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第12’章 最後の日(5)

「良かったわね、邪魔が入って」

 ヴェガが呆れたようにそう言った。

 彼女はあたしの首筋から胸元にかけておしろいを丁寧にはたいてくれていた。もう式の準備は、仕上げの段階。真珠の粉が入ったそれは、あたしの肌の上で淡く虹色に輝く。

「……」

 良かった……のかしら。あのときのシリウスを思い浮かべて、あたしはため息をつく。



 昨日、宮に戻ると、すぐに彼はあたしを自分の部屋に連れていった。そして、父とイェッドの妨害にあって、それは中断された。

 シリウスのあんな忌々しげな顔、初めて見た。いつもだったら、父の怒りに圧されるから、なるべく矢面に立とうとしないのに、逆に父の方が圧倒されていて。

「あの子もねぇ……そういうこと本当に鈍いんだから。ちょっと考えれば分かるだろうに……賢いはずなのにおかしいわね、ほんと」

「皇子はスピカ様が目の前に居ると頭が働かなくなるんですよ」

 シュルマが横から口を挟む。その顔には意味ありげな笑いが浮かんでいた。

 彼女が言うのは、例の手紙のことだろう。それに……あの牢でのこと。シュルマには予想通りに散々冷やかされた。

 確かに、昨日の彼は全く余裕がなかった。言い方がまずかったのかもしれない。まさかそのままの意味で取るとは思わなかったし……。


 あの後聞いたんだけど、セフォネが今日の事を心配して、イェッドまで呼び出してくれたらしい。あたしもシリウスもきっと騒いでいるのが父だけならいつもの事だと無視していただろう。その辺はさすがにベテラン、読まれていたのだ。

 確かに課題は大量に残っていた。でもそれ以上に、放っておいたら朝まで部屋から出てこないことを危惧したらしい。早朝には準備が始まる。主役が間に合わないと大変なのだ。


 それに――


「うーん……完全には隠れないけど、しょうがないわね。髪の毛で隠すから、大丈夫だとは思うけれど」

 あたしは大きく開いた白いドレスの襟刳から覗く自分の胸元に目線を落とす。ドレスでやっと隠れるくらいの微妙な位置に赤い痣。おしろいを厚く塗ったけれど、やはり微かに見える。確かにあの時邪魔が入らなければ、もっと増えてたかもしれなかった。

 あたしが思わずため息をつくと、周りの侍女達が冷やかすように笑う。

 その視線に顔が赤らむのが分かった。

 こんな風に冷やかされるなんて、3日前は考えられなかった。そんな些細な事も今は全て心を温めてくれる。


 なんて幸せなんだろう。

 なんて――


 着付けが終わり、纏めていた髪の毛が下ろされる。今日は少しだけ頭が重い。かもじが見つかったのだ。

 それはミネラウバの部屋に残されていた。少しだけ髪の毛が引き抜かれては居たけれど、今日使うには十分なものだった。


『予定外に…………完璧な仕上がりになりそうね』


 彼女が言った言葉を思い返す。ひょっとしたら、あの事件で髪の毛を現場に残すとか、そういう仕掛けをするつもりだったのかもしれない。あたしが都合良くあの場に居たものだから、それは使われる事が無かったのかもしれなかった。――すべては憶測だけれど。

 彼女は今のところまったく事件については口を開こうとしないらしい。

 ルティのことは、庇い続けるのだろう。あたしはその気持ちは痛いほど分かった。ルティがシリウスだったとしたら同じように庇っただろうと思うから。

 報われなくても良い、そう思ってシリウスの傍に居た昔を思い出す。報われようが報われなかろうが関係ない。受け入れられなくても、相手のために動いてしまう。――それがきっと恋だから。

 ミネラウバが哀れでならなかった。ルティは……あの、国をその身に背負った独りぼっちの王子は、本当の意味で人を愛する事が出来ない。だからミネラウバの気持ちは報われる事はない。

 もし彼の心を開く事の出来る女の子が現れれば……こんな事はもう起こらないのかもしれない。あたしはそれを願わずに居られなかった。


 カタリと音がして、その方向を見ると、そこにはシリウスが居た。

 長い黒髪を後ろで一つに纏め、きれいな顔の輪郭がはっきりと見える。その頬からはいつの間にかあどけなさが消え去り、彼は少年から青年へと姿を変えようとしていた。

 シリウスは惚けたようにあたしを見つめ続け、さすがにその視線を身に受けるのが恥ずかしくなって来る。

 やがて彼は我に返り、尋ねた。

「スピカ……髪が……」

 あたしは微笑み、ヴェガが答える。

「見つかったのよ、ミネラウバの部屋で」

 シリウスはびっくりしたように顔をヴェガの方へと向ける。

「……叔母さま、いつからそこに?」

「…………最初からよ」

 ヴェガは本気で呆れてこちらをちらりと見る。あたしは思わず俯いた。

 ……恥ずかしすぎる、シリウスったら。

 侍女達がくすくすと笑い、あたしは顔に血が集まるのを感じる。耳が熱い。きっと真っ赤になってるはず。

 あたしは早く話題を変えたくて、急いで口を開いた。

「前、あたしが誘拐されたときに、ミネラウバが手伝ったでしょう? そのときに拾ってたらしいのよ」

 シリウスは納得したように頷く。そして安心したように微笑んだ。あたしには彼の漆黒の衣装が突然色を変えたかのように思えた。――それは宮に帰ってから初めて見る、陽光のような笑みだった。


「時間です」

 そう声がかかり、シリウスがあたしに向かってその大きな手を差し伸べた。

 扉が大きく開く。隙間から目映い光が差し込んだ。


「行こう」

 逆光の中煌めく漆黒の瞳が、彼の言葉をあたしに届けてくれる。


 ――二人で並んで歩く、新しい日々へ


 あたしは彼の手を握ると、その光の中へ一歩足を踏み出した。

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