頼れる相手
翌朝、エリスは見事に寝不足だった。
ネイトに婚約破棄された時でさえ割と寝られたのに、今回は朝方少し眠れただけだった。
「おはようエリス」
そんなエリスの状態も知らず、悩みの元凶である人物が今日も爽やかな笑顔を向けてくる。
「……おはようございます、クリストファー殿下……」
内心うらめしく思いながらもエリスは皇室専用の馬車に乗り込み、マシューと三人で狭い密室に閉じ込められた。
すると、すぐに例の感覚が襲われる。
(ああ、やっぱり、駄目だわ)
肌が粟立つ感覚に耐えながら、エリスは絶望的な気分になる。
男性が近くにいるだけで怖気を感じる、こんな状態では結婚自体が無理に思えた。
ましてや相手が苦手なクリストファーでは妻のつとめを果たすのは不可能。
かと言って勘当されるのも退学になるのも嫌なエリスだった。
(これは、なんとかクリストファー殿下の方から身を引いて貰うしかない)
とはいえ、一晩考えてもエリスの頭では良い対処方法が浮かばなかった。
そうなるとレジーとの友情が決裂した今――
(相談できる――頼れる相手は、たった一人しかいない!)
そう思い立ったエリスは正面に座るクリストファーの顔を見やる。
「殿下、ネイト様はあれからどうされたんですか?」
「ああ、大丈夫だ、エリス。ネイトなら心配ない。夜中に目覚めて食事もとったと聞いている。
もしかしたら君に謝った事で心が軽くなったのかもしれないね。今日も通常通り登校しているはずだ」
「そうですか!」
聞いた瞬間、エリスは嬉しくなる。
出会って以来、こんなにネイトと会って話したいと思ったのは初めてだった。
待ちきれない思いのエリスは、学院前に着いたとたん、馬車から急いで降りる。
そして離れた位置に立つネイトの姿を認めると、大きく手を振って走り出した。
「ネイト様っ!」
「あっ、待て、エリス」
クリストファーに制止されても止まるわけがない。
一目散に傍まで駆け寄ると、さっそくエリスはある確認をする為、あえてネイトの手を取り、至近距離から顔を見上げる。
「おはようございます。昨日より、かなり顔色が良くなっているようで安心しました」
笑顔で挨拶するエリスに対し、ネイトは夢でも見てるような目つきで返事する。
「……おはようエリス。心配かけてすまなかった……」
エリスはその反応に嬉しくなる。
(やっぱり昨日の出来事は夢でも幻でもなかった――そして思った通り、ネイト様にだけ拒否反応が出ない!)
これは9年間、いっさい手を出して来なかったという実績があるネイトだからこその、安心感のおかげかもしれない。
「エリス、急に走り出して驚いた……!」
「すみません! ついネイト様が心配だったものですから」
そこで追ってきたクリストファーに言い訳すると、エリスはネイトの腕を掴んで引っ張る。
「さあ、ネイト様、途中まで一緒に行きましょう」
「……ああ……」
やや呆然とした表情をしつつも素直に従って歩き出すネイトにエリスは提案する。
「ネイト様。もし良ければ、今日中庭で、二人で一緒にお昼を食べませんか?」
すぐ後ろをついてくるクリストファーに聞こえるように『二人で』という部分を強調した。
「俺と?」
「嫌ですか? 自然の中の方が食欲が増すかと思ったのですが」
断られる可能性もあると思ったが、ネイトは人が変わったように従順だった。
「エリスがそうしたいなら」
「良かった! じゃあお昼休み、教室に迎えに行きますね。いいでしょう? クリストファー殿下」
笑顔で振り返ってその場で確認を取る。
「しかし、エリス……ネイトと二人でというのは……」
「どうして駄目なんですか?」
「……どうしてって……」
クリストファーは口ごもった。
ネイト本人の前で理由を言いにくいのかもしれない。
「お願いします。生徒会の仕事はまだ無理ですし、皆で食べるより二人きりの方が、病み上がりのネイト様は疲れないと思うんです」
やや強引にこじつけたエリスの説明をネイトが後押しする。
「クリス、エリスに何もしないと約束するから、そうしてもいいか? どうか俺を信用して欲しい」
「……わかった……」
苦みきった表情でクリストファーが頷く。
「では、お昼休み、教室まで迎えに行きますね!」
その時、初めてエリスの操り人形のようだったネイトが逆らう。
「いや、そこは俺に迎えに行かせてくれ。廊下は危険がいっぱいだ」
やはり根本的な部分は変わっていないらしい。
とはいえ、昨日クリストファーに『欲望うんぬん』と言われ、レジーに襲われかけたエリスには、うなずける部分があった。
「わかりました。では、待っていますね」




