12.少女の独白 前
支老湖~万歳間の道を陵前、桐谷、武家の乗った車が桐谷の運転で走る。万歳までは30分ほどで札幌までの道とは違い峠越えは無く、平坦な林の中を行く。太い幹の木は少ない原生林だ。
陵前はこの道の脇に舗装されたサイクリングロードを通って支老湖まで行っていた旅番組があったなとふと思う。
「それで、輿水のノートには何が書いてあったんですか」
ハンドルを握りながら朝食で中断した話を桐谷はもう一度訊く。
「そうね、順序立てて話しましょうか」
武家は八坂から伝えられた、傍目からなら確実に荒唐無稽で片付けてしまうような話を思い出す。
「まず、行方不明者は《この世界からいなくなっている》」
「それ、は」
桐谷は一瞬視界が揺れたような感覚が沸き上がり、慌てて運転に意識を戻す。
「……どこを探しても見つからないってことですか?」
自分が消えかけていた、と言われたことを陵前は頭に浮かべ、その時の非現実感を再び味わう。
「この世界では、ね」
「それの証拠は……あるんですか」
疑いたい気持ちはあるが、半ばそれを確信していた桐谷は追求の声に力がない。
「行方不明の前後を目撃した人がいたらしくてね。行き止まりの道に入っていったまま出てこなかったとか、そういうのが何件か」
「土の中とか水の中とかは……ないですか。すみません、続けてください」
桐谷はむしろそっちの方が非現実的で突拍子がないことに言いながら気づく。
「この世界にはない、ということは別の世界があると?」
具合が悪くなりかけている桐谷とは対照的に陵前はいまだ訝しげだ。
「まあそういうことなんだけど、それを理解するためには前提を話さないとね。次は…《犯人は人間ではない》」
それに関しては陵前と桐谷の二人とも異論はない。規模の大きさだけではなく、犯人が動機含めとにかく不明瞭だったから。
「それが何なのかは?」
「何、と特定はできないけど恐らく非物質的な存在だろうってさ。次の主役よ。ここまでくると怪奇小説よね」
武家は鼻を鳴らす。
「これはキャンプ場に行くことと関係があるんだけど。《支老湖には、なにものかが封印されていた》」
呆気に取られるべき内容であるが、二人に疑いの色は生まれない。が、陵前はその台詞にしこりを感じた。
「いた、っていうのは、今は封印?されていない……と?」
封印と言った瞬間にむず痒さを覚える。非現実の世界に自分も足を踏み入れている気がする。
「一応封印されていることにはされているらしいわ、けど形ばかりだってさ」
「こんだけ悪さしてるなら体を為してないってことですもんね」
平静を取り戻した声音で桐谷が相づちを打つ。が、首筋の冷や汗は止まらない。
「で、あの石碑を含めて支老湖にそれが5つあるんだけど。それが鎖になっているとのことよ。私たちに最初見えない理由は話したけど、普通の人には見えなくなっているのは本来そうなっているわけじゃなく、何者かの影響なのよ」
武家自身、メッセンジャーになるのはやぶさかではないのだが、人の又聞きしか喋れなく、舌打ちしたい気分になる。
「その何者かっていうのは、その封印されている?」
「十中八九ね。それじゃあ最後に、《行方不明者は、ここではないどこかに送られている》」
武家は質問を許さずに、補足を付け足しにかかる。
「これは輿水も推論でしかないと言っているけどね、調べれば調べるほど確信してしまうそうよ」
「根拠はないと?」
改めて、陵前が消えかけた時の情景を桐谷は頭に思い浮かべる。自分もまた、根拠無く陵前はどこかへ違う世界へ行ってしまうのだと感じたそれを。
「いえ、行方不明になった人の車が一緒になくなっていることから考えたそうよ。根拠とするには弱いが、その他要素と合わせればそれが妥当だろう、とね」
支老湖温泉の駐車場は、有料である。それの持ち主が車に乗らずどこかへ行ってしまうとなれば問題となる。が、駐車後にその車もどこへともなく消えてしまうなら、問題とはならないだろう。
「すいません、多比の車はこっちの世界に存在していましたが」
陵前は多比と接触した場面を踏まえ、発言する。
「それに関しては私の口から言えることはないわ。なんたって初めての事例なんだもの」
輿水も行方不明者が生還した例は確認できていないということだ。故に。
「それなら多比と話せばその輿水の話や支老湖の謎が解けそうですね」
「全部とは言わないでもある程度はね。それに私たちの理解も進むわ」
実際、度合いの違いはあれど3人ともいまだに一連の件を懐疑的に見ている。これから、事件の渦中に入るならばそういう意識を消し、いわゆる当事者意識というものを持つ必要があると武家は思っていた。
「あのノートに書いてあったのはこのくらいよ。すぐに飲み込める内容じゃないのはわかってる。だけどこれが現実よ、しっかり噛み砕きなさい」
起きたとき、その部屋にいることを、どうにも現実味のある感覚だとは思えなかった。
見知らぬ天井……というわけではない。この病室まで来た経緯は覚えている。しかし、その記憶を掘り起こしても自分が体験したものだとはどうにも思えないのだ。
多比心は、病室を見回してみる。個室のようだ。目を引くのは、窓に格子がかかっているということ。……精神病棟、というやつなのだろう。テレビやその他暇潰しになりそうなものが一切ないのはそういう病気の中にはそういう刺激が治療の妨げになるものがあるからだと聞いたことがある。
「はぁ……」
思わずため息が出る。正常な思考回路が働いていると自覚はある。ならば、自分はあの世界で狂わずに帰ってこれたということだろう。日めくりカレンダーが置いてある。6月……。自分の中で自分が体験したとはっきり言える日付から2ヶ月が経っている。その間自分が何をしていたか……、あまり深く考えたくはない。
それよりこれからのことだ。昨日、自分は警察に保護され病院に送られた。検査を受け、特に診断するべき病気ではないと診断された。それならその内に……遅くとも1週間もしないほどで退院できるだろう。
自分には家族がいない。大学は通っているが学費と生活費は遺産で賄っている。2ヶ月の穴は……単位的には危ないだろうが学校に金は既に前払いで済ませてしまっている。行方不明の連絡は大学ではなく旅館からだったという。
考えてみれば他人との繋がりが乏しいことだ。親が死んでから友人など会う気にも作る気にもなれなかった。だからといって絶望して後を追ったり本当に今いる場所のお世話になったりするわけでもなく。お一人様で勉強に勤しむ生活というわけだ。
殺風景な部屋に当てられたか感傷に浸りそうになったところで、コンコン、とくぐもった音が頑丈そうな鍵が付いたドアから聞こえる。看護婦が入ってきた。
「面会希望の……陵前さんという警官とそのお連れ方がいらっしゃいました。体調は大丈夫ですか?」
陵前というのは昨日私を捕まえた警官だったはずだ、妙に親近感を覚えた気がする。
「はい、平気です。」
「面会室での面会を希望とのことですので、案内します」
精神病院の面会室といえば刑務所ばりに見舞いと患者の間に格子があるものだと思っていたが、普通の会議室みたいだ。
「昨日ぶりね。私のこと、覚えてる?」
部屋にいたのは3人で全員昨日会った人だ。その中の……自分が何をする意欲も沸いておらず無抵抗なことをいいことに自分を弄んでいた女の人が最初に話した。
「はい。武家さん、ですよね」
「そうそう、こっちの陵前さんって警官に捜査の協力をしているわけ。普段はただの書類書きよ」
名刺をもらった。名前は奈代というらしい。肩書きは特に書かれておらず電話番号と住所だけだ。が、新聞か何かで見覚えがある。どこかの会社のお偉いさんだったはずだ。いらぬ騒ぎを起こさない為に身分を隠しているのかもしれない。
「万歳警察署の陵前です、よろしく」
スーツは着ていない、私服警官という奴だろうか。警察手帳を広げて一言で挨拶を終わらせた。思えばこの人は……、雪の積もった湖畔で誰かと話しているのを2ヶ月の間のどこかで見たかもしれない。
「桐谷って言います。万歳で探偵をやってるから何かあれば。そっちの女の人とは違って正式な依頼で捜査に加わってる」
また名刺をもらった。大学生相手に渡すものなのだろうか。
「多比心です。大学生をやってます。よろしくお願いします」
対面に座っている3人を順繰りに見ながら挨拶する。大学の学生証を見せるとかするべきかと一瞬思う。
「まあ、気楽にね」
「はい。昨日は面倒を見てもらったようで、お手数をかけました」
この人たちに見つからなければ素直に自分の家まで戻れたわけであるから礼を言うのは違うかもしれないが、一言詫びを入れておく。運転すべき状態ではなかったとのことだが。
「気にしないで。私たちの利益になりそうだからね」
そう言って武家さんが3人が今何をしているかをが話す。確かに自分が体験したことはこの人たちの助けになりそうだ。
「あなたには、あなたが体験したこと時を追って話してもらいたいの。なるべく細かく。その上で質問することもあるけど答えてくれると嬉しいわ」
普通警官が仕切るものなんじゃないかと思うが、昨日の駐在所でもこんな感じだったような気がする。正式ではないと言っていたから報酬がないのだろうが……興味本位か、と勝手に考える。
「ええと、どこから話せばいいのか」
「まず最初に支老湖に向かった経緯からお願い」
(大学生は少女か…?)




