ネイトの懇願
バレット伯爵家から連行されたネイトは、ガーランド公爵邸の自室に連れ戻された後も抵抗して大暴れした。
ついに親衛隊によって椅子に縛りつけられたところで、様子を見に来た両親に縄を解くように頼んでも、なぜか応じてくれない。
「母さん、父さん、どうしてだ? 俺は単にいつものようにエリスに会いに行っただけなのに……」
疑問を投げかけても母はただ泣くだけ。
父も答えてはくれず、病気でもないのに「医者を連れてくる」と言って、急いで部屋を出て行ってしまった。
訳もわからずネイトが椅子の上で身を捩っていると、ようやくクリスが現れ、母が気を利かせて退室する。
「クリス、貴様! これはいったい何の真似だ!」
逆上しながら怒鳴りつけると、クリスは親衛隊を下がらせてから近づき、縄を解き始める。
「すまなかった、ネイト。こうするしかなかった」
「どういうことだ?」
問いながらネイトの頭がズキズキ波打つように痛みだす。
「お前が正常な状態ではないからだ。エリスを失った事実を受け入れられず、昨日あった出来事をなかったことにしようとしている」
「昨日、あった、出来事?」
クリスは「ああ」と頷き、いきなり核心部分を告げる。
「エリスがお前の婚約破棄を受け入れたことと、私とエリスがずっと想い合っていたことだ」
聞いたとたん、
「……あっ……ああっ……!!」
殴られたような激痛に襲われ、ネイトは頭を抱えて獣のような唸り声をあげた。
同時に、昨日起こった出来事の記憶がどっと蘇ってくる。
「……そんなっ、あれは夢じゃなかったのか……!」
愕然とした思いで呟き、がっくりと膝を落として呻く。
――と、次の瞬間、発作的にネイトはクリスの脚に縋りついた。
「……クリス、お願いだ!
何でもするし、約束する。
もう二度とエリスに辛い思いはさせない。
これからは何よりもエリスを大事にすると誓う。
俺の持っている他の物ならなんでもお前に差し出すから。
どうか、エリスだけは奪わないでくれ!!」
「情けない真似は止せ、ネイト!」
「なあ、頼む。クリス。
エリスは俺の命そのもので全てだ!
俺はエリス無しでは、とてもじゃないが生きてゆけない!」
懇願するネイトに対し、クリスは両肩を掴んで揺すりあげた。
「しっかりしろ、ネイト! もう終わったんだ! すべてはもう、遅い。
お前は受け入れるしかないんだ。
お前とエリスの婚約は正式に解消された!」
現実を見せるようにクリスは懐から書類の写しを取り出し、バシッとネイトに突きつける。
受け取ったネイトは大きく両目を開いて眺めたあと、衝動的に破って投げ捨てた。
「こんな紙切れが何だと言うんだ! 俺はエリスを愛している!
この世界中の誰よりもエリスを愛している! だから死んでもエリスを手離さない!
クリス、お前にだって渡さない!」
「いい加減にしろ!」
逆上するネイトの胸倉を掴み、クリスはいったん立ち上がらせた上で、思い切り左頬を殴りつけけてきた。
ネイトは盛大に床へと吹っ飛んだ。
「何が愛だ! 笑わせるな! 嫌がる相手を無理やり自分に縛りつけるのがお前の愛なのか?
そんな自分の事しか考えていないお前に対し、長年虐げられてきたというのに、エリスは私になんて言ったと思う?」
エリスの名前に反応し、ネイトはがばっと床から顔を上げる。
「エリスは……何て?」
「お前の事を頼むと私に言ったんだ。
お前の一番の味方になって欲しい、いつまでも仲良くしてあげて欲しいと。
言われた瞬間、私は己を恥じた。
なぜならお前だけではない、自分の事しか考えていなかったのは私も同じだったから。
恋に目が眩むあまり、こんな状態の親友のお前を放置し、エリスの元へ駆けつけたのだからな。
その報いとして、エリスは私の手を取ることを拒んだ。
恋よりも友情を優先して欲しいと」
「エリスが……俺を頼むと……お前を……拒んだ?」
「そうだ」とクリスは憂いに満ちた顔で頷き、すっと腰を落としてネイトの両肩に手をかけた。
「エリスは天使のような心の持ち主だ。
奪う、奪わない以前に、お前がこんな状態では、決して私を受け入れはしないだろう
ーーネイト、私の方こそお前に頼みたい。エリスへの執着を解いてくれ!
本当にエリスを愛しているなら、もう解放してあげて欲しい!」
最後に訴えかけると、言いたいことを言い終えたのか、クリスはネイトから手を放して立ち上がる。
そして最後に一瞥してから部屋を出て行った。
パタン、と閉じた扉を見つめながら、ネイトは呆然と呟く。
「……エリスを……解放……?」
なぜ今更この段階でそんな必要があるのか本気で理解できなかった。
エリスと両想いでネイト以上の権力を持つクリスなのに……。
――いや、本当はわかっている。
クリスは自分とは違い、相手の気持ちを考えるのだ。
(俺は逆に考えないようにしていた)
なぜならエリスの言動や表情によって、自分への好意がないのが嫌というほど伝わっていたから。
でも、それを認めたくなくて、現実から目を逸らしてきた。
その癖、エリスが自分に好意を示さないことに苛立ち、よけい制限を強くしていった面があったのだ。
(……そうだ……あえて意識から排除していただけで、本当は気がついていたんだ……エリスがいつまでも恋に目覚めないのは、俺が運命の相手ではないからだと……)
そうして無意識に見も知らぬエリスの運命の相手に嫉妬し、絶対に出会わせないよう、他の男との接触を限界まで禁じてーー。
『嫌がる相手を無理やり自分に縛りつけるのがお前の愛なのか?』
「……ああ、そうだ……クリス」
親友の問いに対し、ようやくネイトは答えを出した。
だけど、それで良かったのだ。
エリスさえ傍にいれば、他の何も、誰も、いらなかった。
親友すらエリスの為なら切っても構わないと、かつてクリストファーに無茶なお願いもした。
そんな自分の愛は、執着は、エリスにとってはさぞや重く、迷惑なものだっただろう。
耐えきれなくなって逃げだしたくなるほどにーー
『もう終わったんだ! すべてはもう、遅い。
お前は受け入れるしかないんだ』
「……確かにそうかもしれない……。
元々、命令しないとエリスは俺の傍に寄りつきもしなかった。
そして、もう、その手段も通用しない」
かといって他にどうすれば……?
思わず途方にくれ、答えを探すように空を仰ぎ、今さっきクリスに言われた言葉を振り返る。
『エリスは私の手を取ることを拒んだ。
恋よりも友情を優先して欲しいと』
『お前がこんな状態では、決して私を受け入れないだろう』
そこまで思い出したたところで、ネイトはハッとする。
「……つまり……エリスは……俺を憐れんでいる……?」
さらにクリスは『エリスは天使のような心の持ち主だ』とも言っていた。
(もしも、そうなら……今までの事を謝った上で、縋りついて懇願したら、エリスは俺の傍にいてくれるだろうか?)
そう思いつき、一縷の希望を見出したネイトは、よろめきながら立ち上がった。