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第12’章 最後の日(3)

 グラフィアスはどうやら城下町を西に抜けるつもりのようだった。格子のように整備された街並みに馬の足音が響き反射していく。

 あたしの隣には牢にいた見覚えのある男が一人。小柄で童顔の男。その丸い瞳と同じグレーの髪がその帽子からはみ出ている。あたしが牢に行ったときに牢番をしていた人だった。ミアーに言われて後を追ってきたそうだ。あたしが城下町の入り口で、馬で走り去るグラフィアスを見て途方に暮れかけていたときに現れた。そしていざとなったら走ってでも追うと頑固に言い続けるあたしに、近衛隊の権限で馬を手に入れてくれた。

 彼がいなかったらあたしはとうにグラフィアスを見失っていただろう。


「無茶をなさって……」

 あたしの頑固さにあきれた様子だった。

「だって……誰も追っていかないんだもの。逃がすわけにはいかないでしょう」


 それに――


 あたしは街の出口から先に広がる草原を見つめたまま、ぽつりと呟く。


「あたしが行かなかったら……シュルマは助からない」

「……」

 確信があった。

 誘拐されたのがあたしならば、きっと誰かが助けにきてくれる。シリウスは何が何でも助けようとするだろうし、父も間違いなく。でも……シュルマを助けに行こうという人間は今、宮にはあたし以外には居ない。

 もしあたしが行かなければ、誰も彼女を助けにいかず、見捨てられたはずだった。誰も追って行かなかったことがその証拠だ。本来影武者というものはそういうものなのだろう。

 でもあたしは、そんなつもりで彼女にこの役目を頼んだわけではなかった。こんな風に守られるのは絶対嫌だ。今行かないと、こんなことが繰り返されてしまう気がした。


「助けが来るまでは無茶されないよう約束していただけますね?」

 やれやれといった感じの牢番にあたしは頷く。

「分かったわ……えっと」

「ループス、です」

「ループス……よろしくね、シュルマを助け出すまで」

「……はい」

 彼は少しだけ頬を緩ませる。そんな表情をすると余計に幼く見えた。

「――なのかもしれませんね。……あなたのような方が皇室に入られるのは」

 彼は前を向いて何か呟くと、馬を一気に走らせた。



 西に進むにつれ、雨がさらに強まる。空は押しつぶされそうに重たい鼠色。そこに時折白く雷光が煌めいた。

 いつの間にか街を抜け、まばらに生える木々の合間に背の高い草が生い茂る、だだっ広い草原が眼下に広がっている。

 道を覆っていた舗装はなくなり、足元はぬかるみ、馬が跳ねる泥に神経質になって足の進みを止める。

 それはグラフィアスの馬も同じだったようだ。


 あたしは彼の様子に注意を向けすぎて、少し先にある影に気がつくのが遅れた。

「止まってください!」

 ループスが小さく叫んだが、遅かった。

 雨にかすむ視界には馬に乗った人影が二人。一人がこちらを向き、もう一人にあたしたちの存在を知らせている。促されて振り向いたその人物。

 遠目でも分かる、その均整のとれた肢体。雨に濡れてより鮮やかに見えるその赤い髪。こちらに向けられた鋭い眼光にあたしは正体がばれたのじゃないかと一瞬ひやりとした。


「ろくに尾行も撒けないのか? お前は」

 あきれたような声がかすかに聞こえてくる。

 グラフィアスはその声で初めてあたしたちに気がついたようだ。


「え」

「そういうところが昔から抜けてるな、お前。詰めが甘いというか。お前の嫌っている、どこかの誰かみたいだ。同族嫌悪か」

 からかうようにそう言われてグラフィアスはカッとしたようだ。激した様子でいい募る。

「あんな子供と一緒にしないで下さい!」

「ふん」

 そう鼻で笑うと、馬上の男はこちらに視線を向けた。

「さて……どうする? ジョイアに戻るつもりなら、目撃者は消しておいたほうがよいが?」

 その視線にあたしは雨で冷えた体が凍りつく気がした。

 ……逃げたほうがいい? でも――

 あたしは咄嗟にどうすれば良いかわからず、その場に縫い止められていた。



 *



 雨は止まない。雷鳴は轟き、大地が揺れる。

 その茶色の瞳に射すくめられたまま、身動きが取れなかった。少しでも動けば命がない気がしていた。


 どれだけ時間が経った事だろう。

 ふと3人は東に気を取られ、そちらを見やった。


「あ……」

 その腕の先のやじりに雷光が反射し、鋭く光る。暗い空よりもさらに濃い色をしたその髪。

 なんで! ミアー、知らせちゃったの!?

「ともかく隠れてください! あなたが捕まっては元も子もない」

 ループスが声をかけ、あたしは我に返る。

 そ、そうだわ。

 あたしは慌てて背の高い草の陰へと身を潜めた。そして這うようにして東へと進む。


「久しぶりだな……シリウス」

「――今度会う時には使者を出すって言ってたのは、嘘だったのかな……ルティ」


 似て非なる、低い二人の声があたしの頭の上を通過して行く。周りの音が全て消えてしまったかのようにそれははっきりとあたしの耳に届いてきていた。


「数日後に結婚式の招待状を送ろうかとは思っていたけれど」

「僕は送ったはずだけどな、明日の招待状を、アウストラリスの王子に。……届かなかったのか?」

「――招待状、確かに受け取った。……だから、こうして来たんだろう?

 ……その矢で俺を殺るか? 一人の女のために国を巻き込むのか?」


 ――だめよ、だめ!

 あたしは必死だった。頬に当たる草をかき分け、前屈みのまま力の限り走る。

 もしあの矢がルティに当たったら……とんでもないことになる。国と国が争うことになってしまう。

 止めないと!


 既にその右腕が雨粒ほどの僅かなきっかけでも弦を放しそうだった。その漆黒の瞳が迷い、揺れる。


 ――待って!!


 目の前の草がなくなり突如視界が開けた。

 あたしが飛びつくようにして彼の腕をつかむと、つがえていた矢が草の上に音も無く落ちる。左腕が緩み、弓が歪んで元の形へ戻っていく。

「な!?」

 ――間に合った――

「だめよ」

 彼があたしを見る目、それはまるで亡霊を見ているような目だった。


「うわぁ!!」


 声が背中から響き、そちらに目を向けると、シュルマがグラフィアスに向かってナイフを突きつけていた。


「……シュルマ!!」

 計ったようなタイミングだった。

「ええ!?」

 シリウスが驚いて裏返った声を上げる。それは向こうの三人も同じようだった。

 雷鳴がグラフィアスとシュルマの影をしっかりと照らす。


 敵を欺くにはまず味方からとは……よく言ったものだわ。

 機を逃してはいけないと呆然としたままのシリウスをせかす。

「ほら! シリウス!! あの馬を狙って!!」

 シリウスは訳が分からないまま矢をつがえ、一気に放つ。馬をしとめれば、一気に有利に立てる。

 しかし、矢は馬の足下に鋭い音を立てて突き刺さり、馬は一気に暴れだす。彼の腕だ、外すはずは無い。――狙ったのだ。


 ――そういう手が……あったわね……

 あたしはそんな場合じゃないにも関わらず、感心した。馬を狙ってって言ったのに……彼は馬でさえ殺生を嫌がった。

 確かに甘いのかもしれない。父を含めそれが彼の欠点だと言う人間も多い。でも――それ以外の道を瞬時に考えだす力を彼は持っている。甘さを優しさだと言わせるだけの力を。

 そういう人間が、これから皇位につこうとしている。国を導こうとしている。

 あたしは、それがとても嬉しかった。

 その傍に居ることが出来るのが、誇らしかった。


 シリウスは正確に馬の足下を狙い、次々と矢を打ち込んで行く。馬は暴れ、馬上の人物を嫌った。


「――お前にはがっかりした。こんなことなら任せるんじゃなかった」

 馬のいななきに混じり、不快そうな低い声が響く。

 なぜかルティはおとなしく引き下がるつもりのようだった。あれ? と思ってちらりと後ろを見ると、遠くに数頭の馬と……馬上には見覚えのある金色の髪。その緑色の鋭い眼光は彼まで届いているようだ。

 グラフィアスは自分を置いて行こうとするルティに向かって何かわめいていたが、やがてシュルマに促され、大人しく馬を降りた。

 ふとルティはあたしに細い視線を向ける。

 ――気づかれた? 一瞬その茶色の瞳に捉えられ、鳥肌が立つ。

 彼はあたしから視線を外すと忌々しげにシリウスを睨んだ。


「……このままで終わると思うな! スピカは……遅かれ早かれ必ず俺の所アウストラリスに戻って来る。

 その血シトゥラの意志でな!」


 そう不吉な言葉を残すと、ルティは侍従を連れて西へと馬を走らせた。


 アウストラリスに『戻る』? シトゥラの意志……?

 その姿が見えなくなるまで、あたしはその言葉の意味についてじっと考えていた。


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