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6.鍵穴の先

 外はいつのまにか、今にも落ちてきそうな雲に覆われていた。

 さっきまで晴れていたはずだがこんなにも早く張り出すものか、と桐谷は一瞬考えを巡らせるがすぐ我にかえり、目的がどこへ行ったか辺りを見回す。

幸い白髪で目立つため視界に入る限り見失いはしない。


(奴さんは……あそこか)


 土産物屋の角を右に曲がったところだ。このまま真っ直ぐいけば旅館郡がありその奥には従業員たちの住宅地がある。走って追いつこうとする、が歩いているような挙動の割りには、いやに速い。しかもこちらが速度を出せばそれに合わせて相手も速くなる。


(なんだあいつ、こっちに気付いたのか。にしてはこっちをちらりとも見ない)


 まるで自分と一緒にスライド移動しているようだ、と思った途端。


(茂みに突っ込んでいった……!? 木陰でこちらを撒こうって魂胆か)


 同じく桐谷も植え込みを跨いでまた走っていった……。





「彼女に続き、今日は珍客が多いねぇ」


 茂みに入ってから10秒も走らない場所にそれはいた。


「それもあいつ直々のご招待。いや体験入園ってところか」


 白髪の、中性的な見た目の……声質から判断するに、男であるらしい。


「なに訳わかんねえとこで訳わかんねえこと喋ってんだ」


 苛立った口調で近づいていく桐谷。その男は茂みで隠れて見えていなかった古びたブランコに乗りながら見た。


「私は君になにもできない、今助けることはできない。あいつに邪魔されてしまうから。」


 その目はここではないどこかを見ているかのように焦点があっていない。存在をまるで認識していないような、何となくそこにいるような気がしたときに向ける眼差し。


 桐谷はそんな不気味な目線や自分だけがなにかを知っているとでも言わんが言葉に一瞬こいつとこれ以上関わってはいけない、と思うもその不躾な態度に苛立ちも覚えた。そして舌打ちをひとつとここにいる理由を簡潔に説明する。


「俺は単にあんたが盗み聞きをしていたから追いかけてきただけだ、助けなんか求めてないし客になった覚えもない」

「……君はまだ、なにも知らないだけだ。たぶんまたここに来る。それだけの精神を保った状態でならきっと抵抗するためにやって来るのだろう」


 すべてを悟ったかのような表情に少しの期待感が混じった。立ち上がり桐谷に背を向けてまた歩き始める。


「私はここやあっちでは何もできない、それにもう諦めてしまった。諦めは人を殺す、それを忘れるな。」


 桐谷はその背中の色彩が妙に薄いように感じられた。周りの空気にとけてしまいそう、そう思った。


(色彩が薄い……? そんなものその人特有というか、少なくとも比較対象がいないとそんなことに気づきは……)


 我ながら妙なことを考える、とその男が建物の角を曲がり見えなくなったところで踵を返した。






 茂みから出て、来た道を戻ると、さっきまで入っていた喫茶店の前で武家と八坂が立っていた。


「お話は終わりました?」

「ええ、終わったわ。菅頭さんは自分のホテルに戻ったけどね。桐谷探偵にもよろしくって言っていたわ」


 八坂が貰ったらしい資料を持っており、武家は鍵が一つ付いたキーホルダーを人差し指にはめてくるくる回している。


「その鍵はなんです?」

「借りたのよ、輿水が使ってたっていう小屋の鍵。生活もそこでしていたそうなんだけど、その中身が少し奇妙なのよ。そこを探ってみれば更なる手がかりが見つかるかもしれないってね」


 武家は得意気に鍵を弄びながら菅頭が話したことを説明する。

 輿水の小屋は持っていたマスターキーで開けて入ったときほとんどの物品が持ち出されていたそうである。誘拐ならば生活していた痕跡が残っているはず。それでこの件は失踪ではないかと菅頭は考えている。だが、輿水が使っていたと思われる資料はそのまま残されているのである。


「重かったから鞄に詰め込まなかったのでは?」

「普通に考えればそうなんでしょうけど。でも奇妙というのはその本のこともらしいのよね」


 様々な地勢調査がまとめられたレポート類や純粋に図鑑や地図など、そのなかに混じって日本語で書かれない本もあったそうである。明らかに手書き、そして英語でもない。菅頭が今まで見たこともない言語の本だった。


「なるほど、それはたしかに変かもしれないですね。英語ですらないとか自筆であるだとか色々」

「そうね。日本語で書いてあるやつには特に不審なものは無かったって言ってたわ」


 そのまま話し込みそうな二人を見かねて、桐谷にそれより報告がまだなんだけど、という目線を八坂が送る。


「そう怖い顔しないでくださいよ。なんといいますかその…、ごまかされた感じですかねぇ」

「話しはしたのかしら」


 八坂は桐谷の発言に顔をしかめて更なる報告を求める。


「ええ、するにはしたんですが。変なことしか言わない男でねえ、こっちをはぐらかしてくるというよりは一方的に話をされるという風でした」


 二人にことの経緯を説明し、武家がそれに反応する。


「意味深とも思えるし、単なるサイコな嫌がらせとも思えるわね」

「そうなんですよ、そんな変なことばっかり言われて反論の余地がないというかそもそも同じ土俵で喋ってなかったです」

「どこかのスパイかなんかじゃなさそうだから今は放っておきましょう。本当に私たちへ用があるならまた現れるでしょ、そのときに色々聞けばいいわ」


武家は熱心に話を聞けどもそれ以上何かをそこから得ようとはしなかった。言っているように情報が足りなさすぎるというのもそうだが、心のどこかにその得体の知れぬ男に対する怯えがあるのも、事実だった。


「そういってもらえると何もできなかった俺としても助かります。お恥ずかしい話、少し怖かったんですよね、そいつの態度とか言動とかが。」

「不気味でもある。だけど今はこの鍵を持って陵前さんと合流しましょ、待たせているかもしれないもの」

「その陵前さんは駐在所に行っているんでしたっけ、なんでそうなったか教えてもらえます?」


 深追いをしないという決断をした主人の考えに追随し、八坂は桐谷へそう尋ねる。


「自分が不審人物を見つけましてね、それを追いかけていったんですよ。冬に来たときにこの辺はあらかた調べたので場所はわかります」


 こっちです、と桐谷が案内して3人は駐在所に向かった。






 陵前が駐在所の資料をあらかた見終わった頃には時刻は正午を回っている。あらかじめ用意していた昼食を食べながら、多比心をこれからどうするかについて考えていた。


「それで、多比の処遇はどうすればいいんでしょうか」


 別室でいまだなんの反応も見せない少女のことを頭に浮かべ、駐在所の警官――上森と名乗った――に話しかけた。


「そうですね、とりあえず参考人として署に送るのが正しいのではないかと。本人もここから早く離れたいようですし」


 多比が乗ってきた車のキーは服のポケットに入れていたがそれ以外の所持品は不明になっている間に紛失したらしい。それ故連絡先もわからない、どうやらホテル以外からの失踪届けすらも出ていない。


「そうすれば意識も正常に戻って情報を話してくれるかもしれませんね」


 ドンドン、すみませーん。と外から誰かがやって来た。

 上森が迎え入れようと立ち上がって玄関に行く。

 陵前はその声から誰が来たかを察して。


「その人たち私の知り合いです」


 同じく立ち上がって玄関で出迎えた。





無論武家と八坂と桐谷の3人である。


「陵前さん!手がかり見つけたから早速調べにいくわよ!」


 ドアを開けると同時、武家が勢いよく早く外に出るよう促してくる。

 桐谷の、調子はどうだ? という抜けた声も聞こえてくる。八坂はその後ろから目立たないように中に入ってきた。

 警察と相対しているにもかかわらずいっそ傍若無人ですらあるほど態度がフランクな3人である。


「あの、この人たちはいったい…?」


――


「なるほど、協力してくださっている方々でしたか」


 それぞれが自己紹介をして、また陵前がなぜこの3人と知り合いなのかを説明した。


「そういうこと、うちの桐谷は元々協力を要請されてたし私はその上司だから」


 武家から名刺をもらった上森は感心したように息を一つ吐いた。


「ここの地主のような方が手伝ってくれるのなら百人力ですよ」


 武家はそうでしょうそうでしょうと鷹揚に頷く。そして一つの鍵を手渡した。


「それが手がかりよ。輿水研史っていう行方不明者の家というか小屋の鍵。あなたのところの資料にもいたんじゃないかしら」


 輿水研史、という名前を聞いて陵前は同じ人物がリストに乗っていたことを思い出す。


「そういえばさっきその人のことが話題に出てましたね」

「なにか気になることでもあったのか」


 事前に八坂から資料を手渡されていたらしい桐谷はそこにある顔写真をちらりと見る。


「特段何かあったというわけではないんだが。なんとなく気になったというか、勘みたいなもんだからあまり気にせず」


 よくよく考えてみると輿水とどこか、雪の積もるところで話したような、そんな気がするのだが根拠もなくそれでいて調査を錯乱させかねないためそれ以上何も言わない。


「そうか、まあこれからそいつのこと調べるんだからそこでなにかが出てくるのかもしらん。それよりお前、追いかけていったあの女の子はどうなった」

「ああ、そのことも話しておかないとな」


 陵前は温泉街で見つけた酩酊状態にも見える少女を同じく駐車場で確保、アルコール検査を名目として駐在所まで連れてきた。検査の結果は陰性、しかし少女自身が駐在所にあった行方不明者リストの中に存在していたのである。


「というわけで参考人、いや、被害者として拘束中。奥の別室にいるけどそのうち署まで連行しようかと言う話をさっきまでそちらの上森さんとしてた、そんな感じだ」


 上森は一礼して三人に話にある部分の資料を見せる。


「ふーん、今までいなくなった人が戻ってきたことってなかったのよね」


 武家は3人が多比がかかれている部分をざっと読んだ後、他のページをめくりながら陵前に尋ねる。


「ええ、多比心がはじめてです。」

「ならその多比さんに話を聞ければ事態は進展しそうじゃない?2ヶ月も経って生還したのならなおさら」


 陵前は首をふり、連行を承知したときから一切何もしゃべらないことを伝える。


「それでなんですが……、八坂さんってお医者様でしたよね?多比の容態について見てもらえると助かるのですが」


 それ如何ではまず病院に連れていかねばならない、と。


「わかりました。私は専門医ではないですがお嬢様になにが起きても迅速に対応できるように準備はしておりますので」

「頼みます、たぶん精神起因の症状だと思うので……」


 二人は早歩きで奥の部屋にいってしまった。


「私たちもその奇跡の生還者を見に行きましょうか」


 武家はおいてけぼりを食らったように感じて少し不機嫌になっているらしい。


「そうですね、意識が正常に戻ったらまた話を聞くかもしれませんし」


 桐谷は苦笑を浮かべ、そんな主を先導するようにして部屋に入っていった。






「恐らく、極度の精神疲労が原因でこのような様態であるのだと思われます」


 触診や精神分析で行われるのであろう質問を多比に10分ほど行い、八坂は仮定であるが、そう結論付けた。


「一切反応を示さないため、まだはっきりとは診断できませんが」


 さらにやはり病院に早くつれていった方がいいとも付け足す。


「精神疲労、ノイローゼとは違う?」


 興味本位らしく、八坂がしていた診察を真似て多比を触りながら武家が疑問を投げ掛ける。


「神経衰弱という意味ではそうかもしれません。一時的なものだと思います、あくまで恐らくですが」

「一時的だと思う根拠はなんですか?」


 同じような状況、ともすればさらにひどかったらしい陵前が自分がまだ記憶を取り戻していないことを頭に思いながら尋ねる。


「状況で判断しているにすぎませんが。陵前さんと会話を交わし、正常に判断してここまで来れました。今は単に受け答えをする力が失われているだけで鬱的だとか懆的だとかそういうなにかがあるとは思えません」

「お嬢様に身体中あちこち触られても無反応なのに?」


 いまだぺたぺたといじり続ける武家を苦笑しながら桐谷が多比を見つめる。


「ええ、これだけ何かをされて反応を返さないということは、それだけ精神的に安定しているということでもありますから」


 話の種にされた武家は少し頬を赤らめて、噺をそらすように4人に向き直る。


「そ、それはともかく。この子をこれからどうするのが一番なのかしら」

「近場の、万歳か札幌の病院に預けましょう。この状態で一人にするのは危険です」

「情報も喋ってもらわないといけないから一つの場所にいてほしいしね」


 向き直っていた体をひるがえして武家は多比の髪をわしゃわしゃとかきまわす。


「文句言わないからってあんまり弄るとあとが酷いですよ」


 桐谷は再度の苦笑を浮かべて武家をなだめる。


「今のこれ、覚えているのかしらね」


 無事、失踪後とは思えないほど整えられていた髪が寝起き同然になる。


「僕は気がついたら病院でした」


「なら大丈夫ね」


 多比の頭を自分で作った工芸品を見る目で眺め、腕を組み納得する。


「あの、よろしければ私が車で病院まで届けましょうか」


 話があらぬ方向に飛んでいった4人にどう話を落ち着けるものかと考え、上森はそう提案する。

 その提案に陵前は気遣わしげな顔で上森を見る。


「構いませんよ、この件でこんなにも情報や手がかりが集まったのは初めてです。私はこの半年余りてぐすね引くことしかできませんでしたから」


 あなたたちがこのまま調査を進めた方がことはうまく運ぶ、と。


「なるほど。それならその言葉に甘えさせてもらって私たちは輿水の小屋に行ってみましょうか」

「それでは私の知り合いがいる精神病院宛にメモ書きではありますが紹介状をしたためましょう」


 はやる気持ちを抑えるといった体で了承する武家。またそのようすを察して八坂は事務作業を手早く終わらせる。


「仕事が早いね、お前の職場は」


先刻ふざけていたのを忘れていたかのように真剣な顔つきになった二人を横目に陵前は桐谷にそうこぼす。


「金持ち趣味ってやつさ、意欲があり余ってるのよ」


 桐谷は肩を揺すって二人には聞こえないようにそう呟いた。


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