18.世界はあぶくのごとく
「よく来た! 待っていたよ!」
それぞれが寝たり寝なかったりの夜を過ごし、明けた朝早速小屋に向かう。
そこにいたのは手を広げながら満面の笑みを浮かべている白髪の男だった。
「さあ、奥田キャンプ場で僕と会った人はこちらに!」
一行が突然の出来事に口を開けているとそう言いながら陵前の方に近づいてきた。
「ちょっと待って。あなた、桐谷と会ったっていう男の人ね?」
武家は一歩前に出て桐谷を指差しながら男を牽制する。
「ああ、君とも一度話したな。安心してほしい、私は全てを終わらせるだけだ。不利益はありえないよ」
「安心しろと言うなら名乗りくらいあげなさいよね」
目配せを武家は陵前に飛ばす。陵前は頷き男に対面する位置まで出る。
「終わらせる……。多比心を解放したように、ですか?」
「その通りだ。今度はこの世界自体を解放してみせよう」
男は陵前の手を取ろうとする。
それを武家は遮るが、陵前は静かにそれを退け男の手を握った。
「恐らくは罠じゃありません、大丈夫ですよ」
これまで男がやってきたことは善性だった、ならばここで反転することもあるまい、と陵前は思う。
「……そ。自己責任よ、何が起こってもね」
武家はきつい言葉とは裏腹に一つ鼻で笑い、陵前の肩を叩いて離れる。
「あなたたちはいいって言うまで小屋に入ってこないでください。では」
男は陵前以外の三人を一瞥して小屋のなかに入っていった。
「本当に行かせてよかったんですか?」
中にいるであろう窓を見つめながら桐谷は武家に問う。
「自己責任だって言ったでしょ。私としても話を聞いて大丈夫そうだったら行かせてたし。何も話さないから身構えただけでね」
30分ほどが経ち、中から白髪の男が出てきた。
「……成功です。家に入ってきてください」
「成功……。手術でもしてたの?」
「まずは見てください、もう話は終わったようなものです」
部屋には陵前が佇んでいる。手に一つのリンゴを持って。
「変わった様子は無さそうね」
顔には出さず、心で武家はホッとする。
「お前、リンゴなんて持ってたのか?」
桐谷が指を指す。赤くて、大きいリンゴだ。旬からはまだ遠い。
「いや、俺もよく分からないんだけど……」
「その一つのリンゴこそが、世界を壊す鍵になるのです。美味しい……不味くはないはずですよ?」
男はリンゴを見た後にニッコリと微笑む。
「それじゃあ実演しましょう。陵前さん、先程と同じように。今度は私の誘導なしでできるはずです」
「待って、何をするの? それを事前に教えて頂戴」
「ここに、《リンゴがあるのだと思い込みます》。それだけでこの世界では物質を産み出すことができるのです。……産むが易し、でしたか? そこのお3方は目を閉じてください」
3人は何度目かわからない不可解な顔だ。しかし、八坂はハッとして考え込むような顔になる。
「八坂さん、どうかした?」
「何をやったのか、何をやろうとしているのかの見当がつきました。確かに我々は目をつぶっていないといけない」
そう言って目を閉じる。武家と桐谷は目を合わせ、互いに首をかしげながらそれに従った。
30秒ほど沈黙していただろうか。
「もういいですよ。やはり一度できたのならば次からは簡単だ」
男は歓喜を抑えたといった風の声で目を開けるよう促す。
3人が目を開けると、陵前はリンゴを持たない手に、バナナを持っていた。
「素晴らしい。これですべてが終わるのです」
男は身を震わせ陵前の手を取る。
「さっきまで……なかったわよね?」
武家は八坂にまるでわからないという顔を向ける。
「お嬢様。この世界……、認識したものが存在できるというその性質を考えます。そうすると、たとえ《思い込み》であっても物質が現れてもなんら不思議ではないということになります」
「思い込み……? そんな……」
「その人の言う通りです。いや、言う通りでした。ですがただ思い込むだけでは存在が具現化してくれません。なので精神の深いところに語りかける、ある術を陵前さんにかけて、今回でしたらリンゴが存在することが当たり前だというところまで思わせるのです」
男は滔々と語り続ける。また八坂もその説明に納得するよう頷いて、補足しようと話始める。
「いわゆる催眠術です。暗示をかけて精神的な外傷を軽減したり、昂った心を鎮めたり、正式な医療現場でも採用される行為で決して怪しいものではありません」
「催眠術か……。聞いたことはあるがそれは白髪が言うことは可能なのか?」
「可能です。被暗示性の高い人であれば幻覚を起こすことすらできます。故に目を閉じて存在を頭に思い浮かべ、そのイメージを実物のものだと意識を転化させることは難しいことではありません」
桐谷の疑問にやろうと思えば私でもできますよと一つ微笑む。次に男へと向いて話を続ける。
「あなた……いつからここにいるのですか? 私たちは西暦201X年から来たのだけれど」
「1600年にはなっていなかったはずだよ。僕のことはどうでもいいさ、それより時が進んだ世界ではこれに催眠術などと名前など付いているのですね」
「ええ、先程も言った通り医療行為として認められるものですわ」
「お話はそこそこにして、それができたとしてそれがどういう解決法を導くのかしら?」
武家はそのまま話続けようとしそうな二人を遮り、本題に戻す。
「おお、すまないね。ここに来る前は私も医者のようなものをしていたものでね。陵前さんはすでに一度思い込みによる具現化を完成させました。陵前さんの中で《できる》と認識できましたから、次からは簡単にできます。そして、具現化ができるなら……。この先、わかりませんか?」
男は勿体ぶり、4人を見渡して訊いてくる。
「存在を現すことができるなら……消すこともできる。ってことですか?」
黙って考え込むようにしていた陵前はここにきて間髪いれず、男を見て答える。
「その通りです。何を消せばいいかは、どうですか?」
「この世界の存在の認識、じゃないですか」
「95点です。正確には世界の住人の半分より多くからそれを消すのです。そうすれば、本当にこの世界は消えて、無くなってしまいます。消される側も自分でそれを消したいと思わないといけません、そこに留意してください」
「僕の記憶を消えているのはそれですね。もう……、取り戻せないということですか」
男は何も言わず静かに首を縦に振るだけだ。
5人の中に沈黙が降りる。反応がないと見ると、男は玄関の方へ向かってしまう。
「もう、充分だね。君たちの手で全てを終わらせるのです」
扉のノブに手をかけ、そとに出て行く。そうする前に武家が立って叫ぶ。
「あなた! なんで私たちにやらせたの、元からいる住人を使えばいいんじゃなくって!?」
男は首だけ向けて体は振り向かずに答える。
「彼らには僕の姿は見えない。この世界で僕を認識できたのは多比さんと輿水さんと君たち以外、いないのさ」
その顔に刻まれた顔は永劫の孤独を味わった凄絶を思わせるものだった。
「……やりましょうか。私たちは幸い化け物に抗った英雄ということになっているはずだから人を集めるのは大して難しくないはずよ」
4人は温泉街に降りていった。いまだ半信半疑ではあったが確かに心は全てを解決するつもりで。
……建物の陰から、温泉街を走り回って呼び寄せているものらを見ている存在がいた。
周りからは見えていないし、見せてもいない。
白髪の彼女は考えていた。終末の先には何が待ち受けるのだろうか、と。
「よう、久しぶりだな」
姿形はほとんど一緒、だけど声だけ違う彼が横に立った。彼女は無機質な目を遣って、すぐに戻す。
「一ついいか。なんで俺を好きにさせてくれた? いや、今も好きにさせている? お前ほどの力があれば今すぐにでも止めさせて今まで通りの時間を続けることができるはずだ」
その言葉は最早どこにも聞かれなくなったものだ。それを流暢に使いこなす。
彼女は受け答えるか迷ったがこれも記念かと思い口を開くことにした。
「……もう、飽きてたのよ。自分が作ったものだから当たり前だけど、進歩が無い。変化があるならたとえ破滅の道でも受け入れよう」
その言葉に彼はため息をはいて思わずといった風に虚空を見る。
「……時間が解決してくれたということか。本当にいいのか? 俺は恐らく一緒に消滅するだろう。だが、お前はどうなるかわからんぞ」
「消えるなら、それでもいい。あなたたちが思うような死への恐怖はないって、あなた知ってるでしょ」
彼も彼女もそれ以上言葉を交わさずに、最後の儀式の準備が進む光景をただ見ている。
温泉街で一番広い駐車場に沢山の人間が集まり、それぞれに説明が成されていく。
そして全員が目を瞑り、ただ一つのことを願う。それは一人の男の屈折した力に依って、現実へと還元される。
世界が、はじけた。




