格差婚の末路
「良かった、のでしょうか?」
疑問調で聞き返すエリスに、侯爵夫人が「もちろんよ!」と力を込めて頷く。
「だって、私の夫のような優しく甘い男と結婚してさえ、牢獄のような生活を強いられるのよ?
結婚前からそんな命令してくるような相手なら、結婚生活は間違いなく地獄よ」
「地獄……、ですか?」
「ええ、そうよ!」
と、そこで侯爵夫人はエリスの相談内容を思い出したらしく、話の向きを変える。
「だいたい男の心を掴むなんて簡単じゃない。
素直な可愛い女を演じて、煽てて甘えて、自尊心をくすぐってやればいいだけ。
面白くない話も笑顔で聞いて、下らない自慢話にも感心してあげるの」
話を笑顔で聞こうにも、ネイトは無口で会話自体があまりなかった。
たまに口を開けば婚約者の心得114箇条を盾にした命令で、一緒にいてもエリスは全然笑えなかった。
「ジェフリーの話って最高につまらないものね。クスリとも笑えなかったわ」
フロラが懐かしそうに言うと、侯爵夫人がビシッと指を突き立てる。
「笑えなくても笑うのよ! 男に好かれる女は笑顔が基本よ!」
言われた瞬間、エリスは開眼する思いがした。
(だから私はネイト様に好かれなかったんだ!)
「笑顔にも通じるけど、女は何より可愛げが大事よ。
大半の男は自分より頭の悪い女の方が好きだから、間違ってもフロラのように四カ国語も覚えちゃ駄目よ?」
(ルイーズさんも言ってたけど駄目なのね……)
「でも、男に好かれる技術より、相手選びのほうが大切よ。恋愛期間なんてほんの一瞬。その後の結婚生活のほうがうんと長いんだから。
特に格差婚なんてするものじゃないわ。歴史のある名門一族なんかに嫁いじゃ絶対に駄目。
皇族なんてとんでもない!
嫁いだが最後、ずっと見下され続ける日々が待っているんだから」
「エリスはあなたほどの格差婚じゃないけど」
フロラの呟きを無視して、侯爵夫人は愚痴り出した。
「市井育ちの男爵の庶子の私なんて侯爵家に嫁いでから、やれ、育ちが悪い、教養がない、品がない、と、侯爵家の一族はもちろんのこと、同じ貴族夫人達、使用人にまで陰で馬鹿にされる日々。
姑は気に食わない嫁である私を追い出したくてたまらなくて、いつも口実を探している。
もしも浮気でもしようものなら、身ぐるみ剥がされて屋敷から叩き出されるわ!」
フロラがエリスに解説してくれる。
「この国では女性の姦通は極刑で、嫁資も没収されるのよ」
「屋敷には誰も味方がいなく、毎日厳しく監視されているので、遊び回ることもできない。
食事中も音を立てないことだけに集中し、料理の味もわからない。
味方してくれる以前に夫は多忙であまり家に帰って来ないし。
知識人ぶった姑が頻繁に開くサロンには、強制参加。
出たところで芸術のことも政治のこともわからない私は、満足に受け答えできず、恥をかくだけなのに!」
次々出てくるテイラー侯爵夫人の辛い結婚生活の話はエリスにとってとても身につまされるものだった。
内容は違うけれど、自分ももしもネイトと結婚していたら、自由のない牢獄生活だったに違いなかったから。
何よりも年齢より老け込んだ見た目が侯爵夫人の苦労を物語っている。
おかげでその後も延々と続いた愚痴を聞き終わる頃には、心からこう言えるようになっていた。
「本当にネイト様と結婚しなくて良かった。婚約破棄されて良かったです!」
結局、さらっとしか恋愛指南は受けられなかったけれど、そろそろ時間ということで、朗読会が開かれる会場へと向かうことになった。
庭を歩きながらフロラが侯爵夫人に質問する。
「今日もあなたの最近のお義母様のお気に入りのブレインの詩なの?」
ブレインならエリスも詩集を全部持っている。
失恋で死を決意する青年や、死にかけた騎士、死後も亡霊となって戦い続ける兄弟など、陰気なテーマの作品が多い詩人だった。
婚約破棄された今のエリスの気分に合致するかもしれない。
「ええ、そうよ。新作を本人が読み上げるらしいわ」
(つまりブレインに会える!?)
そう聞いて楽しみになるエリスだった。
「はぁ、憂鬱だわ」
暗い溜め息をつく侯爵夫人にエリスは提案した。
「もし、良ければ代わりに私が詩の感想をお答えしましょうか?」
フロラが後押ししてくれる。
「それがいいわ! エリスは文学少女だし、私に似て賢いの。帝立学院の女子ではつねに一番の成績なのよ」
侯爵夫人が感動したような目でエリスを見つめてくる。
「さすがフロラの姪ね! 頼りになるわ」
褒められ慣れてないエリスは照れてしまう。
「そんな、期待しないで下さい。詩は好きですけど自信はないですし、成績に関しては単に勉強のようなコツコツした作業が得意なだけです」
「しかも、フロラと違って奥ゆかしい性格。あなたのような娘が欲しいわ。
そうだ。うちの息子と結婚したらいいのかも」
そこまで言われるとさすがに恥ずかしくなってしまう。
フロラが興味を引かれたように上から目線で質問する。
「あなたの息子の人間性によっては考えてあげてもいいわ。どんな性格なの?」
「そうね。マシューは小さい頃から手がかからず、慎重かつ落ち着いた性格で、それは今も変わらない。
義母がマナーにうるさい人だから、礼儀もあるし、成績優秀で、顔も私に似て美形。
人当たりも悪くないし、我が息子ながら結婚相手としては理想に近いんじゃないかしら」
「姑があなた、ってところ以外はね」
「フロラ、あなたのそういう一言多いところ、直した方がいいと思うの」
せっかくのお話だが、マシューと婚約なんて想像もつかない。
エリスは遠慮した。
「いえ、マシューさんとは、あまり仲が良くないので、きっと迷惑に思うかと」
無視まではされていないものの、最低限度のごく事務的な会話しかしたことがない。
しかし、テイラー侯爵夫人は諦めなかった。
「これから仲良くなればいいじゃない。今日の朗読会にも顔を出すと思うから、この機会に色々話してみたら?」
「テイラー夫人のサロンは超一流と呼ばれているから、他にも良い出会いがあるんじゃないかしら」
フロラが自分のことのように浮き浮きした様子で言った。
超一流と聞くととたんに緊張してしまうエリスだった。
(もしかしたら私、場違いなのでは?)
とはいえ、ここまで来てしまったし、詩の感想を引き受けたからには、もう行くしかない!
と、会話しているうちに、ついにテラスに到着した。
ガラスごしに広間に集まるたくさんの人達が見える。
エリスは緊張で胸がどきどきした。
「さあ、入りましょう」
覚悟を決めるように言ってから侯爵夫人が扉を開く。
エリスも勇気を出して会場に足を踏み入れた。




