キースの帰還
ネイトが意識を取り戻すと、またもや公爵家の自室だった。
気絶していたおかげで強制的に眠れたので、いくぶん頭がすっきりしている。
「ネイト、やっと目覚めたのか」
――と、ベッドの傍らから声がして、はっとして見れば、黒髪に切れ長の青い瞳というネイトと同じ特徴を持った懐かしい人物がそこにいた。
「キース叔父さん!」
「久しぶりだな、ネイト。皇宮に帰国の挨拶に寄った際、兄からお前が大変だと聞かされて飛んできたんだ!
詳しい話はお前が寝ている間に義姉さんから説明して貰った――精神の調子を崩したと聞いたが、かなり重傷のようだな――死人のような顔じゃないか」
ネイトは苦笑した。
「無様だろう?」
「大の男が女ぐらいで、と昔の俺ならあざ笑っただろうな」
「今は違うのか?」
「そうだ。妻と出会ったおかげで俺は真人間になったのだ」
「そういえば、結婚したんだったな。おめでとう、キース叔父さん。式には出られなくて残念だった」
「ありがとう、ネイト。なにしろ遠いからな――それよりも、お前がそんな状態になった原因は、間違いなくかつての俺の恋愛指南のせいだな。
お前がアホみたいな婚約者の心得5条を作ったときに、褒めた事を今ではかなり後悔している」
「違うよ、叔父さん、俺が勝手に増長したせいだ」
「いいや、あきらかに俺に責任がある――そのお詫びと言ってはなんだが、ぜひとも相談に乗らせてくれ。
まずはお前の口から、改めて経緯を聞かせてくれるか? どうしてそんなことになってしまったんだ?」
キースに促されるままネイトは今日の事も含め、5年半の間に起こった出来事を語って聞かせた。
「なるほど、そういうことだったのか。お前から婚約破棄したなんておかしいと思っていた」
「……ただ、一つわからないのは、エリスとクリスの話が食い違っていることなんだ」
ネイトの疑問に対し、キースが苦笑まじりに答える。
「いや、それについては微塵も不思議じゃない。クリスは母親に似てかなり自己愛が強い上に思い込みが激しいからな」
キースにとってクリスは従兄弟の息子だった。
「そうなのか?」
「ああ、そうだとも。俺も随分悩まされたからな。ただし、クリスではなくその母親にだが――ネイト、これから俺が話す内容を絶対に口外しないと誓えるか?」
「エリスへの愛にかけて誓う」
「ならば、話そう――実は学院時代、クリスの母である皇妃は俺の追っかけだったのだ。とにかくしつこくつきまとわれたが、面倒な相手なので俺は全力で逃げ続けた。
それが、彼女の中ではいつの間にか俺に誘惑され続けたというストーリーに書き換えられててな。しかも現在も狙っているという妄想つきだ。
おかげで俺は皇帝になったフリードリヒに疎まれ、遠くの国に外交に行かされるハメになってしまったんだ」
それはネイトにとってすべての前提が覆るような衝撃の事実だった。
「そんなっ、皇妃が叔父さんをって、クリスの両親は一目会った瞬間に惹かれ合ったのではなかったのか!?」
「確かにそうかもしれんが、皇妃についてはフリードリヒが俺にそっくりだから。フリードリヒについては皇妃は見た目だけは絶世の美女と呼べるからだろう。
そして美貌と共にそのうぬぼれと自己愛を見事に引き継ぎいたクリスは、子供の頃から周りの女は全員自分に惚れていると思い込んでいる。
ネイト――お前も話を聞かされたことはないか?」
(あるといえばあり過ぎたが――)
「でも、実際クリスは帝国一の美形だし、性格も女性に好かれやすい。だから、てっきり全部本当のことだと――」
「お前は素直な性格だからな」
同情的なキースの声を聞きながら、ネイトは頭を抱える。
「……しかし、そうか、運命の出会いなんてなかったのか……」
(もっと早くそうと知っていれば……)
とはいえ、謎が解けても依然無くならない問題があった。
「だが、クリスを好きじゃなくても、エリスは俺と結婚したくないんだ……。この9年間で俺はエリスに嫌われきってしまった――今思えば婚約破棄を受け入れたのが最後通牒だったんだ……」
そこでキースは根本的な質問をする。
「そもそもお前は、彼女に好かれるようなことを今までしてきたのか?」
「いや……」
「ちなみにキスぐらいはしていたんだろうな?」
「まさか」
「愛の告白ぐらいは当然……」
「していない」
「なんで、そうなるんだ!」
キースがキレた。
「だって、叔父さんは『子供には手を出さない』が口癖だったじゃないか……! だからエリスが、恋に目覚めて大人になるまで待とうと」
「それは俺の場合は、ということでな。子供同士なら一緒に大人の階段を上って行けば良かったじゃないか」
「あと、叔父さんが先に愛を伝えてしまった方が負けだと」
「相手より優位に立ちたい場合はな」
「接する態度も冷た過ぎるぐらいがいいって……」
「それはその後に甘く優しくした時に効果的に働くという意味でな――いや、そうじゃない。俺の教え方が半端だったんだな。忙しい合間に短時間で済ませていたから……。おまけに今となっては何もかもが間違っていた」
「間違い?」
「そうだ。ネイト。俺は遠い異国の地で真実の愛を知った。その結果、わかった。己の全てを捧げて求め続けた者のみに愛の女神は微笑みかけてくれるのだと。
――ネイトお前はエリス嬢の愛が欲しいか?」
「ああ、エリスの愛が得られるなら、何でもする」
「ならば、ネイト、まずは己の下らないプライドを投げ捨てるのだ! そして愛の奴隷になれ」
いきなり昔と正反対のことを言われたネイトだったが迷いなく答える。
「わかった!」
「というわけで、これから俺がお前が取るべき正しい道。奇跡をも起こせる愛の必勝法を伝授してやろう」
「……奇跡をも?」
「そう、起こせるとも! ただし、睡眠時間があるので講義は精神部分に止め、実践部分は婚約者の心得にちなんで『愛の心得』として114箇条に纏めてやる――と、その前に――」
キースはサイドボードの上の食事を指さした。
「腹が空いては戦はできぬという。まずは何か食え、三日も何も食べていないんだろう?」
「……わかった」
――それからキースによって行われた精神論の講義と授けられた条文は、ネイトの意識を根本的に塗り替えるものだった。
5年半ぶりに会ったキースは人格主義に目覚めており、かつての小手先の技術とは真逆の、誠意、謙虚、誠実、忍耐、共感、等々に基づいた真理をネイトに説いた。
――そしてその内容はネイトに今まで自分がどれほど間違っていたかを思い知らせるに充分だった――




