白の世界の住人を照らす月光の
今日もまた、一人が消えていった。
今朝、衛兵に連れて行かれたきり戻ってこなかった。連れて行かれた先で何が行われているのか全く知らないけれど、何か良くないことをされているということは薄々感じとっていた。
今まで何人の人が、いなくなってしまっただろう。今となってはもう分からない。ただ、ここにいる人数が減っていくたびに、ここを早く出なくてはいけいないと本能が己の心に訴えかけていた。
この部屋には、否、小屋には。
ただひたすらに真っ白なこの場所には、あと、3人しか残されていない。
〜・〜・〜・〜・〜
「ねぇナイン、じゃんけんって知ってる?」
「それぐらい知ってるさ、じゃんけんポンってやるやつだろ?」
「そうそう、ねぇ3人でやろうよ。もうボールあそび飽きちゃった」
俺たち3人だけになったあの日から、もう1ヶ月が過ぎようとしていた。カレンダーなんてものはないので、今が何月の何日かは知ることができない。ただ、意味もなく日を数えているだけだ。
ここでは時間の経過など、全く意味をなさない。
「ほら、スリーも早くやろうよ」
「俺はいいよ、お前らだけでやってろ」
「えーっ……ツレないなぁ」
そう言ってトニーは頬を膨らませたが、すぐにナインの方に向きなおって勝手に遊び始めた。
この部屋には所々破れている粗末な布団に少し大きめのゴムボール、そして済みの一角に設けられた、簡素な浴室とトイレぐらいしかない。
本当に必要最小限の生活環境。俺たちはこの無駄に広々とした、床も壁も天井も真っ白に塗られた部屋に閉じ込められている。
天井には監視カメラが付いており、俺たちの首には訳のわからないチョーカーがはめられている。
だから、これは飼われているといった方が正しいかもしれない。
食事は日に二度、壁に小さく開けられた普段は鍵のかかっている窓のような場所から、皿に載ったやや太めのスティックが3本と、コップに入った水が与えられる。
味のしない、ただ粉っぽいだけのスティック。これだけで1日空腹にならなくて済むのだから不思議なものである。
ただ、これでは食事というより餌である。飼われているのだからある意味当然のことか……。
そして、ナインとトニーの遊びがいつの間にかあっち向いてホイに変わっていた頃、今日の二度目の ”餌” の時間がやってきた。
餌を食べる時間だけ、皆喋らない。この中で一番元気でおしゃべりなトニーでさえ、黙々とスティックを口の中に押し込んでいる。
この無機質な空間に、無機質な時間が流れ込む。この時間だけ、自分以外の時の流れが止まっているような、そんな不思議な感覚に引き込まれる。
それは、この飼われているだけの生活の中で、名も無き自分と向き合うことのできる唯一の時間だからかもしれない。
でも、結局それは意味のないことであるという結論に至って、最後の一口を時の流れを止める因子とともに水で一気に流し込む。
無機質な餌の時間が終わりしばらく経ち、それぞれ思い思いの時間を過ごしていたその時、部屋の中にけたたましくブザーが鳴り響いた。
俺は無意識のうちに立ち上がっており、あとの二人は怯えるように身を寄せ合った。
このブザー音は、”最後の審判” だ。この耳に不快な警告音がなると、部屋のドアが開き外から軍服を着た3人ほどの兵士が中に入ってくる。
そして、一人だけをこの ”小屋” から連れ出す。ここには二度と戻らぬという運命とともに。
それが解放なのか否かは、俺たちにはわからない。ただ、連れて行く兵士の下卑た目つきから、”真の” 解放ではないことは明らかだった。
そして今、そのブザー音が鳴り響いている。つまり、この3人の中から一人が消えるということだ。
ただ、一つだけいつもと違う。大体連れて行かれる時間帯は決まっていて、一度目と二度目の餌の時間の間にそれは行われる。だが、今回はいつものタイミングではないのだ。
なにやらいつもと違う雰囲気に警戒する俺たちの目線の先で、扉が開かれる。そこから現れたのは軍服を着た兵士たち……ではなく、白衣を着た女性だった。
カッカッと足音を響かせてやや小走りにこちらに向かってくる。俺は二人を庇うように立ちその女性を睨んだ。
すると、その女性は何も危害を加えるつもりはないというように両手を上げて、優しく微笑んだ。
「はじめまして。私の名前はアーネスト。簡単に言えば、君たちの味方だ」
味方……だと? そんな綺麗事、俺たちに信用してもらえるとでも思っているのか。
「もちろんそう言ったところで君達は私を信用なんてしないだろう。それで構わない。でも、今は私の話を聞いて欲しいんだ。聞いてくれさえすれば、私をどうしようと構わない。でも、あまり時間がないんだ」
俺は後ろの二人をちらりと見た。ナインとトニーは一度顔を見合わせてから揃って俺に頷いた。
俺もそれに頷き返し、アーネストに答えた。
「話って……なんですか。俺たちをここから出してくれるとでも言うつもりですか」
「ああ、全くその通りだよ。話が早くて助かる」
「俺たちがそれを信じると思いますか」
「それは、君達次第だ」
アーネストは端麗な顔を引き締めてから、俺たちに説明を始めた。
「いいかい、明日君達《《全員》》ここから連れ出される予定だ。私はそれを止めたい。連れ出された先に待っているのは、”死” だ」
後ろで、ヒュッと息を飲む音が聞こえた。
「だから君達は私と一緒にここから逃げるんだ。だけれど君達はこの部屋から脱出しようとすると首についているチョーカーから高圧の電流が流れてしまう。だからそれを私が今持っている銃で壊す。そしたらあとは、出口まで走るだけだ。私の助手に外に車を用意させている。それに乗り込んでこことはおさらばさ」
ここまで一気に説明したアーネストの息切れだけがこの部屋に響く。
数秒間の沈黙。
このアーネストという女性からは、あのクソ兵士たちから滲み出るクソみたいな空気を感じられない。
だが、あくまでもこいつは俺たちをここに閉じ込め監視していた側の人間だ。その事実は決して変わらない。
だがこいつは危険を冒してここに来たのだろう。おそらくこの女性はこの部屋に入ることを許可されていない人間のはずだ。
そして扉が開きっぱなしになっているので今もひたすら侵入者を知らせんとばかりにブザーが鳴り響いている。一度扉を閉めてしまえば外側からしか開けることができないのだ。
こうして考えている間にも、あの兵士たちがここへ向かっているだろう。
俺は考えて、アーネストを見たまま後ろの二人に言った。
「この人の言うことが本当ならば、俺たちは揃って明日死ぬ。ここから今逃げ出して失敗すればおそらく殺される」
今度はゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
「だから、二つに一つだ。明日の死を待つか、危険を冒して死ぬかのどちらかだ」
そう言い終えた直後、二人が立ち上がる気配があった。そしてトニーが口を開く。
「ここから逃げ出せば死ななくて済むんでしょ? だったら私はこの人のいうことを信じたい」
「僕も、そう思う」
ナインも賛成の意を示した。
ならば、決まりだ。
「分かった。俺たちはあんたの計画に乗ろう。少しでも可能性があるのならば、それを信じたい」
そう告げるとアーネストは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ありがとう。さて、もう時間がない。チョーカーを壊すよ。耳を塞いで」
そう言うとアーネストは白衣の内側から拳銃を取り出して俺の首もとに銃口を当てて、引き金を引いた。
銃弾はやや太めのチョーカーを貫通することはなく、見事にそれを破壊するまでにとどまっていた。
他の二人にも同じようにした後、アーネストは叫んだ。
「さあ走って! 私についてきて!」
それはまるで迷路だった。もうあの部屋へ一人で帰ることはできないだろう。それほどまでにこの通路は入り組んでいる。足元が見える程度の明かりしかないので、ここは非常用の通路か何かなのだろう。
それにしても、異様に体が軽い。まるで自分の体ではないみたいだ。相当な距離を走ったというのに、一切息が切れない。他の二人も同じのようだ。アーネストの走るスピードに合わせていると言ってもいいほどだ。
と、突然通路が途切れた。前方には行く手を阻む壁と、上へと伸びる梯子があるのみである。
「ここを登れば出口だ。さあ、急ごう」
そう言ってアーネストは梯子を登り始めた。それに俺、トニー、ナインの順に続く。
登っている途中には明かりは全くなく、手探りで次の棒を掴むしかなかった。真っ暗なその空間にはひんやりとした空気が流れていて、時々自分の背中をなぞるように冷や汗が伝っていく。
「止まって。出口に着いたよ」
アーネストがそう言って一同が一息ついた瞬間。
複数の足音が下の方から聞こえてきた。
「探せ! 必ずこの通路のどこかにいるはずだ!」
男が大声で部下らしきに人たちに命令している。
「思ったより早かったな……よし、蓋を開けるよ。そしたら一気に登るんだ」
俺たちは小声で、はい、と囁いた。
それを開けた時のキィという音と、梯子を登る時の金属音が居場所を知らせてしまった。
「こっちだ!こっちから音がしたぞ!」
その怒声に引き寄せられるように足音がどんどん近づいてくる。
アーネストはすでに登り終えていた。俺の手を掴み外へと引き出す。
それに続いてトニーの手をアーネストが掴んだ刹那。
パン、パンと二度乾いた音がした。
それを聞くや否や、アーネストは一気にトニーを引っ張り出し、抱きとめた。それと同時にドサッという鈍い音が続く。
だが俺は、それがアーネストが尻餅をついた音ではないことに気づいた。それは、もっと下の方、穴の中から聞こえた気がした。
「…‥っ! ナイン!!」
半ば反射的にそこを覗き込もうとした瞬間、またしても二発の銃声。それは梯子に当たったらしく、外の乾いた空気にカーンと響いた。
「い……ゃ……」
トニーが力なく声を発した。あの明朗闊達な少女からは想像もできないほどに、それは弱々しかった。
だが、それも少しの時間のことで、気づいた時には彼女は堰を切ったように叫び出した。
「いやあああああああああ!!!!! ナインが! ナインが! 早く助けなくちゃ!ねぇ、スリー! 早くナインを助けて!!」
小さな体をじたばたさせて激しく暴れるトニー。それをアーネストは険しい顔で制していた。
「君、やめないか! 今行けば君も撃たれるのだぞ!」
「嫌よ! ナイン! 早く誰かナインを助けて!」
ナイン、早く、助けて。その三つの単語をただ必死に並べ立てて叫ぶトニーの姿は、もはや見るに堪えないまでに悲痛なものだった。
と、俺たちの前に一台の車が止まった。運転席からメガネをかけた小柄な女性が窓から顔を出す。
「先生! 急いで乗ってください。あっちからも追っ手が来ています!」
どうやらこの人がアーネストの助手らしい。アーネストは頷くと、まだ暴れ続けているトニーを抱えたまま助手席に乗り込んだ。俺も後ろの席に飛び乗る。
アクセルを踏み込み車を発進させた瞬間、俺たちが出てきた通路の中から兵士が登ってきて、銃口をこちらに向けた。
「アーネスト、助手さん、頭を伏せて!」
そう俺が叫んだのと同時に発砲音がした。何発か車の後部に当たったようだが、車は俺たちを乗せてそのまま走り続けた。
車は裏門を通り抜けてこの施設の敷地を出た。セキリュティのしっかりしているだろうこの施設の門がなぜ開いていたのか。
その答えは、門を通過するときに警備係らしい兵士が胸から血を流して倒れているのを見て、理解した。
車はひたすら走り続けた。
外はもうすっかり夜に浸かっていた。
満月が、世界を銀色に照らしている。
俺たちが何をしていようと、美しく輝く月も遥か遠くで瞬いている星々も、関心がないというように規則正しく動き続ける。
その輝きは、俺たちの解放を祝福してくれているようでもあったし、この世界の不条理を悲しんでいるようでもあった。
俺たちはまだ小さすぎるけれども、この世界があまり良いものではないということは感じ取ることができた。少なくとも、先ほどまでいた場所はひどく汚れていたのだろう。
そして、これから住むことになる世界もきっと、美しく汚れているのだろう。
城壁は、もう目の前に迫っていた。