15.鍵は差し込まれた
支老湖にあるキャンプ場は、立地上4つを1つの車で回るのはすごく時間がかかる。
道路はグルっと1周ひかれているが、一部が通行止めになっている。その通行止めの始まりと終わりの近くにそれぞれ1つあるのだ。温泉街は丁度その2つの中間くらいにあるものだから全部行ってだとすごく効率が悪いわけである。
「えーと、石碑の位置はどこだって言ってたっけか」
そんなわけで、二台の車を使い輿水が言ったキャンプ場にある石碑を探しに来ている。
陵前と桐谷は札幌へ続く道沿いのキャンプ場――二つの内の一つは20分ほどその道から逸れたところにあるのだが――の担当になり、温泉街から近い方の幌内キャンプ場に寄った。
このキャンプ場は、支老湖で唯一のモーターボートの乗り入れが許されている区域に面しており、泊まり客以外にもそれ目当てで人が来る。もちろん夜間は乗れないためエンジン音がうるさくて寝れないということはない。
「《中に入っていた草原の中にある炊事棟の近く》だったような。」
入場料を払い、二人は駐車場に車を停めて降り立った。既に3時近い、陽は斜め上から照っている。
「随分と細かいもんだな、親切なんだかそうじゃないんだか」
輿水のノートには石碑の細かい位置まで載っていたと八坂が二人に翻訳したデータのそれの該当部を教えたのである。
「見つけられなかったからここに書いてあることは嘘だと言われても困るからとか」
桐谷の悪態に陵前は適当な相づちを打つ。横目に宿泊受け付け等をするらしき建物を入れながら草原とやらを探す。
「ええと……、この炊事棟は違うかな。周り砂場だし」
建物の比較的近くに炊事棟はあったが、湖畔に近く草原とは言えない。
「こんなところにあっても周りの目が気になって触りたくないけどな。俺らには見えて他の奴には見えないものなんだったらパット見何やってんのってことになる」
平日とはいえ、何組かの宿泊客と日帰り客はいる。車の台数から考えてどうやらこの炊事棟近くにほとんどテントを建てているようだ。
「あっちの方に奥に続いてるっぽい道があるからそれ行ってみよう」
陵前が指差した先には森に入っていく轍の付いた道がある。
「草原の炊事棟に……あったな」
2~3分歩くと開けたところに出た。森に囲まれた草原で、中央に屋根の付いた壁はない柱だけの建物がある。近づくと蛇口があり炊事場であることがわかった。その裏手に、鉄橋の近くで見つけた石碑とほぼ同じに見える石碑を二人は見つけた。
「桐谷、お前冬に来たんだよな? ここまで探したのか?」
「ああ、雪深くて大変だったけどな。だがこんなものはなかった、断言できる」
今日は二人とも最初から見えたのである。ということは、輿水のノートに書いてある通り既に二人とも《条件》を満たしているということになる。
「気持ち悪い限りだ、相も変わらずラテン語で読めやしねぇし」
例によってアルファベットで何事か文章が書き込まれている。
「前見つけたものよりも短いようだけど。単文しかないし」
日本語でいう読点ひとつ分だけらしい。
「八坂さんに読んでもらうために写真撮っておくか」
二人はそれだけすると駐車場へと戻っていった。
空に雲が、張り出し始める。
次に二人が向かった奥多キャンプ場は、いわゆる隠れ家的~という奴である。札幌へと続く道から逸れて、峠道を越えた先の湖畔にある。幌内キャンプ場から更に30分ほど車を運転しなければならないのだ。
横道のどん詰まりにある立地からだとは断言できないが、奥多キャンプ場は落ち着いた雰囲気を保っている。砂浜はほとんどなく、深い森がすぐ近くだ。キャンプするときはその森の中にテントを立てることが多いからして、日の光が届きにくいのも雰囲気作りに一役買っていると言えよう。
「すいません、この辺りで人が入っていったまま出てこなかったとかそういう場所ってありません?」
輿水のノートには、《管理棟の近く》とだけ書かれていた。その為桐谷は、目星をつけたいと管理棟の売店にいる店員(年は大分上らしい)にそれらしい場所を聞いていた。
「あー、それならこの建物の横に裏手へ続く通路があるんだけどそこに入っていった客が出ていったとこを見なかったことあったね」
石碑が行方不明の引き金だとは書かれていなかったようだが、桐谷はどうも怪しいと思う。陵前と多比がどっちもそれに触ったのがきっかけで巻き込まれているからその思考は当然とも言えたが。
「そこに行っても?」
「構いませんよ。通路って言ってもそんなに高さのないトタンが壁だから乗り越えて行ったんだと思ってるんだけどねわたしは」
「……そうだといいんですけどね。これを」
置いてある菓子を店員に渡す。マシュマロが置いてあるのを見て、主人が焚き火で炙って食べるとおいしいのだと言っていたことを思い出す。
「陵前、お前も何か……」
桐谷は後ろに陵前が着いてきてるものだと思っていた。が、振り向くとそこには誰もいない。
「店員さん、俺、最初から一人だった?」
「そうだったと思うけど。140円ね」
桐谷は丁度の小銭を財布から出し短く礼を言うと、駆け足でまたしても引き寄せられたらしい相方を探しに玄関を出た。
温泉街でそれに目を奪われたのは、その存在の異様さが気になっていたからだと思っていた。だが、そうではないと確信した。これには引力がある、有無は言わせない。
気がつくと石碑が目の前にあった。
「やあ、こんにちは」
逃げ出そうと、いや、桐谷の元に戻ろうと振り向くと白髪の男が立っている。
「……こんにちは」
挨拶は返したが、目の前の人物が桐谷たちが言っていた男なのだろう。
「あなたはいったい誰なのです? 我々の味方なんですか?」
「世界の脱け殻だよ。生き物と違うのはその脱け殻も生かされ続けているところかな」
……桐谷が言っていた通り、よくわからない語り口をするらしい。
「味方、ね。立場は味方そのものだけど、でも私は君たちに何もできないから味方できないってことになる」
「何もできない、って多比を救ってくれたらしいじゃないですか」
「救った? ああ、あの女の子のことかい。あれは別に……っていうかあの女の子と会ったのか?」
男は驚いたように聞き返してくる。目を見開いてくる辺り相当心が動いたらしい。
「会ったというか。あなたが色々やったらしい後に私たちが多比を保護したんですよ」
それを聞くと驚きを更に深め若干の震えも見える。そこまで何かを思うことなのだろうか。
「そ、それじゃあ。地下室のある小屋って知らないかい?」
「ええ、多比から話を聞いて地下室を見つけました」
「遂にこの時がやってきたというわけだ……!」
今度は急に喜びだした。しかも、涙すら流しそうな程には。
「済まない、取り乱した。少し目を瞑りなさい」
「えっと、なぜ?」
唐突な要求に狼狽えてしまう。
「いいから、女の子を助けたその事実を考えてくれ。君にあるおまじないをかけてあげよう」
有無を言わさぬ勢いにしぶしぶ目を閉じる。目の前には男がいるが、何をしているかは見えない。
頭の中に声が響く……。
――君は今、世界を崩す鍵を手にいれた。
「目を開けて、もう大丈夫だ。終着点は近いよ。君は寄り道をしている暇はない。私はここに残る、君は仲間のところに戻りなさい。」
そう言うと男は自分の横を通り抜け、石碑の前に立った。
「陵前! いるか!」
教えてもらった場所に桐谷は急行する。もう、向こうの世界へ連れ去られているかもしれない。
「いるぞ、大丈夫だ」
建物の角を曲がり、トタンで仕切られた通路というのを視認すると同時にそこから陵前が出てきた。
「そうか……。一人でふらついたのはやはり無意識で、か?」
「ああ、いつのまにかだったよ。そうでなければあんなとこ勝手に行くと思うか?」
陵前が後ろを指差す通路は、確実に従業員しか通らないし通ろうとも思わないようなものだった。
「やはり、そういうことなんだな」
行方不明は条件に適したものが自然と別のどこかへと誘われているという輿水の言葉。それが証明された形となる。
「幸いなのは間違いないんだが、なんでお前、帰ってこれたんだ?」
温泉街で陵前が今と同じことになったとき、桐谷たちが気付かずに声をかけていなかったら他の行方不明者たちと同じ運命を辿っていただろう。帰ってこれたのは、たぶんだが声をかけたからなのだ。しかし今回は陵前の周りには誰もいなかった。それなら、最早ここからいなくなっていてもおかしくはない。
「気がついたら石碑の前にいて、これは手遅れかもしれないと思った。だけど……俺の後ろに、桐谷が話していた白髪の男が立っていたんだ」
陵前はそこでの会話の内容を話す。その大部分は抽象的なものになってしまうが、それは桐谷も知っているところである。
「その人がもしかしたら阻止してくれたか、あるいはもう一度こちらに戻してくれたのかもしれない。多比にしたことを考えれば、できないとは言い切れないだろう?」
「確かに。ならばその男は味方だと考えてもいいわけか」
桐谷はその男のことは相当に訝しんでいたが、ここまでされてはそれも認めざるを得ない。
「そいつはまだ……いや、この世界にはいない、のか」
男に直接話を聞けばいいと思い立つが、男は別の世界から多比と陵前を連れ戻したわけで、それなら別の世界にいる存在だと判断するのが妥当だと考え直す。
「やっぱりいなくなってるね」
石碑の前までやってきたが、予想通り白髪の男はそこにはいなかった。
「しかしこんなところに石碑があるんだな、ここで働いてる人とかすぐ捕まりそうだ」
それがあるのは物置と言っていいような場所だ。色々な道具が置いてあったり建物には裏口で繋がっていたりする。
「それじゃあ写真撮って退散するか」
懐から携帯を取り出し、桐谷は撮影機能を呼んだ。
雲が、空を覆ってゆく。
湖の雲は切れ間が見え、そこから光の梯子がかかる。
我が非に依り、
彼の鬱なるものを封印せしめん。
我が願わくは、
封を破りて再び跳梁しむことなかれ。
我が封の儀は、
星の中心にてその身を縛り付ける。
我が体全ては、
その存在を以て封の証たらしめる。
4人は再び、ホテルに戻ってきていた。時刻は5時を過ぎている。
4つの石碑に書いてある言葉を八坂が解読すると、そんな文章になった。
「それって……、結局何が言いたいんですかね?」
八坂が翻訳しながらも紙にメモしたそれを陵前は見ながら頭をかしげる。
「内容だけ見ると、つまりこの石碑が人外の何者かを封じているってことでいいのか?」
武家たちの方でも石碑の写真は撮ってあり、4人はその姿を全て確認した。といってもラテン語で書かれているからにはどれも同じものであるようにしか見えないのだが。
「輿水のノートの内容を確認なさい。そうだと書いてあるわ。これから私たちがすべきことも同時にね」
「石碑に書いてある、この星の中心にて云々の部分が重要なようです。《この石碑をそれぞれ認識すると、5つの石碑を五芒星の要領で結び、その中心部に天使の梯子が現れそこに向かう》と輿水は言っています。」
八坂が解説をしながら、支老湖の地図を出しその言葉の通りに点を打ち線を引いて形作ってゆく。すると、いびつながらも確かに星が浮かび上がった。
「そこに向かうと何が……?」
「これを書いた時点では輿水も分かってないでしょう。が、何かが起こったことは確かね。なにせ、それから何があったかを書いていない、いや、書けていないのだから」
「ついでに解説しますと、輿水はこことは違う別の世界があると感づいてから、そこに行きたがっていたようなのです」
八坂は澄ました顔でノートを読んでいない二人に追加の情報を告げる。
「そっちに行ってしまったってことですか」
「そう考えるのが普通なように思うし、先駆者がいると確定されているんだからむしろ喜ぶべきじゃない」
その暗にこれから自分達は輿水と同じ運命をたどるのだと言う言葉に、やはり沈鬱な雰囲気になる。そんな中、武家は窓を隠していた障子を両手で開けた。
「さあ、既に世界の扉は開いたのよ!今更怖じ気づくなんて私が許さない!」
窓には湖畔が映る。雲の切れ間から湖面に光が射す。
もう、赤くてもいいはずのそれは、不自然なほど白い。
4人は二人乗りカヌーを二つ借りて、光の差している所へ向かっていた。
「あの二人、速すぎだろ」
武家と八坂が先行していた。呟き声が聞こえない程度には離れている。
「カヌーはコツを掴むのが大事だって聞いたような」
経験の差は如何ともしがたい。そう、思わせる。
そうこうしている内に前の二人は光に入っていきそうだ。
「おい、あれ……」
光に入っていく。その入っていったところから、ぼやけ、消えていく。
「急ぐぞ!めちゃくちゃな漕ぎ方でもいいからとにかく追いつく!」




