第九話 伝説の始まり 〜山梨国際大学編②〜
オツオリは、決して最初から速い選手ではなかった。
来日当初、オツオリの一万メートル走ベストタイムは、30分台であった。
箱根駅伝で活躍できる選手の平均タイムは、28分台と言われている昨今において、
オツオリは、とても箱根駅伝で通用するランナーではないと言われていた。
第九話 伝説のはじまり 〜山梨国際大学編②〜
山梨国際大学陸上部・監督の植木の指導もあり、
オツオリは、長距離ランナーとしての才能を
開花させていった。
それ以上に、彼の競技に真摯に取り組む姿勢や
日常生活での礼儀正しさは、全部員の見本と言われるほど
成長を見せていた。
しかし、一年生のときは、日本の寒さに対応できず、駅伝大会の出場はなかった。
それでも地道に努力を重ね、二年生の箱根駅伝では、ついにエース区間の二区に抜擢された。
この大会で彼は、のちに、オツオリ激走伝説と呼ばれる活躍をみせ、観客や他校の度肝を抜くことになる。
レース中に不調に陥った1区走者から、最下位で襷を受け取ると、驚異的なスピードとスタミナで前方のランナーを置き去りにする。
ゴール時には、前人未到の20人抜きとトップでの襷リレーをやってのけ、自身も当時の区間新記録を打ち立てた。
その勢いのまま、ヤマガクは3区から5区までトップで
襷リレーをし、往路優勝を果たした。
最終的には優勝候補であった純天王寺大学と駒ノ澤大学に追い上げられ、総合三位でフィニッシュしたが、
誰もが、ヤマガク時代の到来を予感していた。
あの事件がおこるまでは…。