レジ―の提案
レジーを待つ間、室内を見回していたエリスは、ふと角に置かれた布のかかった大きなキャンバスに目を止める。
きっとレジーが描いている途中の絵に違いない。
(子供の頃よりだいぶ腕が上達している筈よね)
興味を抱いて近づき、布をめくってみる――と、下から現れたのは金髪の長い髪の色白の女性――あきらかにエリスの絵だった。
「えっ、私?」
しかも、精密な筆致で丁寧に描かれた、サイズからいっても相当に時間をかけた力作だ。
思わず固まって見つめながら妙な動悸をおぼえていると、背後から急に声をかけられる。
「勝手に断りもなく他人の絵を見るなんて酷いな」
エリスはドキッとした拍子に持っていた掛け布を落とす。
「ご、ごめんなさい」
振り返ってみると、ガチャンと鉄扉に鍵をかけ、レジーが中に入っくるところだった。
エリスは慌てた気持ちで床から布を拾い、キャンバスに掛け直しつつ尋ねる。
「……離れている間、私のことを描いていてくれていたの?」
「まあね」
レジーはスケッチブックを無造作に机の上に放り、椅子にストンと腰を下ろすと、静かな瞳をエリスに向ける。
「ところで、今日の昼休みは来なかったね」
言われた瞬間エリスはここに来た目的を思い出し、レジーに向かい合って椅子に座る。
「ええ――実は」
そうして気まずい空気を流すように、これまであった出来事を話し始めた――
◆◆◆◆
一方、別棟の教室を順番に見て回っていたネイトは、一階の端の美術室に足を踏み入れていた。
――と、無人なのになぜかひそひそ声が聞こえてくる。
隣の部屋からかもしれないと思って鉄扉の前に立ち、音がしないようそっとドアノブを回そうとする。
だが、鍵がかかっているらしく動かなかった。
扉に耳をつけてみたところ男女の声が聞こえ、どうやら女性の方はエリスのようだ。
(ここにいた!)
しかし、とても蹴破れそうにない頑丈な鉄の扉。
その上、『奴』が一緒になら、頼んだところで開けるわけがない。
悩んだネイトは窓から顔を突き出し、外から隣の部屋を確認する。
すると高い位置に人が入れるぐらいの大きさの窓があるのが見える。
下から上るのはむずしそうだが、上からなら入れそうだ。
判断するやいなやネイトは美術室を飛び出し、急いで二階へ駆け上がった。
◆◆◆◆
エリスの話を聞いたレジーは納得したように頷く。
「ふうん、なるほど、ネイト様のお次は、皇太子殿下がエリスを束縛しに来たってわけか」
「ええ、そうなの。ネイト様とのことで勝手に責任を感じて、親切を押し売りしてくるの」
レジーは乾いた笑いを漏らした。
「エリスは鈍いなぁ」
「え?」
「わからないの? 責任でも親切でもない。それって完全に、皇太子殿下は君と結婚する気でいるんだよ」
「ええっ、まさかっ!」
「それ以外に、皇宮で勉強する必要なんてあるわけない。つまりは皇太子妃教育ということさ」
「いや、でも……」
エリスは必死に否定しようとしたが、レジーが被せるように駄目押ししてきた。
「だいたい、テイラー侯爵家より格上なんて、皇族ぐらいしかないだろうに」
(言われてみればそうかもしれない)
はっとしたエリスにレジーが逆に訊いてくる。
「エリス、僕がこれまでたったの一度でも、問題の答えを間違ったことがあるかい?」
「――記憶にある限り、ない、かもしれない」
そういえば先日のレジーの『皇太子殿下はエリスに気がある』というのも、クリストファーの昼間の『欲望』発言により正しかったことが証明されていた。
「わかっているなら、エリス。子供の頃みたいに僕に質問してご覧。
ねぇ、レジー、皇太子妃にならない為には、どうしたらいいの? って」
提案してくるレジーの笑顔にはなんだかぞっとするものがあった。
しかし、エリスは一瞬ためらったあと従う。
「ねぇ、レジー、どうしたらいいと思う?」
訊いたとたん、なぜかレジーは喉を鳴らして笑う。
「なあに、エリス、簡単なことだ。他の相手と既成事実を作ればいいのさ」
恋愛経験が皆無のエリスでも既成事実の意味ぐらいはわかる。
「……でも、そんなの、相手がいないわ」
エリスが答えた瞬間、レジーがガタッと椅子から立ち上がった。
「何を言ってるの? 目の前にいるじゃないか?」
思わずエリスは身をビクッとさせ、椅子ごと後ろに引き下がる。
レジーが言わんとしている事を理解して冷や汗が出てきた。
「……待って、レジー。私あなたをそんな対象に見たことないわ」
「でも、エリス、他に候補がいないだろう?
何より皇太子が具体的に動き出し、結婚の話が出てからではもう遅い。
そうだ。皇宮へ向かう前の、まさに今実行しなくては間に合わない――!」
説得するように言いながらレジーが机を回って近づいてくる。
そこでさすがに身の危険を感じたエリスは、腰を浮かせて机の反対側に逃げようとした。
――と、その時、偶然スケッチブックに手が当たり、開きながら床に落ちる。
反射的に見下ろしたエリスは、刹那、背筋がゾクっとした。
見開きの両ページに描かれていたのがエリスの絵だったから。
「そういえば、婚約破棄されたばかりなのに、もう縁談が殺到しているんだって?
まったく、エリスからは一時も目が離せないな。
ネイト様の苦労と気持ちが僕にはよくわかるよ。
なにせ彼が現れるまでは、傍について君に近づく男を追い払うのは、僕の役目だったからね」
「……ええっ……!?」
「エリスは鈍感だから気づかなかっただろう?」
(……そんなっ……!?)
恐怖を感じて後じさるエリスに両手を広げてレジーがにじり寄る。
「そもそもネイト様が現れなければ、両家の関係からいって僕達は婚約していたからね。
自分の物が取られないようにするのはしごく当然の行為だ」
灰色の瞳を細めてそう言ってほくそ笑むと、レジーはいきなりバッと両手を突き出してきた。
「きゃっ……!?」
すんででそれをかわしたエリスは、床を蹴るように走って鉄扉に向かう。
扉の取っ手に飛びつくと焦って回そうとしたが、がちゃがちゃ音が鳴るだけで動かない。
「ああっ、開かないっ!?」
その時、ダン、と、勢いよく、エリスの頭を挟んでレジーが鉄扉に両手を突く。
そして両腕と身体でエリスを囲い込むと耳元に囁いてくる。
「エリスは昔みたいにただ僕の言うことを素直に聞いていればいいんだ。そうしたら皇太子妃になんかにならずに済むし、また二人で毎日楽しく一緒にいられる」
「いやっ、離れて、レジーっ、怖いっ!? ここから出してっ!」
エリスの懇願が聞こえないかのようにレジーが背後から身体を密着させてくる。
「大声をあげても無駄だよ。ここは別棟の端っこだし、どうせ誰にも聞こえやしない。大丈夫だ、エリス、暴れなければ決して痛くはしないから」
「いやああっっ!! 」
それでもエリスは叫ばずにはいられなかった。
「誰か、お願いっ、助けてっ――!?」
――と。




