意外な対応
ところが、予想に反し、その後行われた話し合いは完全にエリスが有利な方向で進められた。
時間帯的に夕食の席での報告になり、クリストファーはまずは急な訪問を両親に詫びてから、おもむろに手帳を取り出す。
「今日、ネイトがエリスさんに婚約破棄を言い渡しました。
しかし、誤解しないでください。エリスさんは何も悪くありません。完全に言い出したネイトの有責です。
その証拠として、これからネイトがエリスさんに課した、あきらかに異常な禁則事項を読み上げましょう」
前置きしたクリストファーは、信じられないことに、婚約者の心得114箇条を全て読み上げてみせた。
「帝立学院に入学してからしか知りませんが、これらを全て守らないと婚約破棄すると、ネイトは実に5年間以上、エリスさんを脅し続けてきたのです」
「まあ」
母が驚きもあらわに口元を手で押さえる。
「今回、エリスさんに婚約破棄を突きつけた理由も、単にネイトの迎えを待たずに図書室に本を借りに行ったという、あまりにも下らなすぎるものでした」
「本を?」
父が衝撃を受けたように目を見張る。
「もちろん今まで近くでただ傍観していた私にも大きな責任があります。
せめてものお詫びとして、両家での話し合いの前に、先に私がガーランド公爵家に行って話をつけておきましょう」
クリストファーの発言に、さすがに父が気後れしたように言う。
「しかし、皇太子殿下にそこまでして頂くのは……」
「遠慮は無用です。私自身が望んでそうしたいのですから。
もちろん、バレット伯爵家のために可能な限り便宜を図るとお約束します」
元々、クリストファーは人一倍責任感が強く、エリス以外には公正な人なのだ。
「父上、ここまでおっしゃって下さっているのですから、皇太子殿下にお任せしましょう」
そこで同席していたルーカスが初めて意見した。
まだ12歳ながら次期当主としての意識が高い、しっかり者のエリスの弟だ。
ちなみに伝統的に男尊女卑のバレット伯爵家では基本的に母やエリスは聞き役だった。
「それでは、誠に恐縮ですが、皇太子殿下にお願い致しましょう。
今、婚約誓約書の写しを持ってこさせます」
申し出を受け入れた父に対し、
「ありがとうございます、バレット伯爵。
お任せ頂けて嬉しいです。さっそく今夜から取りかかりましよう。
信頼は裏切りませんので、ご安心ください」
クリストファーはとても尊大なネイトの親友とは思えないほど腰の低い態度で請け合った。
ひとまず話が纏まった食事の終了後、エリスは母に言われてクリストファーを玄関先まで見送るはめになる。
別れ際、またもやクリストファーはエリスの手を握りながら、至近距離から顔を見下ろしてきた。
「エリス。何も心配いらない。これからはずっと私がついている。
もう二度と君だけに辛い思いはさせないからね」
「……ありがとうございます」
一応お礼を言いながらもエリスは内心不満だった。
(後から悪いと思って責任を感じるぐらいなら、5年間も傍観せずネイト様に注意してくれれば良かったのに。
相談に乗ってくれるのが婚約破棄されてからなんて遅すぎる!)
「では、明後日、また学院で」
「はい、クリストファー殿下」
名残惜しそうに手を離し、挨拶して去ってゆくクリストファーの長身の背中を見送りつつ、胸のもやもやがおさまらないエリスだった。
クリストファーが帰った後、今度は居間で家族会議が開かれる。
「エリス、お前、結婚までのたった数ヶ月ぐらい我慢できなかったのか?」
「お父様の言う通りよ。性格はともかく、容姿と条件は最高のお相手だったのに……」
「そうだよ、姉さん。もっとうまく立ち回れなかったの? まったく、要領が悪いよね」
両親が嘆き、弟に馬鹿にされる。
「ごめんなさい。限界だったの」
エリスの父は『女は男に従うべき』という古い考えの持ち主で母もそれに従っている。
親から思想を受け継いだ弟もエリスを見下していた。
クリストファーには言えなかったけれど、『婚約者の心得』についてもすでに両親には相談済みで『我慢しろ』と言い含められていた。
かなり緩和されたとはいえ、しばらくバレット伯爵家での自分の立場は辛いものになりそうだ。
エリスが暗い気分でそう考えていたとき、
「失礼いたします、旦那様、奥様。
フロラ様がいらっしゃいました」
執事のジョンが現れ、不意の訪問の知らせをした。
父が眉をひそめる。
「フロラがこんな時間に?」
エリスも驚いた。
実家を嫌い、滅多に寄り付かないフロラがなぜ急に?