第168回 虎蹲炮 持ち運び大砲
虎蹲炮
フートゥンパオ
タイガークラウチングキャノン
初めて歴史に登場してきたのは中国は宋の時代、明の時代の書物には「投石機の1つ」という形で記載されていたそうです。
これを威継光の手によって、改造・改良・発展させて大砲まで進化させたものが今回とりあげる虎蹲炮になります。
うん、投石器から考えるともう『別物』になってますね。
大砲として考えるとかなりの小型で軽量。
砲身は台座も含めて60~70センチ、重量も20~25キログラム。
砲身の外側には補強のための輪状のパーツが取り付けられており強度の向上を図っています。
いくつかのパーツに分解することができ、平地はもちろん、山や森林、海や川沿いにも設置することができます。
火薬や弾薬まで含めて1人で持ち歩いたとしても40キロ未満になっていたことでしょう。
めちゃくちゃ重いように感じますが、陸上自衛隊のレンジャーは50キロ以上の荷物を背負って、道なき道を眠らずに進み続ける訓練をしますから、人間が持ち運び可能な重量に収まっています。
単身で大砲を持ち運ぶ事ができるというわけですね。
さて、こんな小さい大砲がどんな威力をもっていたのか、見ていきましょう!
◇◇◇
~威力~
大きい弾をドーン! じゃないんですよ。
大砲にしては細かい鳥獣用の弾を一回に100発以上まとめて発射するようになってます。
大砲本体が発射時の反動で自爆したり、ふっとんだりすることを防ぐために、支えるためのフレームをとりつけたのですが、このフレームがポイントです。
虎が座ったり、伏せたときの前足のように地面との接地面に「ちょこん」と丸みのあるでっぱりがあります。
まぁ、かわい……
じゃなくて、かっこいい前足の部分に杭を打ち、大砲のお尻側にも「U字」型のフレームをはめ込んで固定します。
特徴ある前方のフレーム、危険な大砲の発射口、この姿を虎が伏せる姿に重ねて「虎蹲炮」と名付けられました。
パーツにして5つ、設置も簡単なので、簡易大砲かと思いきや、なんと射程は2000メートルにも及んだとされています。
これが飛距離だったとしても、散弾で数百メートルの範囲に致命傷を与える威力があったことは間違いないと言えるでしょう。
また、こうした散弾型の恐ろしい所はピンポイント攻撃ではなく、範囲攻撃にあります。
多少狙いがそれたとしても、有効範囲の中にいれば十分な攻撃を仕掛けることができます。無駄打ちにならないということはそれだけで大きなメリットと言えるでしょう。
2000メートルの攻撃範囲というのがさらに恐ろしい、致命傷にならなくとも、相手の攻撃範囲外から一方的に攻め立てる事ができる訳です。
初撃で一発打ち込んで先制、他の飛び道具で攻撃を組み合わせて接近としていけば、一方的に攻撃を仕掛ける事ができます。
◇◇◇
~歴史~
さて、こんな持ち運び大砲が生まれた理由ですが、明の国が倭寇(当時の言い方では賊・侵入してきた敵国・野蛮人といった意味合い)との戦いがあったからです。
いつ、どこで襲い掛かってくるか分からず、どこに逃げていくのかもハッキリしない。神出鬼没な危険な敵との戦いで確実に勝利を得るために、小回りが利く事、軽量であること、射程が長いことなど厳し条件が課せられました。
こうした条件を満たす虎蹲炮が登場すると、あっという間に設置して一方的に攻撃をして撃退という事ができるようになりました。
軽量であることを活かして、騎兵部隊に虎蹲炮を配備すると馬の機動力も相まって、僅かな時間があれば、何もなかった場所に虎蹲炮の砲撃から騎兵隊の蹂躙という『エグイ』コンボを決める事ができるわけです。
やられる方としてはたまったもんじゃないんですが、ここからさらにもう一段階進化します。
なんと、馬の上から発射できるモデルまで登場しました。
馬としては自分の背から大砲がぶっ放されるわけですから、大迷惑に違いありません。
もちろん、やられる方にしてみれば遠くから馬に乗った人物が駆けつけて来て「あれ? とまった?」と思った次の瞬間、大砲の発射音が鳴り響き、近くにいる連中もろとも穴だらけになるわけです。
虎蹲炮は世界初の馬上の大筒となったとも言われていますが、パッと逃げるようなフットワークの軽い連中を逃さず撃ち抜ける性能を考えると納得ですね。
とりまわしの良さと長い射程距離、ショットガン状の攻撃範囲に高い殲滅力、船の大砲にも採用されることもあったそうです。
速度が命!
兵器じゃないの? って言われるかもしれませんが……
「ピストルは兵器だと思うけど、種子島は武器として取り上げよう」というイメージでおります。
倭寇って現代になってくると「日本軍」とか「日本人の略奪者」みたいなニュアンスの言葉になるのね……
せつねぇなぁ、と思ってしまう。