平和で幸福な世界で唯一不幸な人物
この上なく偉大な指導者がいた。その男はいがみ合う国々を和解させ、貧困や差別をなくし、世界を平和にしていった。
彼の後を継ぐことは、どのような人にも機械にも不可能だろうと言われるほどの男だった。
だが、どれほど偉大な人物であっても老いと死は訪れる。いまこの男は不治の病に侵され、その輝かしい生涯に幕を下ろそうとしていた。
人々はこの偉大な男の死は、世界がまた戦乱と貧困と差別に逆戻りしてしまうことを意味していると思い、どうにかして彼を、ほんの少しでも長く、可能ならば無限に生きられるようにできないかと考えた。
幸いなことに戦争はなくなったために各国にはそれまで軍事費として使われていた金があり、差別がなくなったために人々が協力するための障害はなかった。
そうして彼を生かすための研究が猛スピードで進められ、ついにはどんな病でも癒し、人を半永久的に生かす薬、すなわち不死の薬が完成した。
この薬はすぐさま偉大な指導者に投与された。すると指導者の老いた顔からは皺が消え、皮膚は張りを取り戻し、体は壮年の頃の力強さを取り戻した。
そうして病は完全に消え去り、目を覚ました男に、薬を投与した医者が言葉をかける。
「あなたは完全に不死の体となりました。どうか、これからも私たちのことをずっと導いてください」
すると指導者は顔を青ざめさせ、震える声でこう言った。
「貴様らのような、全てを人任せにしないと安心できない者どものことを、これから先ずっと導かなければいけないだと? どんな罪を犯せばそこまでむごい罰を受けなければならないのだ?」
そう言った直後に指導者は近くにあった刃物で発作的に自分の心臓を貫き自殺をした。しかしそれでも薬の効果で指導者は死ぬことなく、ただ血が流れるだけであった。
それから数百年のときが過ぎた。指導者は未だに人々を導き続け、平和になった世界でも、それでも起こってしまう問題を次々と解決していた。
人々は偉大な指導者に日々感謝を捧げながら、幸せに暮らしていた。
そんな平和で幸せな世界で指導者は時折、様々な手段で自殺を試みては失敗をして、そのたびにため息を吐くと、この世界で不幸なのは自分だけだと嘆きながら、それでも人々を導き続けていた。
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