馬鹿王子は、間違いを直す気がありません。
少しでも笑っていただければ、幸いです。
王立学園の舞踏会から、ひっそりと退場した二人は、王城にあるユドルフの自室で、ティーテーブルに向かいあって座っていた。
勿論二人っきりではなく、レイラ付きのメイドと、ユドルフの側近が側に控えている。
「ユドルフ様、先程の事でまだお聞きしたい事があるのですが、よろしいかしら?」
「何だ?」
時間が経ってから思い返すと、疑問が湧くなんて事はよくある事だ。
レイラはその疑問を、そのままにしておくのはあまり、好きでは無い。
勿論、態々濁して言われた言葉まで暴く事はしないが、今 レイラが疑問に思っている事は、答えによっては、レイラの人生も左右する大事な事だ。答えてくれるならば、聞いておいた方がいいだろう。
「私の思い違いだったら申し訳ないのですけれど、ユドルフ様は王位を継がないおつもりなのですよね?」
「今現在 王太子である以上、継がないとは断言できないが、自分の意思としては、継がないつもりだ。」
「では、何故サミュエラ様を、諜報員として欲しいなどと言い出したのです?」
「私は、王位を継がないつもりでいる。となると、王位を継ぐのはよっぽどの事がない限り、弟達の誰かだろう。ならば面倒を押し付ける以上、少しでも王となる者が治めやすい環境を整えておくべきだろう?」
涼しげな表情で言うユドルフの後ろで、側近の男性が微かに眉をひそめている。
「王位を・・・・面倒・・・。」
ボソリと漏れた側近の言葉を、ユドルフは咎める訳でも無く、あえて何も言わず、小さく笑って聞き流し、レイラも気にする事なく話を続ける。
「ですが、あの様子だと、ユドルフ様には二度と関わり合いたく無いと思ってらっしゃるのでは?」
「それは、大丈夫だ。サミュエラが自ら『どんな手を使ってでも、リオレットと結婚したいのです。リオレットと結婚できるのなら、悪魔にでも魂を売ります。』と言っていたからな。結婚出来るように手を打つ代わりにほら。」
そういって、ユドルフはティーテーブルの上に3枚の紙を置いた。
そこには、諜報員としての訓練を受ける誓約書と、この事を他言しない誓約書、そして無事諜報員として職に着く事になった場合の、王家に忠誠を誓う血判状まで揃っている。
「二つ返事で、これを書いたぞ。」
「あの・・・それは普通、願いが叶ってからする事ではないのかしら?」
「書かないなら、手を貸さないと言ったら、素直に書いたぞ。」
ニヤニヤ笑うユドルフに、レイラは呆れ顔になってしまう。
「それは、軽い脅しですわね。けれど良かったですわ。今回の騒動、サミュエラ様は全て、ご納得してらしたのね。」
「全てでは無いな。結婚させてやるとは言ったが、その手段までは話していないからな。」
・・・・
レイラは、サミュエラの話を始めてから、ユドルフの口元が微かに歪んでいた理由を理解した。
「サミュエラ様は、本当に悪魔に魂を売る事になってしまったのですわね・・・。」
「何を言っている。俺は約束を守っただろう?」
堂々と言ってのけるユドルフを見ながら、レイラは、怒りで真っ赤になって震えていたサミュエラを思い出し、深い、深い溜息が漏れた。
「お可哀想なサミュエラ様・・・。」
呟く様なレイラの言葉を、ユドルフは聞き逃さなかった。
突然ニヤリとした笑みを消し、真顔に変わる。
「目の前に私が居るのに、私以外の男の心配か?」
「心配ではなく、哀れんでいるのです。」
「そうか、私以外の者に感情を割く余裕があるのだな。」
「無いです。ユドルフ様だけで手一杯ですわ。」
その言葉に、ユドルフの顔に笑みが戻る。
「余裕があるのなら、私の事しか考えられないように、もう一騒動 起こそうかと思ったのだがな。」
「もっと他にあるでしょう。何故、騒ぎを起こす方へ考えが行くのです。」
思わず声が少し大きくなってしまい、恥ずかしくなってそっと目をそらすと、正面のユドルフから楽しそうな声が聞こえてきた。
「何だ、違う方法が良いのか。それならば、婚約者の願いを叶えてやらねばな。」
顔を上げると、ユドルフは席を立ち、ゆっくりとレイラに顔を近づけてきていた。
「えっ・・あの・・ちっ・・・近いです。」
「願いどおり、違う方法で私の事しか考えられないようにしてやろう。」
「は?・・・えっ??」
間近に迫るユドルフの顔に、耐えられなくなったレイラは、思わず強く瞼を閉じてしまった。
コン
レイラの額に、少し硬いものが触れる。
そっと、目を開けば、そこにあるはずのユドルフの顔は無く、茶色い本の表紙が飛び込んできた。
それを見た瞬間、レイラは自分の勘違いに恥ずかしくなり、頬を赤くそめ・・・・
「レイラ、さあ コレを読んでくれ。」
ユドルフの言葉に、その本が何なのか目を凝らした瞬間、これ以上無いほど更に、更に真っ赤に染まった。
「これは!!!これわぁぁぁぁあああ!!!!」
先程まで、レイラが纏っていたはずの、淑やかな雰囲気が一気に消し飛んだ。
叫ぶレイラに、ユドルフは楽しそうに・・・本当に楽しそうに笑っている。
「レイラへの愛を綴った、私の日記だ。」
レイラは、日記を強引に奪い取り、両腕で強く抱きしめると、ユドルフを強く睨みつけた。
「何で、何でこれがここにあるのよ。捨てたはずよ。」
「レイラ、大丈夫か? 大切な淑女の皮が、落ちてしまっているぞ。」
「そんな事はどうでも良いわよ!コレは、絶対捨てるからね。いや、ダメだわ。コレがここに有ると言う事は、簡単な捨て方ではダメなのね、燃やすわ!灰にして埋めるわ!!!」
「好きにして良いぞ。それは、レイラにあげたくて持ってきたんだからな。」
優しく微笑む顔は、それだけ見れば慈愛に満ちた、優しい笑みに見えるのだが、レイラには更に悪い事の予兆にしか思えなかった。
「もしかして・・・まだ他にも有るなんて事・・・無いわよね・・・」
「何を言っている。あるに決まっているだろう?
それは最近の物で、王妃教育のせいか面白い失敗をしなくなったから、あまり書かれていない物だ。それでも、大切な物には変わりない。少し寂しいが、私の頭の中には、内容がしっかりと刻まれているから大丈夫だ。その気になれば、一語一句違わず同じ物が作れるしな。」
それは、ユドルフの日記と言う名の、レイラの恥ずかしい失敗談集・・・
そして、それは一年前レイラが見つけ、切り刻んで、土に埋めたはずの物・・・
胸を張るユドルフ
驚愕するレイラ
一瞬時が止まった様に動かなくなったが、直ぐにレイラの手にしていた日記が勢い良く宙をまい、部屋の中にゴンと鈍い音が響いた。
「こんな物、意味無いじゃないのぉぉぉぉ!!!!」
今度は、レイラの叫び声が響いた。
「そうか、それならコレは返してもらおう。」
そう言って、ユドルフが床に叩きつけられた日記を手に取ろうとすると、その手を涙目のレイラが掴んだ。
「イヤァ!! 紙に残したままなんて、誰に読まれるかわからないじゃない。」
「ならば、コレはレイラにあげよう。」
「これだけじゃダメよ! 全部!!!全部だしなさい!!」
もはや、金切り声になっているレイラに、ユドルフは満面の笑みを浮かべる。
「私が王子では無くなり、田舎の領主にでもなったら、一緒に燃やそう。」
「それでは、誰かに見られてしまうわ、今よ!!今!!!」
「駄目だよ。この日記達は、私の知る君の愛おしい過去であると同時に、君の誰にも見られたく無い過去であり、大事な君を縛る為の物でもあるからね。」
何を言われているのか分からず、首を傾げるレイラに、ユドルフは心の底から今日一番の笑みを浮かべる。
「これは、僕が与える君の枷だ。これが僕の手元にある限り、君は僕から離れられない。」
美しく聞こえる様に言っているが・・・
「そんな枷いらないわよ!!!普通の枷にしてよ!!もっと他にあったでしょう!!!」
そうして叫ぶレイラの頭の中は、間違いなくユドルフの事でいっぱいになっており、他に入る隙など微塵も無かった・・・・・
いつの間にか、部屋の片隅に避難・・・・控えていた、ユドルフの側近と、レイラのメイドは、二人から目を離す事なく、そっと言葉を交わしていた。
「本当に、ユドルフ殿下が申し訳ありません・・。」
「何をおっしゃいます。ユドルフ様には感謝するばかりですよ。」
「感謝ですか??」
「ええ、お嬢様は幼い頃から病弱ではありましたが、気持ちだけは元気いっぱいな方で、よく笑い、よく泣き、よく叫ぶ子でした。」
「叫ぶ・・・?」
「ええ、ベットの上で動かないでいると、気が滅入るからと、よく叫んで気を紛らわせてらっしゃいました。
「・・・・・」
「ですが、王妃教育が進み、王妃となるべく仮面を被るようになってから、叫ぶ事も無くなってしまって・・・。」
「・・・・」
「ですが、ほら。今はあんなに全力で叫ばれて。」
「・・・あの・・・叫ぶって、アレで良いんですか?」
「アレこそが、本来のお嬢様ですわ。」
ユドルフの側近は、深く考えることを放棄した。