昼休みの攻防
そうして重い気持ちで迎えた昼休み。
「エリス嬢、行きましょう」
教室の入り口からマシューに呼ばれたエリスはしぶしぶ腰を上げる。
向かった先はやはり生徒会室。
クリストファーは先に来て中で待っていた。
「ネイト様と、ロニー様は?」
着席しながらエリスが尋ねると、クリストファーが笑顔で答える。
「二人とも特別室だ。昨日、ネイトは君の周りをうろうろしていただろう?」
「はい」
「何かあってからでは遅いからね。ロニーにはネイトを見張って貰っている。学内は外部の者は立ち入り禁止なので、親衛隊を使うわけにはいかないからね」
どうやらわざわざエリスが提案せずとも、ネイトを監視してくれているらしい。
道理で今日の午前中の休み時間もさっきも教室前でネイトを見かけないと思った。
それならますます自分への見守りは不要と思えたし、筋違いのクリストファーの干渉に対し、どうしても納得できないエリスだった。
朝言えなかったことも含め、今ここではっきりお断りしとかなければ。
「あの、クリストファー殿下」
「なんだい、エリス?」
緊張を込めたエリスの声に対し、クリストファーは柔らかい、甘さすら含んだ声と表情で返してくる。
「今朝方は申し上げ損ねましたが、昨日父から話を聞きました。私の縁談を止めて下さったそうで、ありがとうございます」
「お礼など不要だ。君だけの問題ではないからね」
「――ただ、殿下は私には勿体ない方との縁談をお考え下さっているようですが、個人的に格差のある結婚は避けたいと思っているので、そちらについてははっきりお断りさせて頂きます」
エリスが言ったとたん、他の二人の動きが同時に止まる。
テーブルを挟んで対面に座るクリストファーが真剣な眼を向けてきた。
「なぜ、格差のある結婚が嫌なのだ?」
エリスはテイラー侯爵夫人の辛い結婚生活を思いながら説明する。
「それは、身分の釣り合いの取れない相手との結婚は苦労することが目に見えているからです。
たとえ愛があってもどうにもならないほどに……!」
「愛があっても?」
クリストファーは身を乗り出して訊いてくる。
エリスは「はい」と重く頷いた。
「何より両親や祖父母から、妻は公私ともに夫を支えるものと教えられてきました。
やはり、それなりの身分のお方を支えるのは、それなりの女性でないと務まらないかと思います。少なくとも私には無理なお話です」
斜め向かい側からマシューが肯定する。
「エリス嬢の言う通りだと思います。結婚において相手との釣り合いは最重要事項かと」
「そうか、つまり君はネイトの事だけじゃなく、身分差も考えて身を引こうとしているのだね」
「えっ?」
なぜそこでネイトの名前が出てくるのかエリスには理解できなかった。
「しかし、私は無理だとは思えない。君ならどんな相手でも支えられる。つまり能力ではなく、問題は――その自信のなさなんだ!」
「ええっ!?」
「そしてその解決方法は一つしかない。エリス――皇宮へ通って勉強しよう!」
とまどうエリスにお構いなしに、クリストファーは勝手に話を進めて答えを出す。
「皇宮へ通って勉強って、どうして、そのような話になるのですか!?」
「もちろんエリス、君に自信をつけて貰う為だ。かつ教育を受け始めるなら早いほうがいいからね」
「えええっ――!?」
(そこまでして私に結婚させたい相手がいるってこと?)
このまま強引に意見を通されては大変だと、エリスは焦って突っぱねる。
「とにかく、私は身分の釣り合いの取れた相手が良いので、そんな必要はございません。
それから、朝も言いましたが、送迎も、付き添いも不要です。
私にそっくりな母だって問題なく学院へ通えていましたし、息が詰まるのは嫌なんです」
無礼な物言いだとわかっていたが、これぐらい強めに言わないと駄目だと思った。
しかし、クリストファーは励ますように言ってくる。
「エリス、結論を急いではいけない。何事もまずはやってみることが大事だ。ご両親に許可を貰ったら、すぐに勉強を始めよう。
それと、君の母上がどうあれ、付き添いも送迎も必要だ。
現に、私も君と二人きりでいると自分の欲望を抑えるのが大変だからね。
周囲の目もあるし、送迎についても明日からはマシューに付き合って貰おう」
「ええええっ――!?」
衝撃の告白に動揺したのもあり、結局、朝と同様、意見を押し切られた状態で昼休みを終えてしまう。
午後の授業中、エリスはクリストファーへの対処方法について悩みあぐねいた。
しかし考えれば考えるほど、話を聞かない権力を持った相手に対抗する術はないように思える。
(駄目だ。私の頭でいくら考えても無理だわ)
そう結論づけたエリスは、授業が終わると共に教室を飛び出し、まっすぐ美術準備室を目指す。
(こうなったらもうレジーに相談するしかない)
昼休みは行けなかったけれど、放課後いつも絵を描いていると言ってたから、きっと今日も来るはずだ。
縋る思いで走り着いたエリスは、鍵が開いていたので中に入って待つことにした。
◆◆◆◆
同じ頃、ネイトは全力で廊下を駆けていた。
といっても、一睡もせずに食事をとってないので、いまいち速度が出し切れない。
それでも上手いこと同じクラスのクリスとマシューに捕まらず教室を脱出することができた。
ただし、授業が終了する前にフライングし、荷物も置きっぱなしで出て来たが。
そうしなければ、クリスとマシューの二人がかりに引き止められた後、隣のクラスから来たロニーに引き渡される、という一連の流れになっていただろう。
(ただし、同じ手段は二度と通用しないだろうな)
今を逃したらエリスに接触できる機会はしばらく来ないかもしれない。
昨日、昼休みにエリスを探し回っているところをロニーに捕まって以来、ずっと監視されるようになってしまった。
『エリスに謝りたいだけだ!』
いくらそうクリスに説明しても、親友の目は誤魔化せないらしい。
『お前がまだエリスを諦めてないことはわかっている』
断言された上で、それからずっとロニーを張りつかされ、今朝も馬車から降りたエリスに近づかせても貰えなかった。
(くそっ、エリスと自分に監視がつくと知っていれば、昨日ぐずぐずしていなかったものを――)
朝見かけたときは即行で逃げられ、教室の前に行ったものの呼んでも出てくるわけがないと思い、ただ見つめることしかできなかった。
また騒ぎを起こせば自宅に監禁されると思い、慎重に機会をうかがっていたのがいけなかったのだ。
とにかく声をかけ、謝った上で、『エリスがいないと生きていけない』と懇願すべきだった。
実際、クリスでも、誰でも、エリスが他の男のものになった時点でネイトは死ぬつもりだった。
悲壮な決意を抱いてネイトがエリスを探していると、長い渡り廊下の向こうに『奴』の背中を発見する。
ネイトが認識する限り、たくさんいるエリスの崇拝者の中で特に目つきの怪しい要注意人物だ。
姿が見えなくなったものの、渡り廊下の先は別棟だ。
先日『奴』がエリスと一緒にいたこともあり、ネイトは後を追うことにした。




