相談
昼休み。
教室の入り口へ行くと、呼ぶ前にエリスが席から立って近づいてきた。
「ネイト様。迎えに来て下さってありがとうございます」
お礼を言われたネイトは、思わずぼうっとして固まってしまう。
(――ああ、まただ――)
エリスが自分に笑いかけてくれる。
遠い昔、『奴』に向けていたような、いかにも嬉しそうな顔で。
たったそれだけなのに――まるでずっと望んでいたものが手に入ったような幸福感が胸に広がる。
(今日のエリスはいったいどうしたのだろう?)
キースの新しい教えをまだ一つも実践していないのに、すでに好意的な態度に変わっている。
理由はわからなくても、ネイトはただ嬉しくて、これが夢なら覚めないで欲しいと思った。
中庭に移動し、木陰の芝生の上に並んで座ると、最初にエリスがお礼を言ってくる。
「まずは、昨日は助けて下さってありがとうございました」
それから、羽毛のような金色のまつ毛を伏せ、ためらいがちに切り出してくる。
「あの、それで、昨日のレジーとのことなんですが、誰にも言わないで貰ってもいいですか?」
「……しかし……」
「お願いします。結局は何もされていませんし、悪いのはどう考えても私なので……」
不安げに瞳を揺らすエリスを、ネイトは安心させてやりたくなった。
「……エリスが頼むなら黙っていよう……」
「ありがとうございます!」
エリスが笑顔に戻って安心したら、また一瞬にして表情が曇ってしまう。
「ごめんなさい。実はお昼に誘ったのは、ネイト様を気遣ってというより、相談したいことがあったからなんです」
「相談。俺にか?」
「はい、クリストファー殿下のことなんですが……」
「ああ、昨日、結婚を回避したいと言っていたな」
(それなら俺とまた婚約すれば――と、言いたいところだが、俺にうんざりして婚約解消を望んだエリスが受け入れるとは思えない)
「はい。もう、どうしたらいいか、わからなくて……。
父にも私との結婚を匂わせているみたいだし、今日から皇太子妃教育を皇宮で受けさせられるらしいんです。
どちらもはっきり言葉で言われたわけではないのですが、状況的に間違いないようなので困っています」
泣きそうな表情で言うエリスを笑顔に戻したくて、ネイトは自分が知っていることを話す。
「クリスはエリスと自分が両思いだと思い込んでいるからな」
「ええっ!? なんでそんなことに!?」
エリスの疑問を解消するために、今度はクリスが勘違いした理由である入学式の話をネイトはした。
すると、エリスは口元に手を当てて笑う。
「運命の相手なんて――クリストファー殿下ってロマンチストなんですね」
その反応を見てネイトはつい訊きたくなる。
「エリスは、運命の出会いを信じていないのか?」
「信じるも何も、一目見た瞬間運命を感じるって、要するに相手の外見が凄く好みだったってことでしょう?
私は、たとえそうであっても、嫌いな性格の人を好きになるのは無理なので、個人的には成り立たないですね」
断言するエリスの言葉を聞きながら、ネイトは自分のことを言われているようで、心臓が痛くなった。
◆◆◆◆
(つまり、クリストファー殿下は私の容姿が好みってことなのね。
中身は嫌いだけど我慢する感じなのかしら?)
考えながら、エリスの口から深い溜め息が出てしまう。
「いったい、どうしたら、いいんでしょうか?」
一晩悩んでも答えが出なかった問いに対し、驚くほどあっさりとネイトが答えてくれる。
「クリスに結婚を諦めさせたいなら簡単だ。あいつの希望は両親みたいな恋愛結婚だから、エリスに恋愛感情がないことをはっきりわからせてやればいい」
「そうなんですか!」
ネイトは深く頷いた。
「ああ、あいつに言わせると、嫌がる相手を無理やり縛るのは愛じゃないそうだからな。エリスに気持ちがないと知ったら、間違いなく手を引くだろう」
(さすが親友なだけあってクリストファー殿下を理解しきっている)
「ですが、今のところはっきり言葉にされていないのに、どうやって伝えればいいんでしょうか?」
「そうだな」
ネイトは切れ長の眼を細め、引き締まった唇に指を当てた。
「クリスの中では、出会った瞬間お互いに運命を感じ合ったにも関わらず、『俺との友情を考え、身を引こうとしている』エリスの気持ちを優先し、今は想いを堪えている状態みたいだから。
頭から順に誤解を解いていけばいいんじゃないか? 正直に話せばクリスならきっとわかってくれるだろう」
『正直に』という部分に、エリスは自分が今まで言いにくいことを避けて話していたことに気がついた。
「……そうですね、おっしゃるようにやってみます」
(どうせなら、クリストファー殿下だけではなく、この際、ネイト様にも洗いざらい話してしまおう)
「ネイト様にも立ち合って頂いてもいいですか?」
「もちろん構わない」
ネイトの返事を聞きながら、エリスは(クリストファー殿下の求婚を断った場合、父から勘当されることはネイト様に黙っていよう)と思った。
クリストファーの勘違いを正せば、きっと「結婚」の二文字を口にされることにはないだろうと信じて。