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11.今日の宿

――世界には、雲が満ちている。その世界のなかで彼女はあちこちを歩き回り、一定留まって、また別の場所へと歩いていく。

 この行為には意味がある。彼女は何を行っている? ずばり、捕食である。


「もう……おしまいなんだ……。なにをしようと……」

「助けなんかないのか……。今までもなかったんだ、これからも……」

「おぉ……あぁ……うっ」


 目の前を絶望の二文字を心の髄まで刻み込んだような顔をした人が行き交う。

 普通の神経なら彼らが求める救いの手を差しのべようとするか、目を背けて見なかったことにするか。他にも何か、あるだろうか。


 しかし、彼女の目は冷ややかなものでも、ましてや熱を帯びたものでもない。ただひたすらに、無関心だ。

 その視線の異様さはその者が何か……何かが他とは決定的に隔絶しているのだと見るものに思わせる。そんなことを考える余裕があるものはここにいないようだが……。


――


 どうやら食事を終えたようである。彼女は立ち上がり、別のところへと向かう。


 世界は、彼女のためにある。彼女はそれを受け入れ、世界はそれを受け入れる。


 彼女は今の状況に特には何の感慨も持っていない。


 死なないことにやっていることであった。だが、日々が完全にルーチンと化してしまった。作業感のある毎日を送っているにしては、身代が大きくなりすぎた。その大きくなった身の内はかの世界と大きな衝突を再び産むのではないか。そう思う心は、刺激を求めていた。その刺激が、誰にとっての幸となるか誰にとっての不幸となるか、彼女ですらわからない。








 10分ほど歩き、4人が今日泊まる宿に着く。昼間に武家が出席した会合の会場であり、既にその武家が4人分の予約を済ませてある。

 玄関で靴を脱ぎ、受付がある広間まで行くと女将らしき人が礼をして出迎えた。


「これは、武家様。お待ちしておりました」

「部屋の用意は?」

「整っております。お連れ方もご一緒に案内いたしましょう」


 武家が堂に入った様子で夕飯の時間だとか荷物をどうするだとかを言いつけている。


「……朝外から見てわかってたけど高そうだなここ」


 粋を凝らした和風の装飾に目をあちこちやりながら陵前が桐谷に小声で話しかける。


「それなりにはな。まあ気にするな、巻き込ませてもらったお礼ってことらしいからよ」

「むしろ礼をしたいのはこっちなんだがな、その筋から色々と情報手にいれてるから」


 こういうところに慣れていないらしく、落ち着かず目線を泳がせ続ける陵前を桐谷は苦笑しながら宥める。


「なんだかんだ普通の宿と変わんないから大人しくしてろ。貧乏丸出しだぞ?」


 そこに手続きを終えた武家が鍵を二つ持って声をかける。


「ほら、行くわよ。部屋は隣同士でご飯は6時に私たちのところね」

「わかりました。あの、ありがとうございます、面倒見てもらって」


 陵前自身心のなかで予想はしていたが、やはり宿泊料は向こう持ちらしく、思わず礼を述べる。


「いいってことよ。それより仲居さんを待たせるから」


 武家はそう言って鍵を渡す。陵前はその鍵すらも豪華なのにため息を吐く。

 そして4人は仲居―先ほど挨拶をした女将さんだが―が待機している部屋に繋がるらしき通路へ向かった。




夏至を迎えたばかりで日の入りの時間が普通7時を越える。


 しかしここ支老湖では山に囲まれており、なおかつこの時期の日は標高の高い山――1500mくらいの――に沈んでいくため、5時半には見えなくなってしまう。

 それでもその後2時間ほどは山の向こうの赤い光に映されて長い黄昏が続く。その段々と空が黒に変わっていき辺りが見えなくなっていくまでの雰囲気は夕日の名残と夜の訪れを同時に感じられるものとなっている。


 武家が早めに食事を持ってくるよう頼んだのは4人が昼きちんとしたものを食べていないのはもちろんであるが、窓から見える湖面や奥の山々をそういう情緒のなかに見たいという思いも込められている。


「それでは、いただきましょうか」


 目の前には海鮮丼や石狩いしかり汁――鮭の切り身が入った汁物、北海道の郷土料理――などの海の幸、近隣の町で生産している和牛のステーキやきのこと鶏肉、それに玉ねぎとかじゃがいもとかが入っている醤油ベースらしい鍋などの山の幸、が色とりどりに並べられている。


「懐石料理じゃないんですね」


 陵前などはその内容に目移りしてしまう。


「お堅いのは朝食べたわ。それにこういうのの方が楽しいじゃない、お酒もおいしいでしょ」


 特に回答を求めたわけじゃないだろう問いに武家は解説がてらと答える。

 酒がどうと言う通り、日本酒とビールが机の下に置かれている。どちらも一升瓶で地物の注文だ。


「すいません、お酒までおごってもらって」


 仲居が蓋を開けて、全員に希望を取ってから一杯ずつ丁寧に注いで渡す。それだけやると静かに部屋を出た。


「お構い無しに飲みなさい。無くなったらまた頼むから」


 宴は進む、料理がなくなろうとも肴は絶えず、酒汲みの席に移行していく。


「武家さんって趣味がいいですよね」

「金持ちの道楽が高じてね。日常が面白くなくって休日は色々と趣味に走っちゃうっていうのもあるけど」

「うちの会長さんはいい女だぜぇ~、へっへっへ、ひっく」

「ちょっと、飲みすぎ……酔いすぎですよ。お酒弱いなら自重してください」


 話が躍り最初の二瓶以外は空けられなかったにもかかわらず、日付が変わるころにやっとお開きとなった。








 朝を迎えた陵前は盛大に欠伸をしながら寝巻き姿で廊下にある自販機の前にいた。

 これにしよう、と小銭を入れてボタンを押すと部屋がある方から武家が歩いてきた。きちんとした服を着ている。


「おはよう、陵前さん」

「おはようございます。……朝早くからお出掛けですか?」


 完全に早朝だ、5時前である。陵前の格好が普通なのであって、むしろこの時間によそ行きになっているのは逆に浮いているといえなくもない。


「ちょっと外を散歩してこようとね。朝の空気は気持ちいいわよ」


 陵前が飲み物を取り出すと武家もお金を入れ、炭酸の入った缶を買い、一気に飲み干す。


「昨日遅くまで飲んでたのに元気ですね」


 その姿に半ば呆然となりながら蓋を開けて一口つける。まだ酒が抜けてない感じがしているのでお茶だ。砂糖が入っているものを飲む気がしない。


「仕事柄酒には強くないとダメだし、私そんなに寝なくてもいいのよね」


 そういえば人並みに飲んでたのにあまり酔ってる気配がなかったなと陵前は思い起こす。睡眠時間の方は……ショートスリーパーという奴だろうか。精力的な日中にそぐわない体質だ。


「それじゃ、30分か1時間したら戻ってくるから。朝ごはんの時に今日の予定とか話すわね」


 朝飯は7時から部屋食だったか、と思い、玄関へ向かおうとする武家を見て違和感というか、疑問を持つ。


「八坂さんと一緒じゃなくていいんですか?」

「あの子、遅くまで作業させちゃったからね。起こすのもかわいそうでしょ」


 ご飯を食べている時はさすがにしていなかったが、酒が主役になってから少ししたら抜けて窓際の椅子でノートを読んでいた。仕事熱心だと思っていたが、きっと徹夜したのだろう。


「それに八坂さんより私の方が強いからね。私がダメならあの子もダメよ」


 それなら警護としての意味はあまりないし、少しくらいいなくてもかまわないということか。


「そうですか。私は部屋に戻ってまたベッドに潜ろうと思います。お気を付けて」


 正直結構眠い、4時間位しか寝てないから当たり前だが。桐谷は完全に寝ていた。あれはアラームを付けた6時半まで起きないだろう。


「ええ。また朝食の席で。いい夢を」


 武家は一つ微笑んでから早足で去っていった。






「さて、今日の予定を話そうと思うんだけど」


 無事7時に全員が武家の部屋に集まり、朝食の給仕が完了した。そこで早朝武家が陵前に話していた通りに音頭を取りつつ話し始める。


「八坂さんがノートの内容全部読み解いてくれて、それも組み込んであるからね」


 武家は視線を飛ばし、八坂は頷いてその先を促す。


「その内容を説明するのは後ですか?」


 茶碗に手をつけながら桐谷が確認する。

 献立はごく一般的な和食だ。白飯を主食に根野菜の煮物や魚料理を主菜、それに味噌汁や漬け物、納豆等が付いている。魚料理は事前に焼き物か刺身かを選べる辺り、高級旅館なのだと思わせるものがあるが。


「ええ、まだ文章に起こしてないからね。私も大事なとこだけかいつまんで聞いただけだし。陵前さんも何かあったら好きに言って頂戴。自分の職務とかち合うとかだったらこっちも改善案を考えるから」


 白飯と味噌汁はおかわり自由である。昨日の仲居さんが部屋の端で待機している。


「昨日上司に確認は取りましたから。調査の期間は一週間ほどありますし、特に問題が出ることはないかと」


 陵前は朝の寝巻きではなくある程度整えた服装だ。外に出る際は警官としてキチッとした服を着るのだが。


「それなら大丈夫ね。午前の予定は昨日話していたのと同じよ、多比さんに会いに行って話を聞く。その間八坂さんにはノートの内容をPCに日本語で打ち込んでもらって文章を作ってもらうわ」


 武家自身も皿をつつきながら話を進める。


「それで、午後からなんだけど。支老湖にキャンプ場があるでしょ、4つ。そこにいくわ」

「……それまた、どうして」


 陵前と桐谷はキャンプ場と聞いて嫌な思い出が心中に甦ってくる。


「そのノートに書いてあったそうよ、手がかりがあるって。」

「輿水ですか……。俺が行ったときには何もなかったんですがね」

「条件があるらしいわね、それが見えるか見えないかっていうのは。鉄橋の近くで石碑を見つけたとき陵前さんには最初から見えて私たちには後から突然と見えたでしょ」


 桐谷は納得したようなしてないような顔で味噌汁をすする。


「その条件っていうのは……?」


 自分だけその条件に当てはまると言われた陵前は思わず箸を止めて武家を見る。


「その人の精神があまり芳しくない状況だったり、あるいは見えないものを見ている人に直接関わると見えるようになるとのことよ。私たちは後者、あなたも多分後者ね。冬の調査で何かがあったって考えるのが妥当でしょ」


 武家は補足が長くなってしまうことに気づき、締めにはいる。


「さっき質問を自由にしていいって言ったけど内容が箸の進まないものになりそうだからこの辺で止めておきましょうか。説明できることは病院までの車で話すわ」



最低でも3万くらいかな

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