婚約破棄と介入者
「いるんだろう? 出てこい」
ネイトが探しに来たと認識した瞬間、鼓動が高鳴る。
「エリス、どこだ?」
近づいてくる声に、緊張で身を硬くしながら通路を凝視していると、本棚の間からネイトと、なぜか続いてクリストファー、生徒会のロニーとマシュー達が姿を現した。
「エリス!」
エリスを見つけたネイトは怒りの形相を浮かべ、まっすぐ駆け寄ってきた。
思わず身構えた彼女を庇うように、さっとレジーが前に立つ。
「なぜ、お前が一緒にいる! どけっ!」
勢いのままにレジーに掴み掛かろうとしたネイトをクリストファーが背後から抑える。
「止めろ、ネイト」
「離せっ、クリス! エリスっ、なぜ、教室で待っていなかった!」
エリスはレジーの肩ごしにネイトを覗き見ながら答える。
「図書室に寄るのを、昨日のようにネイト様に止められたくなかったからです!」
「なんだ、それは! 謝るどころか、開き直るのか?」
確かにいつもならすぐ口ごもるか謝っている。
でも、それでは今までもと何も変わらない。
結婚前に少しの自由を勝ち取るべく、今日は可能な限り抵抗する構えのエリスだった。
「だって、ネイト様は横暴すぎます!」
勇気を出して言うと、ネイトは片眉を下げ目をすがめた。
「エリス、そこまでにしろ。俺に逆らうな、さもなくば……」
「さもなくばなんですか?」
エリスの問いをいったん無視して、ネイトはぐいっと手を差し出してきた。
「いいから、こっちに来い。帰るぞ!」
「まだ帰りません。本を選んでいませんから」
「俺の言うことをきけ――さもなくば、婚約破棄だ!」
ついにネイトが決まり文句を言い放つ。
その時、レジーに色々言われたばかりのエリスは、衝動的に試したくなった。
ネイトは簡単に自分を切り捨てたりしないと無性に確認したくなったのだ。
意を決したエリスは、レジーの陰からすっと出て、ネイトの前まで行くと、しっかりとその精悍な顔を見上げた。
「でしたら、婚約破棄を受け入れます!」
口では言いながらも、エリスは祈るように期待していた。
脅しただけで、婚約破棄なんかしない。
本を借りたいなら、少しだけ待ってやる。
なんでもいいから、ネイトが否定の言葉をくれることを。
しかし、驚いたように真っ青な瞳を見開いたネイトの口から出てきたのは、
「本当にいいんだな?」
という確認の言葉だった。
瞬間、エリスの胸は大きな失望と、悲しみと怒りで染まる。
婚約者の心得を押し付けられてから7年間、エリスはほぼネイトの言いなりになって来た。
それをたった、一度、本を借りに来たぐらいで婚約破棄されるなら、レジーが言っていたように自分はそれまでの存在。
ネイトにとっていくらでも代わりのきく、大して価値のない人間なのだ。
だったら撤回して結婚して貰ったところで、ネイトに好きな女性ができたとたん捨てられるだろう。
それならいっそここで終わらせた方が良い。
エリスは必死に泣くのを堪えて、
「……はい……」
と頷くしなかった。
すると、突然クリストファーが、強引に二人の間に割り込んできた。
「ネイト、お前は今エリスに婚約破棄を言い渡した、ということで、間違いないか?」
「クリス、何をっ」
ネイトがとまどったような表情でクリストファーを見る。
「そして、エリス、君はそれを受け入れたんだな?」
容赦なく傷口をえぐってくる質問に、いたたまれなくなったエリスは、
「そうです!」
叫ぶと同時に、この場から逃げたい一心で駆けだしていた。
「待てっ、エリス!」
ネイトが制止の声をあげたがもう命令に従う必要はない。
惨めさにエリスの両目から涙が溢れた。
結局本を借りずに図書室から飛び出し、廊下を角まで走ったところで、エリスは誰かに肩を掴まれる。
ネイトが追って来たのかと期待して振り返ると、そこにいたのはレジーだった。
「エリス、大丈夫?」
全然大丈夫じゃないエリスが俯いて泣いていると、バタバタした足音が近づいてくる。
今度こそネイトかと思って顔を上げたエリスは、直後、目を疑う。
「エリス、待ってくれ!」
金髪を振り乱し、遅れてやってきたのはなんとクリストファーだった。
(私を嫌って散々無視してきたこの人がどうして?)
疑問に思って見つめていると、目の前に来たクリストファーにいきなり両手を掴まれてしまう。
そうしてエリス同様、呆気にとられた様子のレジードの前で、
「よく勇気を出してくれたね」
謎のねぎらいの言葉をかけられ、ぎゅっ、と手を握られる。
「ここからは私に任せて欲しい」
「え?」
「口頭だけでは婚約破棄は成立しないからね」
言われてようやく理解する。
先刻の確認もそうだが、気に食わない親友の婚約をきっちり終わらせるため、わざわざ出張って来たのだ。
(そこまで私の存在が目障りだったのね)
そう思って見上げてみるとクリストファーの麗しい顔は喜びに輝くようだった。
「さあ、エリス、行こう」
と、クリストファーが勝手にエリスの手を引いて玄関に向かって歩き出す。
「行くって、どこにですか?」
「もちろん、君のご両親の元へだ。まずは婚約破棄された事実を伝えないといけないからね」
当然のように答え、そのまま有無を言わさず表へ連れ出し、馬車に乗るように促す。
その間もその後もクリストファーはエリスの手を握ったままだった。
バレット伯爵邸に到着すると、皇太子を伴って帰宅した娘を、バレット伯爵夫人が驚きの表情で出迎える。
居間に通されたあともクリストファーはエリスの手を離さず、ソファーに並んで座ってバレット伯爵の帰りを待つはめになる。
婚約者だったネイトとだってこんなに長く手を繋いでいたことがない。
(どれだけ私を逃がしたくないの?)
しかも、最悪な状況に涙が止まらないエリスを、いかにも味方然とした優しげな声で慰めてくる。
「君は何も言わなくていい。経緯は私が説明するから安心して欲しい」
そう言われても逆に安心できないエリスだった。
(親友のネイト様を擁護するに決まっている!)




