたいに言わないで!」
「キヨツグ君。これからもユミルと一緒にいてやってくれ」
「キヨツグは今しかたなくここにいるの! 兄さんは早くキヨツグを道案内してあげて!」
「でもキヨツグ君と別れることになった時のユミルの泣く姿はとても見てられないし」
「泣くかぁ!」
相変わらず仲の良い兄妹だな。
それからユミルがあれこれと不満を募らせたが、結局はアリウスさんの意見は昨日と変わらず忙しいの一点張りで俺のことは保留になった。
アリウスさんは逃げるように去り、俺は憤然やるかたないユミルを宥めながら家路についた。




