1日目 地獄は突然に
1日目
ーー◯◯市総合病院 屋上
「相変わらずあんたの誕生日は決まって晴れるわね」
照りつける太陽を睨みつけ顔をしかめながら、むわりと漂う生暖かい空気を手で払い、俺の車椅子をイノリは押す。この屋上は、子供の頃の遊び場で、一番のお気に入りである。小さい頃はここで、イノリと一緒にお店やさんごっこをしたり、探検したり、かくれんぼしたりと、よく遊んだものだ。屋上は子供には危ないんじゃないか?と思うだろうが、屋上の端をぐるりと大人の身長をゆうに超える金網が、張られており、金網の隙間もとても狭く作られているため、転落の可能性は極めて低い。
「俺は晴れ男だからな!大事な日はいつも晴れてんだよ」
「いいなぁー、私なんて小さい頃から遠足の時は決まって雨が降ってたわ」
「ふふっ、日頃の行いが違うんだよお前とはな」
「殴るわよ?」
平和だ。目の前のイノリが口の端を吊り上げて、木刀を構えているが。少なくとも、木刀が振り下ろされるまでは俺の平和は守られるだろう。バキッ
容姿端麗、無慈悲で、暴力的なイノリにも悪いところはある。彼女を構成している大部分が悪いところである。容姿は完璧。中身は危険でバイオレンスだ。イノリは祖父から貰った木刀を離さない。過去のトラウマもあり、武器を常に携帯していないと、彼女はパニックを起こし外に出られなくなる。故に離せないのだ。
トオルは頭に走る鋭い痛みに、顔を歪ませ手に持っていた小説を地面に落とす。
「まだこんなの読んでるのね」
地面に落ちた小説を拾い、パラパラとイノリは懐かしそうに目を落とす。
「魔王軍の侵略日誌、あれよね?なんか主人公が異世界で魔王になってハーレムを作るみたいな?」
「別に俺が何読んでようがお前に関係ないだろ、ほら返せ返せ」
「……じー」
じーという擬音を発しながら、イノリは俺の顔を覗き込んでくる。
「あなた?こういうハーレムが望みなの?」
「ばあ!?っか!?んなわけないだろ!?」
「望みなのね」
ジトォという擬音がぴったりな表情で、イノリは俺の目を見てくる。つい視線を逸らした俺を見て、イノリは、やっぱりそういうものなのかしら?と、ブツブツ独り言を呟き車椅子の周りをゆっくりと回り始める。俺は恥ずかしさが頂点に達し、思わず天を仰いだ。
太陽が急接近してるんじゃないか?と、思うほどの熱。アイスも一瞬でとけ、冷たい飲み物は直ぐに温くなる。地球温暖化なんて言葉が騒がれ始めてから、こんなにも地球温暖化の影響で暑い日が増えるとは思っていなかった。ここ数日、観測史上最高気温だの異常気象だのという言葉をよくテレビで見かける。今後も年々暑くなっていくだろう、という言葉を聞くたびにこれ以上の暑さなんて耐えられるのだろうか?地球はもうダメなんです!ごめんなさい!みたいな。
「イノリはさ、もし地球がダメになっちゃうでみんな死んじゃいます!ごめんなさい!みたいになったら最後は何をしたい?」
「なによ、急に」
「ほら?最近暑いじゃん?このままだと地球には住めなくなっちゃうんじゃないかなーって?」
「なるわけないじゃない。でも、そうね。最後はここにいたいわね」
少し顔を赤らめて、ポケットから取り出した棒突きキャンディーを口にくわえる。
ほんと暴力的な所さえなければ俺のどストレートなんだけどなぁ。
「少し騒がしいわね。最後は静かにしてもらいたいわ」
ここは病院の屋上。下の階からの声が聞こえるのは当然だが、今日は少しばかり騒がしい。急患でも来たのだろうか。サイレンの音は…聞こえない。何人か分からないがいろんな人の叫び声が聞こえる。
「う…のしょう…こにやった!!!」
「おち…ださい…いま…確認中…」
「先生!…03号室の…さんが…さんが!」
途切れ途切れにしか聞こえない。少し距離があるようだ。しかし、その言葉の断片から一刻を争うような焦燥感が伝わってくる。沢山の人が走り回る音。工事でもしているかのように響き渡る靴音が、俺の鼓動を早くする。病院内で走るのは如何なものか。いや非常時なら仕方がないか、大変なんだな医療従事者ってのは。
自分には関係ないと、再び視線を屋上から見える青い空と白い雲に合わせる。
ダンダンダンダンダンダンダンダンダン
後ろからする、力強く足を地面に叩きつけ、階段を駆け上がってくる音に気がつき、トオルとイノリは振り返る。この特徴的な音に聞き覚えがあるのだ。俺の腕に注射を刺しっぱなしで帰宅しようとした時、笑顔でハムスターのように弁当を頬張り、つるりと滑った弁当箱を追いかけて頭から壁に激突した時。上司に呼ばれていたのに忘れてイノリの病室でお菓子を食べていたのがばれて呼び出しを食らった時、ダメダメである。
「トオルくん!イノリちゃんいる!!?他の職員に聞いたら屋上に行ったよって!!」
「いるわよ」
「ここにいますけど、千春さんどうしたんですか?」
額に汗を滲ませ、今にも泣きそうな顔の千春が屋上のドアを開けて近づいてくる。こんな顔を見るのは初めてだ。
「なんか沢山患者さんが病院から逃げちゃったみたいでね、そのいなくなっちゃった子たちがね、トオルくんと同じフロアの子ばかりだったから心配になってね。トオルくんが見つかってよかった」
集団脱走とか、ここは刑務所じゃないだろ。てか
俺と同じフロアって研究区画じゃ…
「トオル!!」
「へぇ?」
急にイノリに名前を叫ばれ、変な声を出してしまう。咄嗟に振り返った俺の目にあったのは、病院の屋上から見えた青い空と白い雲…ではない。緑色の空、赤い雲、まるで世界の色が反転したかのような目に悪い光景が飛び込んでくる。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ
布を無理やり手で引き裂いたかのような気持ちの悪い音が世界を埋め尽くす。音だけではなかった。空が、緑色の空が裂けている。
「トオル!なんんなのよこれ!」
「俺に分かるわけないだろ!取り敢えず俺の車椅子につかまっとけ!」
テンパりながら俺の車椅子にしがみつくイノリ、ガタガタガタと小刻みに震えるイノリにより、車椅子が揺さぶられる。明らかな異常に車椅子に掴まったぐらいでなんとかなるとは思っていなかったが、手の届く距離に誰かがいることの安心感を求めた。逆に車椅子が震えて乗り物酔いにも似た感覚を味わっているが。
「千春さんも早く!…え?」
千春を呼ぼうと振り返ったが返事がない、それどころかさっきまで千春のいた屋上のドアの前には、誰もいなくなっていた。トオルの顔が急激に青ざめ、孤独感が心を染め上げる。もしかしてこれは夢なのでは?一瞬現実逃避をしようと思考を変化させるが
「千春どこ!なんでいないのよ!なんなの!」
隣で車椅子を揺らしてくるイノリによって、現実逃避は妨害される。
次の瞬間、空の裂け目はトオル達の頭上へと達する。急激に気温が低下し、一瞬にして夏の空気から、冬の空気へと切り替わる。変化したトオル達の周りの、凍えるような空気が、空の裂け目へと吸い込まれ、あまりの強風に、高速道路で窓を開けた時のような爆音が耳を責め立てる。
ふわり
体が浮遊感を得る、ジェットコースターの急降下一歩手前のような感覚。しかし、身体は落ちることなく上へ、上へと浮かび上がる。さっきまでトオル達のいた病院が、どんどんと小さくなっていき、高度を上げる。緑色の空が近づいてくる。緑の絵の具をぶちまけたかのような、鮮やかな緑の空に引きずり込まれる。
空の裂け目に飲まれた瞬間、激しい振動に襲われる。空中に浮いているトオルとイノリは空間が振動しているかのような感覚を味わい、意識が薄れ出してくる。
「なっ…」
振動が止まったかとふと安心した俺に、急激な落下感が追いつく。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
臓器が上へ上へと上がり、身体が重力に引き寄せられる。一瞬見えた地面は遥かに遠く、間違いなくこのまま落ちれば死ぬと全細胞が悲鳴をあげる。
バシャッッッッン
バシャッッッッン
トオルとイノリは二人同時に地面へと落下する。
奇跡が起きた。偶然にもここは沼地だった、地面は雨でぐちゃぐちゃになり、自然のクッションとして2人をを救った。当然それだけではない、沼地といえどそこらには、大きな岩が埋まっており表面は鋭く尖っている。2人もちょうどその上に、落ちてしまったのだが、最後の最後に車椅子が助けてくれた。落下する2人と岩の間に、車椅子をワンクッション入れて、2人は岩に直接衝突することなく、トランポリンで跳ねるように身体を跳ねさせ、泥の上に落下した。本来なら車椅子に乗っていたトオルだけが助かっていただろうが、イノリは必死にトオルの体にしがみつき、泥に落ちるまで離さなかったことにより、空中で離れ離れになることなく2人仲良く泥に落ちた。
「ぐっ」
落下してから数分、俺は生きているのか死んでいるのか分からないでいた。しかしふと、俺の腕を見ればイノリが、泣きそうな顔をしてしがみついていたことに気がつき、こんな状況にもかかわらず、可愛いところあるじゃん、と考えてしまった。
乗っていた車椅子はバラバラに砕け、周りに散乱している。空の色も青色に戻っており、空気も暖かい。危機は去り、数分イノリの顔を楽しみ、それに気がついたイノリが赤面しながら、身体を起こしてくれる。
周りを見渡したトオルとイノリの頭には?が浮かんでいた。見渡す限りの沼地、所々に泥で埋もれる大岩、折れた木が散乱している。普通に落ちてきていたら相当運良く、大岩の無い場所に落ちなければ…いや、それでも生き残れるかどうかは微妙だろう。運が良かったのだ。初めて俺は車椅子に乗っていたことに感謝しながら、力が抜けた身体をそのまま地面へと倒し、泥の上で仰向けになる。なんとか生きていたことに、そして何よりこんな広い沼地が日本には無いことに気がつき、結論へと達する。
ここは日本では無い。
恐怖、不安と、少しばかりの期待が心に満ちさっきまで持っていた小説を思い出す。異世界、だったら面白いなぁ。
周りをぐるぐると泣きそうな顔で見渡しているイノリを見ながら、ふと思った。
イノリの後ろで動いている人影はなんだ?
イノリのはるか後方、人の形をした何かが高速で落下している。あまり目が良い方では無いトオルにはそれが人なのか、はたまた人型の何かなのかは判別がつけられなかった。
だが一瞬、目を凝らして見えた人型の顔は泣いているように見えた。
パン
遠くで、マンションの上階からアスファルトの道路にスイカを落とした時のような、音がした。
ようやく始まりました。ささっと異世界まで進めたかったので現実編は少し話数減らしました。内容によってはもう少し進んでから、話掘り下げるかもです。