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憂鬱な昼休み

 エリスにとって一日で最も憂鬱な昼休み。


「エリス、来い」


 いつものように教室の入り口からネイトに呼ばれたエリスは、お昼を持ってさっと立ち上がる。

 婚約者の心得31条に基づき、呼ばれた瞬間急いでそばに行かねばならないのだ。


 ランチ場所についても選択の余地はなく、向かう先はいつも生徒会室と決まっている。

 ネイトは一昨年から生徒会副会長を務めており、同じくエリスも書記に任命されていた。

 

 エリスにとって、ここで食べるお昼はおいしくない。

 なぜなら最も苦手な人物が一緒だから。


 それは生徒会長のクリストファー。


 金髪に緑眼で長身、絵に描いたような美形。

 誰にでも感じが良く親切と評判で、学院一の人気者。

 特に女子生徒から絶大な支持を集めている。

 

 ただし、エリスにのみ異様に塩対応。


 つねに笑顔で他人と接する好人物なのに、エリスに対する時だけ決まって顔が能面のように無表情になる。

 しかも、同じ場所にいる時は基本、見るのも苦痛というように、彼女から視線を逸らし顔を背けるのだ。

 かなり嫌われていることは疑いないようもなく、しかも原因に心当たりのあるエリスだった。


 そう、あれは13歳の春。初めて会った帝立学院の入学日。


『エリス。俺の幼馴染みで親友のクリストファーだ。このディール帝国の皇太子でもある』


 そう言って、ネイトに紹介されたとき、


「ーーっ!?」


 思わずエリスは驚愕に目を見張り、ぶしつけにクリストファーの顔を凝視してしまったのだ。


 なぜなら知りあってから4年間、どの集まりでもネイトはつねに一人。

 毎回、母親のガーランド公爵夫人とエリス以外とはいっさい口をきかないで過ごしていた。

 しかも、生来無口な性格らしく、エリスといても自分のことをほとんど話さなかった。


 だから、てっきりネイトには『友達が一人もいない』とエリスは思い込んでいたのだ。


 その後、


「皇太子殿下が親友だなんて、ネイト様は凄いですね!」


 慌てて取りつくろってみたものの、どうやらクリストファーの目は誤魔化せなかったらしい。

 あきらかに顔色を変えてエリスを見ていた。


(純粋に驚いただけで、断じてネイト様を馬鹿にする意図はなかったのに……)


 とは思うものの、ネイトとの出会いでわかったが、初印象というのはとても大切。

 クリストファーについてはそこで失敗したのが明らかだった。

 かなり失礼な女だと思われたようで、以来目に見えてエリスにだけ冷淡な態度を取るようになった。

 

 扉を開くと、今日もクリストファーは他の生徒会役員の二人と一緒に生徒会室にいた。

 多忙な彼は食事をしながら生徒会の仕事の相談をするのをお昼の日課にしているのだ。


 もちろん一番の相談相手は親友であり副会長のネイトである。

 ところが今日のネイトは、話しかけるのもはばかられるほど見るからに機嫌が悪かった。

 しばらく無言の仏頂面でエリスを見つめたあと、おもむろに訊いてくる。


「エリス、さっき、教室で、お前、他の男と話していただろう?」


「え?」


 昼食を広げる手を止めて、思わずエリスはネイトの顔を見る。


「声をかける前に、入り口から少しお前の様子を観察していたのだ」


『淑女科』のエリスのクラスメイトは女子しかいない。

 いないのだが、一人だけ思い当たる人物があった。


「もしかしてそれは、授業が終わった後にクレイブ先生にわからない箇所を質問していたこと?」

「質問ということは、自ら話しかけたのだな?」


 静かに罪状を確認したあと、ネイトはおもむろにカッと目を見開いて指摘する。


「教師とて男だ、エリス!」


 つまり婚約者の心得3条目に違反しているということらしい。

 

「まったく、そんな考えなしの様子では、卒業後の結婚生活が思いやられる」


(それはこっちの台詞だわ!)


 激しく思わずにはいられないエリスだった。


「いいか、エリス、男というものは皆獣だ」


 続いてネイトの理不尽な説教が始っても、他の三人は二人の会話が聞こえないかのように振る舞っていた。

 いつもながらに冷たい。

 特に、クリストファーは酷いとエリスは思った。

 この学院広しといえども、ネイトに注意できる立場の人物は彼だけなのに。

 

(他の生徒の揉め事を見かけたら必ず仲裁に入る癖に、個人的に嫌っているからと言って私のことだけ見て見ぬふりってどうなの?)


 クリストファーと出会って5年間。

 エリスとてイメージ挽回しようと努力はしたのだ。

 しかし、婚約者の心得114箇条が邪魔をして、自ら積極的に関わるのは不可能。

 せいぜい生徒会の仕事を真面目にこなすだけしかできないのに、クリストファーときたらまるでエリスの姿が見えず、声も聞こえないかのような態度で、議事録を取ることぐらいしか任せてくれなかった。


 小さい頃から読書が趣味で、それが高じて自分で文章を書くようになっていた。

 そのおかげか字が綺麗だとよく褒められたので、書記の仕事は好きだった。

 それだけにクリストファーに存在を無視されるのが辛いエリスだった。

 

 とにかく、一度植えつけられた印象はなかなか覆らないらしく、いまだに嫌われたまま。

 

 ネイトの親友ということは、学院卒業後も付き合いは続く。

 それを思うと暗い気持ちになるエリスだった。




 放課後もネイトは迎えに来る。


「エリス、帰るぞ」


 教室の入り口から呼ばれたエリスは、急いで鞄に教科書を詰めて立ち上がる。

 廊下を並んで歩き出しながら、ネイトにお伺いを立てる。

 

「ネイト様、図書室へ寄ってもいいですか?」


「駄目だ。本ならいつものようにうちに寄って借りればいい」


「確かにネイト様のご自宅にはたくさん本がありますが、専門書ばかりで……。

 小説はもう読み尽くしてしまったのです」


「だったら、今から本屋へ行こう。好きなだけ買えばいい」


「でも、特に、これが欲しい、という本があるわけではないですし……。

 せっかくこの学院には広い図書室があるのに、入学してから数回しか利用したことがないのはもったいないです」


 エリスが食い下がると、ネイトは立ち止まってギロリと睨み下ろしてきた。


「エリス、それ以上言うと、婚約者の心得2条違反だぞ?」


「……っ!?」


 ネイトはどうあっても図書室には寄りたくないらしい。

 何も言えなくなったエリスの手を、ネイトがぐいっと掴んで引いてくる。


「お金のことなど気にするな。さあ、本屋へ行くぞ」


 勝手に話を打ち切られ、そのまま手を繋がれた状態で再び廊下を歩き出す。

 ネイトの大きな手の感触を意識しつつ、エリスの口から思わず溜め息が漏れてしまう。

 

(別にお金のことを気にしているわけではないのに、どうしてわかってくれないの?

 結婚してもネイト様はずっとこうなのかしら?)


 不満に思いながら、高い位置にある整った横顔を見上げると、ネイトは警戒するように周囲に視線を走らせていた。

 出会ってから9年経つのに、婚約者が何を考えているかさっぱり理解できないエリスだった。


 玄関を出るとさっと繋いでいた手がほどかれる。

 もう必要がないからだとエリスは察した。

 彼女の認識では、ネイトがいわゆるロマンチックな意味で手を握ってきたことは一度もない。

 政略結婚なのだから仕方がないかもしれないが、もちろんキスをしてきたことも、エリスへの好意を口にしたこともない。

 その態度から、女性としてまったく興味ない癖に、婚約者という一点だけで、他の男性との接触をいっさい禁じているとしかエリスには思えなかった。

 

(徹底的に自由を制限することといい、ネイト様にとって婚約者とは奴隷のような存在なんだわ)

 

 そう思って悲しくなったエリスは、ネイトに続いて馬車に乗り込むと、強めの口調で言った。


「本屋には寄らなくていいです。今日はまっすぐ自宅に帰ります!」

 

「それは駄目だ」


「どうしてですか?」


「うちで一緒に夕食をとることが決まっているからだ」


「いつ決まったんですか?」


「今だ」


 エリスは脱力して、無言になった。

 一人になりたくてもままならない。

 ここ最近、毎日、学校が終わったあとも、休みの日も、ガーランド邸に連行されるのがお決まりのコースになっていた。


 結婚する前からすでに愛のない、不自由な生活に嫌気がさしていたエリスだった。


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★完結済み連載→【近々番外編更新予定】なんでよろしくお願いします★「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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