表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

10.侍女のお仕事

主人と別行動して輿水が残していったラテン語で書かれた本を読んでいる八坂は嘆息を漏らす。


(情報になっているからいいものの、これじゃあ他人の不始末の肩代わりじゃない)


 本来これを読み解くのは菅頭の仕事であるのだが、それを押し付けられた形にもなっているのだから。持ちつ持たれつ……というのは少し違う。自分で読んでおけば自分がこの作業をする必要はなかったし、主人が待つ必要もなかった。

 ラテン語だからというのは個人レベルでしか通じないからそういう言い訳は論外である。


(そんなことを考えている暇はないか……)


 文量と自分の言語力からいって読むのに半日、そこから訳すのに半日、と判断していたのだが、少し読み進めるだけでその行程は大幅に短縮されそうだと判断していた。

 主人が読めない言語を読まないといけないときは業務上度々発生しているが、ラテン語などという死語は初めてだ。経験も少ない。よって長めに設定したのだが。


(これ、データが多くて読まなくてもいい部分が多いわね)


 ざっと中身を見た感じではテーマごとに区切られてはいるが文字が詰まっている感じだった。だがその実、読み進めると推論、あるいは確信しているらしき論理が最初と最後に書かれていて後はそれの根拠となる情報が載っている。


(ご丁寧に数は全て数字じゃなくて単語で書かれている……)


 八坂はその回りくどい書き方を何かのカモフラージュ、あるいは体裁を整えるためなのではないかと推察する。


(情報の流出を絞ろうとしたのだからそれくらいやってもおかしくはないか)


 あってもなくてもこの場合ではどうでもいい―輿水は事件の性質を伝える、我々はこれを手がかりに事件を展開させることが目的なのだから―個々のデータを書いた理由は文章の嵩ましだと考えられる。外国語とは文量が多ければ多いほど読むためのハードルが高い。恐らくここにあるデータを抜いてしまったら1200文字原稿を両手で数えられるくらいのものにしかならない。それだと、辞書と文法書を開いて頑張って読もうとする人が出ることを恐れたのかもしれない。というか身内にそういう人がいるのだと予想される。


 ラテン語がわからない人でも数字は分かる、例えギリシャ語表記――Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、…の表記法――でもだ。それを書いてしまうと数字が多い部分は先と同じ理論でデータしかないと判断されて読み飛ばされ結果的に文量が少ない、ということになってしまう。


 輿水の思惑を推測しながら読み進めていく、辞書を使いながらのためペースは大分ゆっくりだが読み飛ばせる部分が多いことに気づいてからはそれも改善されていく。


 1時間程してから頭が疲労を訴えていることに気づき、糖分と水分の補給をしようか、と思うとほぼ同時にドアが3回叩かれた。


「すいませーん、先ほどお話させてもらった菅頭です」


 一瞬もう主人たちが帰って来たのかと思うが。


(別にノックする意味はないものね)


 と思い直し玄関で菅頭を出迎えた。






「ええと、八坂さん、でしたか」


 茶を出すような準備はない―目の前の菅頭の所有物であるから気を使う必要はないのだが―と断りをいれてから小屋に入れて適当な場所に座る。


「はい。お嬢様は現在出かけていますので、ここには私一人ですが」


 そう言ってもそのまま同じく座ってしまう。


「そうか、作業の進捗等聞きに来たのだが。君は何を?」


「お話に伺っていました通り、詳細不明のノートを見つけましたのでそれの読解をしております」


 テーブルで開いているノートを手に取り、改めて菅頭が正面になるように向ける。


「あー、いやいや。私はこれ読めないからね。読解ってことは君、これを読めるのかい」


 菅頭は手を振って苦笑しながら元の位置に戻す。


 読めないことを解っていながら差し向けたのは若干失礼だと思う。しかしそれはこの情報が役に立っているとはいえ、自身の部下の始末という仕事をこちらへ押し付けてきたことへの慎ましやかな嫌みという奴である。私がそれをするのは主人に対する僭越だとも思われるが、あの人はこの人に感謝している節がある。


「これはラテン語でございます。書いたのは輿水様ご本人だと思われますが」


 菅頭はそれを聞くとノートのとなりに置いてある携帯電話をちらりと見て感心したように声をあげる。


「ラテン語か、確か死語のはず。君の主人は随分と教養を持った人を世話役に置くのだね」


 誉めているのだがどこか棘がある。無駄なことをとかそんなところであろうか。


「それを書いたのが貴方の部下でありますれば。しかしラテン語というのは現代でも使われる多くの言語の元になっているのです。……言語学の講義から始めましょうか」


 売り言葉に買い言葉である。しかしここで嘗められてはという気持ちが働くのだから仕方ない。実権を持たない主人を持っているのだからなおさらというものでもある。


「医者のお付きと聞いていたがそれ以上に知恵が働くのだね……。いや、喧嘩をしにきたわけではないのだ。大丈夫なのかなという心でね」


 主人に言い込められたのを恨んでいるのだろうか。まあこういうお遊びも悪くはないと思ってしまう自分もいたから、ここからさらに何か言うことはやめるかと思う。


「まだ半分も読めていませんが。丁度休憩しようかと思っていたところなのでお話ししましょうか。内容自体は後で文章にまとめるのでそちらを。輿水の思惑など少しわかったためそれでご容赦願います」


 と言っても主に輿水がノートの内容を隠したがっていることを話すくらいなのだが。


「あ、あんまり畏まらなくていいからね。人目もないし」


 主人と話すときよりも敬っていた。慇懃無礼は伝わっただろうか。


「……どうやら多くの人にバレるのを避けているようです」


「まあ、ラテン語で書いてる辺りで察したよ。もう少し短かったら自分で読んでたね」


 ということはまず自分の上司に見せたくなかったということだろうか。


「もし読んでそれが……、あなたの業務に支障をきたす内容だったらどうするつもりです?」

「情報の一般への遮断、それからここいらの偉い方と話し合って対策を立てる」


 外へは見せないのなら輿水も文句は言わないか?


「なら逆に荒唐無稽で読むのに時間を使ったのを後悔するようなものだったら?」


「うーん、シュレッダーかなぁ。身内が仕事上でそんな変なことをしているのがばれたらこっちにも火が飛ぶ」


 なるほど、やはり菅頭への防御策だったか。

 内容が飛んでいるものなのも確定。ある程度覚悟はしていたが。


「やはり、あなたに見せたら闇に葬られると思ってラテン語で書いたようです」


 頑張って読んでしまうことを考慮して文章量の嵩ましをしていることも伝える。


「信用されてないなぁ。逆にこの場合、信用されているのか?」


 シュレッダーにかけてしまう、と信用されているわけか。


「なんとも。しかしあなたが裁断してしまうような内容であることは確定でしょう。」


「そうだねぇ……。私には手に負えない、かな。あいつは元々なに考えているかわからんが今回は輪をかけている」


 実質的な丸投げ宣言だろうか。なんだかんだ干渉されるよりは最初から見放してくれた方がやりやすいというのもあるが。


「お嬢様もやる気になっていますし、それでも宜しいでしょう。警官も出張っているので期待はできるかと」


 主人が遊んでいて止めるような人はいない。いるかもしれないが本心からは止めない。命の危険が見えかくれしていてもだ。


「君もいるしね?」

「お戯れを」


 私が睨んでしまうことを敢えて言ってから菅頭は外へ出ていく。


「お嬢様はもうそろそろ帰ってきますがよろしいので?」


 社交辞令ではあるが、一応引き留める。


「好奇心旺盛な会長殿と有能な侍女さんに任せるよ、報告は解決してからでいい」


 振り向かず、投げやりに手を振ってそのまま温泉街への階段へ向かってしまう。


(……お嬢様がお戻りになるまでもう少し読み進めましょうか)


 私は勝手にやってきて勝手に去っていった菅頭にため息をしつつ小屋のなかに戻った。






 部屋がいつのまにか暗くなっている、先程までは晴れて西日が差していたというのに曇ったらしい。


 解読を再開してから幾分かした後、再びノックが鳴った。

 時間的にはいい頃合いだ。だがやはりノックとは主らしくない。そうすると桐谷か陵前さんだろうか。


「ちょっと、話したいんだけどいい?」


 ドアを開けて出し抜けに、そう言われた。言葉を発した人は白髪で中性的な顔立ちの、前に見た気がする。だが声からして女性らしい、桐谷は追いかけていった先で話した人物は男だと言っていた。

 その唐突な物言いに少し面食らう。が、受け答えはしなくてはならない。


「あの、どちら様でしょうか?」

「そんなことはどうでもいい。あなたはここで何をしているの?」


 何者かを聞いてどうでもいいと返されたのは初めてだ。


「……本を読んでおりますが」


 いや、本当はすぐに扉を閉めたいところなのだが、開けた後にこの女が掴んでしまった。見る限り普通に思うが、随分と力が強い。


「本……なんのために?」

「あなたが素性を明かさない限り目的を達成するためとしか言えません」


 それを言うかさっさと退散してほしいところだ。


「目的……。そう、それだけ聞ければいい。手間かけた」


 表情は最初から一貫して変わらない。無表情だ。最後も納得したのかどうかも顔を見てえ判別できずに、扉から手を離して去ってしまった。


「……なんだったのかしら」 




 


 八坂が作業を再開してから一時間ほど、温泉から3人が帰ってきた。 

 既に陽は湖の向こうの山に沈みかけ、森のなかにある温泉の周辺にも赤い光が差し込んでいる。


「作業の進捗はどう、進んでる? あと、これお土産、陵前さんから」


 やはりノックなどせず、武家は無作法に部屋のなかへ入ってくる。また陵前と桐谷もそれに続く。


「お帰りなさいませ、お嬢様。解読はほどほどでございます、幸いなことに読むために必要な時間は縮まりそうですが」


 八坂は武家に報告をする。その後、陵前にも体を向け、微笑みながら礼を述べた。


「お気遣いありがとうございます、丁度休憩しようと思っていたところなので頂きますわ」


 包みに一つしか入ってないことを確認し、察したようにふたを開けて食べ始める。

 ちなみに武家は自分用に売店に売っていた駄菓子を購入、八坂がアイスを開封したのを見るなりつまみ始める。


「お嬢様に食いもんおごるなんてよっぽどだと思わないか?」


 台所から4人分の水を汲んできて桐谷はそれぞれに渡す。


「そうですね」


 八坂は一言だけにとどめ、溶けかけているアイスを味わう。

 乳脂肪分が高く砂糖も多めに入っているであろうまったりとした味だ。それが労働をした後の頭と胃袋に染み渡るようだ。


「いえ……、流れと言いますか」


 買った本人の陵前としては確かに会社のお偉いさんに奢るという不遜にも似た違和感を今さら感じている。だがなんとも口に出しづらく、頬をかいて誤魔化すことしかできない。

 武家はその様子に表情が一瞬緩むが、八坂が言った気になる一言の説明を求める。


「陵前さんの大物ぶりは置いておいて、読む時間が短くなりそうっていうのは?」

「それはですね、少し読んだら判明したことなのですが」


 そのノートから伝わった意思、それから無駄な部分は流し読みでも構わない上文字に起こす必要性もあまり感じないこと、それぞれを3人に伝える。

 細かい数字の入ったデータも残すというなら話は別ですが、とも付け加えた。


「その必要はないわ。どうせそっちの資料からの流用かなんかでしょ。確かめたかったらそれを探せばいいし、そもそも信憑性を気にする意味があまりないしね」


 武家は左手で本棚を指差し、右手で棒状の菓子を口に入れる。


「私もそう思いその部分は飛ばして読んでおります、恐らく精査を含めて半分くらい時間を短縮できるのではないかと」

「どの部分がデータだとか分かるもんなのか? 俺からすれば全部一緒に見えるが……」


 桐谷が菓子に手を伸ばしながら、開かれていたページの端を折りながらパラパラとめくり、唸る。


「数の部分はほぼ全て単語で書かれているのです」

「なるほど、そりゃわからんわけだ。……輿水って奴は性格悪いな。そこまで情報を晒したくないか」


 八坂のフォローを聞き、感心するも苦い顔になる桐谷は情報漏洩の対策ぶりに悪態をつく。


「情報を渡したくない相手には渡さず、渡したい相手には渡す。しかも両方想定は見知らぬ人。それで実際目的を果たしちゃうんだから性格よりもその知性を称賛すべきね」

「その計画は大部分が運任せですけどね」


 桐谷は半分呆れた様子でページを元通りに直しテーブルに置く。


「渡したくない相手は考えていたようですよ」

「と、いうと?」


 会話に再度のフォローを入れる八坂。武家はそれへと二箱目に突入しながらも詳しい説明を求める。


「一時間ほど前に菅頭さんが来られましてね」


 八坂は菅頭がやってきて作業の進捗を確かめていったこと。そこで読み取れた輿水の思惑を話したら自分には手に負えないと言って帰ってしまったことを伝える。


「ふーん、私が来るまで待たなかったのはご挨拶だけど。有用情報をくれたってことで許しましょう」


 口許だけ尖らせ、会社の上司を無視していったことを非難する。八坂はやはりあまり怒ってない、というか気にもしてない様子に再度嘆息しそうになる。


「これからは干渉しませんよってことですかね」


 話を聞いていた陵前は調査上で邪魔される心配がなくなったと思い、声を上げる。


「どっちかっていうと迷惑かけるなってことじゃないか?あなたたちに構ってられませんよっていう意思表示」


 桐谷はその話に自分が思ったことの齟齬に苦笑しながらそう指摘する。


「ま、そんなものに時間を割いてる暇があったらってことでしょ。時間があってうらやましいですねって」


 自嘲が入った笑みを浮かべながら武家はさらに穿った見方をする。


「……なんにせよ、これからは私たちだけでやらねばならないということに変わりはないということですね」


 八坂はネガティブと嘲りが生まれそうな会話を断ちきってまとめにかかる。


「元よりそのつもりだからいっこうに構わないけどね。それよりもあなたはこれからどうするの?私たちはもう宿に向かおうと思ってるんだけど」


 八坂の目を一瞥し、目線を外のそろそろ暗くなり始めそうな赤さを湛えた森に移して尋ねる。


「作業はここでなくとも続行可能なのでお供させていただきます」


 桐谷は陵前に宿を既に武家がとっていることを耳打ちする。

 陵前は腰を折りながら礼を述べたが、片手を上げるだけでそれを済ます。


「色々あって疲れたからね、今日はゆっくり休みましょう」


――


「お嬢様、少しよろしいですか?」


 陵前と桐谷が靴を履き、外に出ようとしているところで八坂は武家に話しかける。


「何?」


 報告すべきか迷ったがあまりにも特徴的だった白髪の女性のことを武家に話す。


「あら、あなたのところにも来たの?」

「お嬢様もお会いに?」


 武家は森の中でのことを話を返すように喋る。


「そうでしたか。ではその白髪の女性へは今後どのように?」

「桐谷が会ったっていうこれまた白髪の男と見知り合いだって言ってたからそこだけ留意しておいて、あとは特に言うことはないわ」


 そこまでの危険人物ではないと武家は判断する。八坂もそれを聞き主人に倣おうと考えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ