不思議な国のお茶会
【始めに言葉ありき】
英語学校の授業を終えて、僕は駐輪場へと向かう。
ビラーゴ250。
日本製、クルーザータイプ。
日本だと“アメリカン”って言った方が通りがいいかも…
これは、ハーレーっぽいデザインのバイクを指す言葉で、れっきとした和製英語。
まぁ、それはいい。
そんな日本国内でも割とメジャーなバイクが、この国での僕の通学の足で、もう数ヶ月すると旅の相棒になる。
「せっかく海外を走るのだから、ハーレーとかBMWとか、そういうのにすれば?」とか、「そんな小さなバイクでこの国を旅するつもり?(大陸基準だと、250ccのバイクは原付と変わらない)」とか、色々言われるけど、放っておいて欲しい。
僕は、この子が気に入っているんだから!
別に大きなバイクを買う予算がなかったからとか、大きなバイクは足が着かなくて怖いとかじゃないから!
とにかく!、、、
(えっ? うさぎ?)
僕のバイクのシートにちょこんと座っているのは、まごうことなき“うさぎさん”!
それが、シートの上で眠っている。
う〜ん、とりあえず、どいてもらおう。
「Go away.(どいてよ)」
「“Please!(どうか!)”」
薄っすらと目を開いたそのうさぎは、ひどく偉そうな態度でこっちを見て、そう宣った。
他人に対して頼み事をするのなら、「どうか〜してください」と、丁寧に話すべきだろう、だって…
いや、僕はめちゃくちゃ慌てたし、混乱したよ。
だって、“うさぎ”がしゃべるとか、普通あり得ないでしょう!
でも、そこで僕は気がついた。
この“うさぎ”、人間かも?
だって、うさぎが言葉を話すわけがないし、言葉を話す唯一の生き物が人間なんだから、じゃあ、目の前の生き物は人間で間違いないだろう。
これって、すごく論理的。
だったら、このうさぎが英語を話すのだって、全然普通だよね。
この“うさぎ”は、“人間”なんだから。
では、改めて。
「うさぎさん、どうかどいてください」
それに対して、うさぎさんの反応は…
「無礼!」
あれ?
混乱する私を見て、そのうさぎは理由を説明してくれた。
理由は2つ。
1つ目は言葉遣い。
「もしよろしければ、どいていただけないでしょうか?」と言うのが、大人の頼み方だそうだ。
確かに、ただの“命令文”では、表現が単純過ぎて、子供っぽく聞こえるとか聞いたような気もするけど…
そして、2つ目が呼び方。
これは、1つ目の理由よりも分かりやすい。
“うさぎさん”って呼び方は、“人間さん”って呼び方と同じだからね。
そもそも、彼は“うさぎ”ではなく“人間”なわけだし。
なるほど、確かにそれは失礼だったかも…
「ごめんなさい。 I can't speak English. あと、あなたのことは、何と呼べばいいですか?」
とりあえず、僕の英語力が貧弱なのを伝えて、あとは呼び名の確認。
と、思っていたら、何やらうさぎさんの目が冷たい。
というか、ばかの子を見る目になってる!?
「すまん、ワシが悪かった」
なんで、謝る?
「いや、まさかお前さんが子供だとは思わなかったし、かといって白痴にも見えなかったのでな…」
うさぎさんが言うのには、僕のさっきの言葉から判断するに、僕は言葉を話せないか、自分で何を言っているのかが分かっていないか、そのどちらかなのだそうだ。
言葉というのは、その人の人格を表す。
そして、人の思考の幅、思考の深さは、多分にその人の語彙力に影響される。
なぜなら、人は言語で思考するものだから。
だから、使える語彙が少ないと、人は複雑な思考ができない。
その典型が、子供だ。
だとすると、「I can't speak English.(私は英語を話すことができません)」と言った僕は、言葉を知らない、つまり子供か、自分で何をしゃべっているのかも理解できていないお馬鹿さんかのどちらか、ということになる。
本当に言葉を知らないなら子供と変わらないし、そもそも、今英語で会話しているのに“英雄を話せない”というのは、今の自分の行動を認識できていませんというのに等しい。
普通に道を歩いている人が、「僕、歩けないんです」って言ったら、それは変な人って思うよね。
このうさぎ、改め兎さん、なんか面白いね!
(なんて呼べばいいのか聞いたら、“兎”って呼ぶように言われた)
僕は、できるだけ丁寧な凝った文法表現を使って、兎さんをカフェに誘ってみた。
「もしよろしければ、私と一緒にコーヒーなど一杯如何でしょうか?」って。
兎さんは、ちょっと迷う様子を見せた後、勿体を付けてうなずいてくれた。
ただし、コーヒーではなく紅茶でという条件付きで。
>
【トリックスター】
「やはり良い紅茶は違うな…」
兎さんは感極まった表情で、そう呟いた。
多分、カフェで紅茶を飲むのも久しぶりなんじゃないかな…
実際、うさぎをお客さんとして扱ってくれるカフェを探すのは、かなり苦労したからね。
ドレスコード(服を着ていないから)や人種差別(外見がうさぎだから)の問題で、なかなか入れてくれる店が見つからなかったからね。
そうして何軒かのカフェを回って、やっとここに落ち着くことができたってわけ。
今、僕の前には美味しそうに紅茶を味わう兎さんがいる。
「さて、君はここで何をしているのかね?」
一息ついたところで、兎さんが会話を始めて、
「私は学生です」
僕はふつうに答えたよ。
そうしたら、いきなり兎さんにダメ出しされた。
「ちがう、その答えは正しくない」
やれやれといった様子で、ため息をつく兎さん。
僕は混乱しまくった。
あれ? 今、“何をしている?”って聞かれたんだよね?
いや、勿論、今何をしているって、お茶を飲んでいるところだけど、そういう意味じゃないよね?
“あなたは何をしていますか?”って質問は、相手の仕事を聞く時に使う表現じゃなかったっけ?
そんな混乱する僕を見て、どうやら質問を理解できなかったようだと判断した兎さんは、別の言い方に変えてくれた。
今度は、ゆっくり目に。
「ワシは、君の職業を尋ねたのだが…」
うん、間違ってない。
「だから、“私は学生です”と答えました」
そう言うと、兎さんは改めて説明してくれた。
曰く、“学生”というのは、職業ではない。
仕事というのはお金を稼ぐ行為で、勉強することでお金を稼いでいるわけではないのだから、“学生”は仕事ではないと。
まぁ、確かに。
で、改めて僕の職業を聞いてくるから、がんばって少し詳しく今の僕の状況を説明した。
今はこの国の英語学校で英語を勉強していて働いてないけど、自分の国にいた時には塾で教師をしていたと。
僕の説明に長い耳を傾けていた兎さんは、しばし熟考し、そして納得いったというように頷いた。
「“教えることは、学ぶことなり”。なるほど、それで君は、教師であると同時に学生でもあるわけだ」
納得してもらえたようで、何より。
「それで、君は何を教えていたのだ?」
「えぇと、中学生に数学と理科を教えていました」
「ほぅ、それで、その知識は何のために学ぶのだ?」
「えっ?」
「何の役に立つのだ?」
………。また、答えにくい質問を…
実際のところ、学校で習う知識なんて、実社会では大して役に立たない。
大体、そもそも学問とか知識なんて、そういうものだ。
そういえば、誰かが言ってたなぁ…
いわゆる知識というものは、現実を忘れるためにあるって…
人が知らないことを知っているのって、ちょっとだけ自分が偉くなったような気にはなるしね…
僕は、拙い英語を駆使して、自分の考えを伝えてみる。
それに対する兎さんの反応はというと、
「素晴らしい! それは非常に役に立つものだな」
えっ? どこが?
「人は、“覚えられない”、“忘れてしまう”と文句を言うが、ワシはそうは思わん。がんばって覚えようとすれば、大抵のことは覚えられる。だが、意識して忘れることはできん。世の中には、忘れてしまいたいことが溢れかえっているというのにな」
確かに…
「それで、君はどうやって生徒に現実を忘れさせるのだ?」
そう言って、更に切り込んでくる兎さん。
う〜ん、、現実かぁ…
そもそも、学校の勉強なんて、僕はゲームと同じだと思っている。
ゲームの中には、確かにそのゲームの中では確実に通用するルールや法則なんかがあって、それに従って皆がゲームを楽しんでいるし、勝敗もそれで決まる。
でも、それはゲームの中限定で、そんなルールは現実世界では何の強制力も持たない。
「う〜ん、、うまく説明できないんですけど…」
僕はそう前置きしつつ、自分の考えを伝えてみる。
生徒にも、実はよく聞かれた。
『これ、将来使うの?』
『なんの役に立つの?』
『なんで、こんな役に立たなことを勉強しなきゃいけないの?』
それに対する僕の答え。
『高校入試で役に立つの。高校に行けないと、社会に出てから大変でしょ?』
勉強しないと高校入試に受からない。
高校に行けず、中卒だと社会に出て苦労する。
そうならないために、今やっている勉強は役に立つ。
この意見は一見理路整然としてるし、まぁ、一般常識だとは思う。
僕は、あまり信じてないけど…
そもそもの前提に、問題がある。
学校の教師の言う“中卒だと苦労する”って、何の根拠も無い。
確かに中卒だと就けない職業もあるけど、それを言ったら、中学出てすぐに修行を始めないと大成できないような仕事もある。
大学出てても就職先が見つからないって人もいるし、一流大学を出たからって、皆が幸せになっているわけでもない。
逆に、中卒でも雇ってくれる会社もあるし、幸せに暮らしている人達もたくさんいる。
つまり、勉強しなければいけない理由の大前提になっている“高校に行かないと苦労する”には、大した根拠なんてないんだよ。
だから、それを前提にする“学校の勉強は役に立つ”という論は、いわば砂上の楼閣ってこと。
そんな根拠の無い理屈をさも当然のように生徒に語りながら、役にも立たない知識をすごい価値のある物のように教え込む自分は、実は詐欺師なんじゃないかって思う時がある。
そんな事を兎さんに伝えた。
「君は素晴らしい理科教師だな!」
「えっ? なんで?」
戸惑う僕に、兎さんは言う。
科学とは、そういうものだと。
例えば、人々は言う。
地球は1周24時間という一定のスピードで、反時計回りに自転している。
それは、太陽が毎朝東の空から昇り、一定のスピードで進み、西の空に沈んでいくのを見れば明白だと。
有史以来ずっと繰り返されてきたことで、明日も間違いなく太陽は東から登る“だろう”。
それを疑うような論理も事実も存在しないし、誰もそれを疑わない。
ずっと昔からそうだったのだから、次も同じに決まっている。
その事に、もっともらしい理由をつけたのが科学だと。
実際のところ、明日も同じように太陽が登る保証など、どこにもないというのに。
「ワシに言わせれば、科学など、それこそ“砂上の楼閣”だな。故に、自分のことを詐欺師だという君は、良い教師ということになる。教師とは詐欺師、トリックスターでなければならない。歴史に名を残す偉大な教師は、湖を歩いて渡り、水をぶどう酒に変えたと、人々を納得させたのだからな」
>
【胡蝶の夢】
「まぁ、確かに。でも、そんなことを言ったら、何も信じられませんよ」
「その通り。この世に確かなものなど何も存在せんよ」
可愛いうさぎさんの姿で言い切る彼は、まるで賢者のようにも感じられ、それでいて明らかに見た目はうさぎだ。
それで、僕は思い切って聞いてみた。
「兎さん、あなたは本当はうさぎではないのでは?」
「当然だ。初めから言っておるだろう。“うさぎ”ではなく、“兎”だと」
「それって、同じ意味では?」
「全然違う! “うさぎ”と“兎”では、文字から受ける印象がまるで異なる。漢字かひらがなか、“e”を付けるか付けないか、そういうちょっとした違いで、同じ意味でも相手が受ける印象は全然違ったものになるのだ」
兎さんが、よく分からないことを言い出した。
問題はそこじゃない!
“同じ意味”って言った?
“兎”も“うさぎ”も、意味的には同じ?
「えぇと、、“兎”というのはあなたの名前なのでは? 本当は人間で、“兎”という名前では?」
「君は何を言っている? 兎はウサギだ。私はウサギで、君は人間。見れば分かるだろう」
あれ?
確かに、そうなんだけど…
「なら、どうしてあなたは言葉を話せるのですか!? ウサギは言葉を話せないでしょう!?」
ウサギが言葉を話すというあり得ない現実を突きつけられて、僕は恐怖を感じる。
自分を落ち着かせようと口に運んだ紅茶は、既に冷たくなっていた…
ウサギは、そんな僕を見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「なぜなら、我々は今、物語の中にいるからだ。今我々がいるこの世界は、夢のようなものだよ」
「でも、僕たちは確かに今、ここに存在している!」
「夢というのは、見ている時には夢とは気付かぬものだよ。まぁ、この世界が夢であろうとなかろうと、大した違いはないがね。夢のような現実、現実のような夢、どちらも同じことだ。
そうだな、君はここから離れた砂漠の国で、最近大きな戦争があったのを知っているかな?」
「ええ、あの戦争はニュースで何度も見ましたから」
「どう思ったね?」
「えっ、それは勿論、悲しいことだと…」
「テレビの前で泣いたのかね?」
「いや、そこまでは…」
「では、質問を変えよう。君は小説や映画を見て泣いたことはないのかね?」
「……………。あります、、」
「なら、聞こう。見ず知らずの国で起こった現実の戦争と、ただの作り話の物語。君の感情、生活、人生により影響を与えたのは、はたしてどちらだろう?」
彼の言葉は、僕に古い旅の記憶を思い出させる。
乾いた風と、まるで質量があるかのような強い日差し。
そして、どこまでも続く砂。
僕はバイクを走らせていて、次の瞬間、病院のベッドで目を覚ました。
そこは、砂漠の町の小さな診療所で、僕は一週間意識不明だったらしい。
僕が目を覚ましたと聞いて、町の警察署の警官が事情説明にやって来た。
僕は、バイクで走っているところを、一人の強盗に襲われたらしい。
外国人旅行者を狙って、走っているバイクに体当たりをして、転倒したところで荷物を奪っていくんだって。
でも、僕の荷物は無事だった。
相手の強盗が、死んでしまったから…
タイミングを、誤ったらしい…
そんな話を警察官から聞かされたんだけど、僕には事故の前後の記憶が全くなくて…
事故で強く頭を打ったせいか、全然思い出せない…
その数日後、同じ町の小さな裁判所で裁判があって、そこで僕は無罪だと言われた。
経緯なんて、分からない。
裁判官は、僕への質問だけは英語でしてくれるものの、それ以外は全て現地の言葉で、僕は裁判が終わるまで、一体何についての裁判をしているのかすら、分からなかった。
本当は相手の強盗が死んだというのも嘘で、町の人間がみんなで何も知らない外国人旅行者を騙していたのかもしれない…
そもそも、僕の貧弱な英語力なら、全てが僕の勘違いという可能性すらある…
子供の頃、僕はある夢を見て、その夢を長い間現実だと信じ込んでたことがあった。
ずっと大きくなって、改めてその記憶を思い返すと、現実には絶対にあり得ないことが分かって、あれは夢だったのかと気がついた。
世界はとても広くて、でも、とても狭い。
それは、自分で見たり、聞いたり、感じたりできる範囲によって決まるものだから。
自分が行ったことのない場所って、本当に存在している?
実は、僕が行こうと思った瞬間にその場所は作られるのであって、僕が行きたいと思わなければ、その場所はそもそも存在しないのでは?
その場所を知らない人にとっては、その場所が現実に存在しようとしまいと、何も変わらないわけだから。
この世界の全ては、僕の頭の中にしか存在しないのかもしれない。
ふと、気がつくと、僕の前には兎さんがいて、僕の方をじっと見て、その口を開いた。
「そろそろ、お別れの時間だ。現実に戻るには、よい時間だろう」
「えっ!?」
「終わるのは、いつも突然なものだよ」
僕は、もっと話を続けたいのに…
「また会えますか?」
それは分からない。
君がこの物語を作るよい機会に恵まれれば、あるいは、また会えるかもしれん。
だが、この世界は君の住む世界と同じで、ひどく気まぐれだからな。
お気に入りの水槽も、子供の興味が他所に移れば簡単に近所の川に流されてしまう。
簡単に消えてしまう存在だ。
この世界も、この世界の創造主たる君の世界も全ては同じ。
胡蝶の夢。
誰かの見ている夢に過ぎないのだから。
会えて嬉しかった。
機会があればまた会おう。
では、御機嫌よう…
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
気に入られた方、評価、ブクマ、感想などいただければ幸いです。
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