1話 玄い時間(3)
「それじゃあ、今回の件についての報告を聞こうか」
穏やかな、それでいて空虚な笑みを張り付けた男が命令する。
それだけで、部屋の空気がピンと張り詰める。
「では、まず依頼内容の確認から」
緊張した顔で、飛鳥は求められていることを話し始める。
「依頼人は、大谷順司。大谷工務店という、小さな町工場の社長です。彼の会社は佐上グループ系統の会社から仕事をうけていました。けれど、急に打ち止めされたそうです」
向けられる視線に怯えながら、早口にならない様にと念じつつ、飛鳥は言葉をつづけた。
「その会社に問い合わせても、のらりくらりとかわされるだけだったそうです。倒産の危機に陥ったけれど、何とか立て直そうと走り回っている時に、たまたまニュースで佐上啓太を見たようで」
それを見ているうちに、彼は仰天し、怒り狂ったのだろう。当然だ、
「大谷工務店が詐欺まがいの事をしていた、と。要約するとそんなことを言っていたらしいです」
何カ月か前、一つのニュースが世間を騒がした。
かの、世界に名だたる大企業“佐上工業株式会社”が発売したある製品のことごとくが不良品であったこと。何回も使用するうち、それは火をあげる可能性があり、使用者に危険が及ぶこと。世界同時発売で、すでに回収不可能といわれるほどの数が出回っていたこと。そして、“佐上工業株式会社”はそれを発売前に知ることができたこと。
使用していた人たちが何人も会社に問い合わせ、消費者センターにも何件も苦情が寄せられた。
そのうちに、製品が原因で家が焼けおちる事件がおきてしまった。
もちろん、製品を発売していた会社の社長は辞任し、佐上グループ総裁にも非難の眼が向くことになった。だが、
「発火の原因となった部品を作っていた会社に罪を押し付けて、佐上啓太はうまく追及をかわしました。そして、今度は大谷工務店とその社長がその罪を負うハメになったそうです。起訴はされなかったのですが、彼がいくら無実だと叫んでも、誰も聞かず、家族さえも信用せずに彼から離れて行ったのだと」
独りになった彼は自己破産し、従業員の恨みと、事件の遺族からの憎しみと、佐上グループの高笑いを身に受けた。
「どこへいっても犯人扱いされ、苦しみ続けるのなら、いっそ死のうと思ったのだと言っていました」
おとなしく話を聞いていた男は、ようよう口をはさむ。
「そして、俺達に依頼を持ちかけたと」
「はい。なるべく残酷に、死んだことが誰にも判るように、という希望でした」
飛鳥は頷き、大谷順司の姿を思い出す。
指定された場所は、田舎の山奥。吹けば飛ぶような、という比喩がぴったり当てはまる小さな小屋。
そこにいた彼はの目は血走り、頬はこけ、会社を経営していたころの面影はほとんどなく、がりがりにやせ細っていた。全身から狂気を放ち、周りの空気がずいぶん冷えていた。
「なるほど……。まぁ、だいたい希望に添えただろう。金の受け取りは?」
その言葉に、飛鳥ははっと現実に立ち返り、急いで記憶を探った。
「確か…、死んだことを確認したら隠れ家に置いておくといっていました」
「後でその場所を紙に書いて渡せ。それで今回の件は終了だ」
「わかりました」
もやもやとしたものを心の中に残したまま、飛鳥は従順に頷いた。
仕方ないのだ。
自分たちは、殺し屋と呼ばれる職業についているのだから。
「では、次の依頼だ」
薄青のジャージを翻し、男は背後の本棚から薄い紙を二枚拾い出した。
片方を飛鳥に、片方を沙耶に渡す。
「詳しいことはそれに書いてある。場所も載っているからすぐに向かえ」
また一人か、と飛鳥は思いながらもこの男に従うほかないことを身にしみて知っている。
「わかりました」
「今すぐに」
隣で流れる茶色が、わずかに震えているように見えた。
* * *
場所を確認した二人は、小さな荷物を持って急いで家を離れて森へと身を躍らせた。
何故かあの家は広大な森に囲まれているのだ。
上には見渡す限りの樹木の鮮やかな緑。
下にはところどころ地に出てきている樹の根のこげ茶に、地面の土色。
時々樹の間から澄んだ水が顔を覗かせる。
どこからか黒い影が駆けて来て目の前を横断したり、栗色の毛並みのいいリスが近づいてきたり。
緑や茶色を基調とし、様々な色があふれている。
鬱蒼と生い茂る木々の間を掠めるように歩く飛鳥はその風景を見て、思わず、といった風に言葉を漏らした。
「相変わらず壮大な眺めだな」
「ホントホント。いろいろ恨むことあるけど、毎日これを眺められることに関しては感謝してもいいよね」
あの男に対して、いろいろ感謝すべきところもあるのだろう。
だが、絶対に好きになることだけはない。
家族のように扱い、彼にできる最高の待遇を与えられても、それは決して揺るがない。
沙耶にとって、彼は恩人ではなく、許すことのできない罪人なのだ。
そんな事を考えながら飛鳥に目をやると、彼女は表情を感嘆から笑顔へと変えていた。
「そうだな…。そこだけは無条件で礼を言えるよな」
沙耶にとってはそうでもないが、他人から見ると、怒った飛鳥は、冗談抜きで怖い様だ。
まぁ、確かに背筋が凍るような殺気は出しているし、普段は見せないイイ笑顔をする。
怒る時だけは、整った顔立ちが浮いて出るように満面のイイ笑顔を見せるのだ。
怖い…、かもしれない。
「まぁ落ち着きなって。汚染を食い止めるためにさっさとこの世から消え去ればいいと思うけど、でもかなり一応世話になってるわけだからあんまり物騒なことを考えちゃだめだよ」
だが、宥める沙耶も中々に酷いものだから、あまり気にすることはない。
むしろ、飛鳥同様花が咲いたように笑う上に、言葉に容赦がない分沙耶の方がずっと恐ろしいだろう。
あまりに凄絶な雰囲気に、風さえ吹くのをやめた。
二人が一歩進むたびに動物は離れたところに逃げ出し、近くに寄ろうとせずに怯えている。
そんな状態でも二人は森を抜けようと歩き続け、怯えていた動物達も後を追うかのように少しずつ動き出した。
しばらく歩き続けると、前方にか細い光が差しているのが見て取れた。
「あ、抜けた。…それじゃまあ、適度に走りますか」
「そうだな」
軽く駆け足を始めた二人は、先ほどの鬼さえ裸足で逃げ出しそうな雰囲気が嘘のように穏やかなものに変わっていた。
ちなみに今まで二人が歩いていた森は、普通の人なら優に三十分以上はかかる。あくまでも普通の人なら。だが、二人が家をでてからまだ二十分しかたっていない。
つまり普通の人の3分の2以下の時間しかかけずに森を抜けたのだ。今回は歩いてきたから20分かけたが、走ったらもう少し短くなるだろう。二人ともに、ありえないほどの脚力の持ち主である。
閑話休題。
灰色の風景が後ろへと去っていく。
沙耶達にとっては駆け足程度でも、普通の人、それもあまり運動しない人間から見れば全速力で二人は道を走っていた。
何人かに見咎められたようだが、無視してそのまま走り続ける。
そうして、駅に着いた時には森をぬけてから十分弱の時間がたっていた。
急いで改札を抜けた二人は、別の方向に足を向ける。
「私、こっち」
「じゃあ、反対だな」
またあとで、と声をかけるが、飛鳥は返事を聞かずに階段を走り下りて行ってしまった。
気をつけてね、と沙耶は小さくつぶやく。
――きっと嫌だろうに。