4.鍵
駐車場からほど近い旅館の一室で会合は行われる。
この会合は支老湖関連事業者組合が月に一度程度行う定例会合である。その組合に参加するのは支老湖周辺のホテルや旅館支配人、それをまとめる奈代を始めとした武家グループの幹部が何人か。温泉街に存在するボートや遊覧船といったアトラクションや周辺に存在するキャンプ場を管理する会社の責任者といった人たちである。
「これはこれは、お早いお着きで」
陵前たちと分かれた武家と八坂は会場のホテルの玄関で女将の歓迎を受けていた。
「出迎えどうも。ちょっと早く着いちゃってね、やることも特にないし始まるまで少し休憩させてもらおうかと思って」
会場には毎度この場所を選んでいるから武家にとっては馴染みであり、ここの従業員たちにも顔を覚えている人がある程度いる。
「長旅お疲れさまでございました。準備は終わっておりますのでご案内いたします。」
「ええ、お願いするわ」
「それではごゆっくり・・・」
女将は二人を15人程度が座れる長机が置いてある部屋に通した。
まだ開始まで一時間前のためまだ集まっておらず、主催している武家グループの人が談笑しながら今日の予定について確認していた。
「そうそう、今日私たちが泊まることは伝えたと思うけどそれ以外にもう二人増えそうだからその手続きできないかしら」
「了解いたしました。武家様と八坂様、それとそのお二人様で合わせて二人部屋を二部屋で構わないでしょうか」
元々この後は滞在してから帰ろうと考えていた武家であったが調査が何日にも渡って続きそうであったから別の仕事を任せるつもりだった桐谷と陵前を同じ場所に泊まらせることにしたのだ。
「それでお願いするわ。すまないわね、当日に無理を言って」
滅相もございません・・・と女将はふすまを閉じて部屋から出ていった。
いつの間にかまたこの相も変わらず曇天の世界を歩いていた。さっきまであの人たちの話を聞いていたと思っていたのだけど。
まあいいか。と少女は所在なげに頭を振りなんとなしに歩みを進める。
「おや、この世界に君みたいな人がいるとは」
突然話しかけられた。今までこの世界に来てから誰かとまともに関わることができただろうか・・・・・・?
「そう無視しなさんなって。私は君を助けられる」
もはや口を開く元気もないのだが。それに助けるとはどういうことだろう。
「君はとても不安定なんだ。こっちにもあっちにもきちんと存在していない。説明しても無駄かな?いいよ、ついてきなさい」
話しかけてきた人はどこかに向かって歩き出した。私もそれについていくことにする。今までと同じ歩くだけなのならばなにも抵抗はない。
――
「はい着いた。ここから君はあっちに戻れる」
30分かそこら歩いたところに一軒の小屋があった。そこに何があるというのだろうか。
「存在として不安定だとさっき言ったね、だから君はあっちとこっちに行ったり来たりしているはずだ」
そう話しながらなかに入る。建てられたのはそう古くないらしい。
「でも一度正規の手段でその門をくぐれば存在は固定されるの・・・っと」
なにやらよくわからないことを喋りながら床下収納らしきふたを開ける。
「この中で君にその手段を教える。しっかり覚えたまえ」
・・・・・・? 一瞬見たときはそこはただの収納スペースだった。でも一度二度まばたきをした後にはそこに地下へ続く穴が存在していた。
「できればこの世界のなんたるかを教えたいところなんだけど。それは無理かな。たぶん信じられないし。いやその前に覚えていられるだけの余裕がないかな」
事件を解決する鍵、それは無数に存在する。
それは偶然見つかったとしてもあるいは見つかるのが必然だったとしてもそれはどれ一つとして欠けてはならないものだ。
これは完全に偶然の上成り立っていると言えよう。その偶然はとても些細な、しかしすこぶる決定的な手がかりを与える存在になる。
「暇だな」
陵前は武家と八坂が会議に出席するため分かれてその後、会場のホテル前で暇をもて余していた。
「なんだったらひとまずお前だけで色々やっててもいいんだぞ。俺はこういうのなれてるし」
「10時か。後二時間でできることなんてたかが知れてる。なら武家さんと一緒に行動してたほうが何かといいんじゃないかな」
腕時計を確認しながらやる気なげに言葉を返す。
「そういわずに、お嬢さんだってこんなよくわからない案件の情報持ってこれるかどうか――」
と、視界の端に歩いている少女の姿をとらえた。
なぜその存在を気にしたかと聞かれたらはっきりとは答えられない。しかし桐谷自身、武家に対してのよからぬものがここに近づいてこないか常に警戒を怠っていなかった。
それなのにその少女は突然に現れたのだ。
陵前のどうした?と聞く声にその疑問を頭の隅に追いやって改めてその現れた人物を見る。年齢は20に届くかどうか、特に気にするべき外見ではないのだが。
「おい、あの女の子。足取りがおぼつかない。それに歩いている方向は駐車場じゃないか」
いつもなら少し気になった程度ではそれ以上の追及はしない。だがその少女の存在は一度それが何物であるか確かめねばならない。それは、桐谷にそう思わせた。
「酒飲んでたりしたら大変だろ、追いかけなくていいのか」
「あれは、確かに。酒飲んで無かったとしても運転は危ないかもしれんな」
温泉街の中にある駐在所にいるから、そう言って陵前は少女を追いかけていった。
少女は自分の姿を取り戻していた。あっちとこっちのどっちつかずの状態から、正しいあるべき存在へとなったのである。
そんな彼女を占めている思い、それはこの地に対するどうしようもない忌避である。なぜそんな思いを抱くのかわからないがここから一刻でも早く逃げ出したかった。幸い車で来ていたことは覚えていたのでそれを停めてある場所に向かっていた。
そこにたどり着きキーを差そうとしたとき見覚えのある人に話しかけられた。
「大丈夫ですか?」
後ろを振り向いてみるといつか…確かもう一人の別の男の人と話していた人がいた。
思わずあの雪で埋め尽くされる湖岸を脳裏に浮かべた。すると。
「うっ……。この景色はなんだ……?」
どこかここではない場所を見ているような目付きでそんなことを呟いた。その姿にどこか自分と似たようなものを感じる。
「……失礼しました。すみませんが酒気帯び等の違反がないかどうか調べたいので同行願いたいのですが」
この人警察か…と思うと同時にまだここに居残らないといけない事実に少女はくずおれそうな感覚を覚える。
「終わったら…すぐに解放してくれる……?」
「……? あ、ああ。こちらが大丈夫だと判断したらすぐにでも解放しよう」
言葉を返す元気も残っていないがその言葉を信じて少女は男の人についていくことにした。
この少女について、いや正確に言えば少女に触れた際に脳裏に浮かんだ景色のことを陵前は考えていた。
車に乗ろうとする少女を止めようと肩を掴んだとき、目の前に幻覚のように現れたのだ。雪が埋め尽くす湖岸で誰か、男と話している光景が。
「すこし聞きたいことがあるんだけど」
歩いて5分もいらない駐在所に向かって歩く最中、感情が無くなったかのような目をただ前に向けている少女に向けて話しかけた。
「半年くらい前からここいらで行方不明になってしまう人が増えてるんだけど、それについてなにか知らない?」
病院に運ばれたあの日から出向いていない。だが下調べをした中にあった写真から、一瞬頭に浮かんだ場所は、自分が意識不明になり記憶喪失をも発症した緩翼キャンプ場であろうと思われた。
「……」
だが少女から反応はない。そもそも声をかけたときに発した一言以外何も喋っていないのだ。その様子は拒否というよりも喋る必要がないと感じるものには喋らないといった感じだ。
「私は今それを調査するためにここに来ているんだ。なんでもいい、手がかりになることが欲しいんだ。協力してくれたら嬉しい。」
さっきの頭の奥底から這い出るように現れたあの光景はなんなのか。
記憶がよみがえろうとしているのか。
それならなぜこの無言の少女に触れたときにそうなったのか。ただの偶然か、それとも。
これがこの事件を解決に導く最初の鍵になるかもしれない、そんな淡い期待を抱いて陵前は駐在所に向かう。
少女の名前は多比 心。10代後半の女子大生である。支老湖に一人旅行へ行ったきり失踪してしまう。最終の目撃証言は泊まっていた旅館から……。
「なるほど、多比さん、ねぇ」
陵前は駐在所で警察署で見たものとは別の行方不明者リストを見ている。
それは、いまだ何もしゃべらない多比のアルコール検査をしている支老湖駐在所配属の警官がまとめたものだ。警察署にあるものより推定の不明者なども載っており情報量が多い。そのなかに多比に関する記述もあったのだ。
「やっぱり気になりますよね、そこ」
その記述のある一点を見つめながら考え込んでいる陵前に対し検査が終わったらしい警官がそう、声をかける。
「そうですね。一体いなくなってからどこに行っていたのか……」
多比心の失踪届けを受け取ったのは4月である。陵前の最初の調査から2ヶ月経った頃、そして二度目の現在より2ヶ月ほど前のことになる。
「肝心のその生還者も何も話しませんしね」
「やはりですか。すこし落ち着いたら何か動きもあるかと思ったんですが」
まるで魂が抜き取られたかのようだ、と警官は呟く。今は部屋の奥にある小上がりに座っている。正座で身じろぎひとつせずにただ前を見つめているのだ。
「それで…体調の方は大丈夫なんですか?」
他のリストも見ている陵前を心配の目で見つめる。緩翼キャンプ場で倒れているのを発見された後、救急車をこの駐在所で待っていたのはこの警官だ。
「ん? ああ、こうしてまた捜査ができるほどには平気ですよ」
「そうですよね。いや、あの時のあなたと今のあの娘が何となく被る気がしまして」
陵前は駐在所に運ばれてから割とすぐに目を覚ました。
覚ましたのだが意識があるのかないのか。ここではないどこかを見つめながら話しかけても揺すぶられても一切反応しなかったのだ。
「ここまで歩いてこれるだけマシかもしれないですが。あなたは魂を完全に抜き取られてましたから」
苦笑しながらさらなる資料を取り出す警官。病院にかつぎ込まれてから3~4日は何もできなかったそうである。
「そんなに酷かったんですか。なら覚えてなくてもしょうがないのかなぁ。この頭のなかを取り戻すことができれば何か手がかりになるかと思っているんですが」
頭のてっぺんを触りながら次の資料に手を伸ばす。
「しかしその調査した記憶だけすっぽり抜けてるって言うのも都合のいい話ですよね」
確かに、とそのことについて考えようとしたとき陵前はリストにある一人の男に目が留まった。
「その人は……この辺りを色々調べてた人でしたっけ。旅館の偉いさんに頼まれてか何かで」
名前は輿水研史。年齢不詳、支老湖付近の旅館に所属。不明になる以前は支老湖周りに何か観光資源はないか、などとと調べていた。不明になった時期、1月~3月。
「その人の上司さんによると輿水は年越し頃から少し集中的に調べたいことができたから顔を見せなくなる、と言って調査をしていたらしいです。だから発覚が遅れた上にいつ不明になったのかもよくわからない」
1月から3月の被害者は合計で20人以上……。
「一応あなたが捜査していたときと同じ時期ですが、他も多いから関連性があるかどうか分からないかと」
「……じゃあなんで私はこの人ことが気になったんだろう」