第2章 揺らぐ覚悟(5)
明かり採りの窓から差し込む薄い光が顔を照らし、僕はふと目が覚めた。
あれ?
ここは……。
ハッとして、起き上がると、部屋の中を見回す。
誰も……いない。
うそだろう……。スピカは?
一晩戻って来なかった?
まさか何かあったんじゃ……!?
僕は慌てて寝台から飛び降りると、部屋を出て、本宮へと戻る。
まだ侍従侍女以外は誰も起きていないくらいの時間帯のようだ。それ以外の人間は皆日が昇ってしまってから活動を始める。外宮の部屋は寝静まっていた。
門番に声をかけようかと思ったが、彼女の立場を考えると、あまり騒ぎを大きくしてもまずい。
走って自室に戻ると、セフォネが僕の食事をテーブルに並べていた。
「あら、今からお迎えに行こうと思っていましたのに」
「スピカは!?」
僕が血相を変えて叫ぶと、セフォネは不審そうに顔を歪めた。
「先ほどまでご一緒だったのでは?」
「……戻って来なかったんだ。昨夜」
「なんですって」
セフォネは急に顔を赤くして憤慨した。
「皇子の伽を嫌がるなんて!! わざわざ皇子自ら出向かれたというというのに!! なんて、なんて失礼な」
勘違いも甚だしい。セフォネはふるふると震え出した。
「いや、僕が言ってるのはそんなことじゃない。彼女が今どこにいるか。至急探してくれ!」
もし、また攫われていたりしたら……。
僕の頭に、先日の悪夢がよみがえる。
なんで昨日待てずに眠ってしまったんだろう。夜のうちに気づいていれば。
僕は悔いる。
警備は万全にしていたはずだった。
だから、まさかとは思うが。
僕が探しに飛び出そうとすると、セフォネに必死で止められた。
「どちらへ」
「探しに行くに決まっているだろう」
「どこをです」
「……」
確かに、どこを探していいか分からなかった。僕は本宮はまだしも外宮にはあまり詳しくないのだ。
しかも、外宮の部屋を僕が覗いて回るわけにいかない。
僕が口ごもると、セフォネは大きく息をついた。
「スピカ様はこちらで責任を持ってお探ししますので。殿下は普段の通りお過ごし頂くようお願いいたします」
ひれ伏しかねない勢いで頼まれ、僕は渋々了承する。
「……見つかったらすぐに知らせてくれ。あとレグルスに連絡を頼む」
*
僕が上の空で食事をしていると、レグルスが部屋に入って来た。
「……スピカは見つかりました」
「え?」
手に持っていたパンを取り落とす。
あまりにあっさりそう言われて、僕はホッとするよりも拍子抜けした。
「……スピカは普段通りに、起きて来ていました。聞けば、ずっと部屋にいたと言っています」
「なんだって?」
「皇子は……昨夜、部屋を訪ねたのですよね?そして、ずっとそこに居てスピカを待っていたと」
なんとなく口調に棘がある気もしたけれど、この際無視した。
「でも、僕はスピカを見なかった。彼女はなんて?」
「一晩待っていたけど、皇子が来なかったと……」
レグルスは僕を睨んでいる。
何かもの言いたげだが、周りの目を気にしているのか、結局口をつぐんだ。
「……」
……どういうことだ?
間違えたのだろうか。
でも……昨日何度も位置を確認していたのを覚えている。
それとも……セフォネがわざと違う部屋に連れて行ったのか?
そんな風には見えなかったし……。
というか、わざわざそんな面倒なことをしないだろう。
セフォネが言うように、スピカが本当に僕を避けて戻らなかったわけはないだろうし……。
とりあえず、彼女に直接話が聞きたいと思って、レグルスに言った。
「ねえ、スピカは?」
「もう本日の予定をこなしてます。今日は衣装合わせがあるとかで……」
「ああ、そうか」
儀式のときの衣装か。
レグルスが少し顔を曇らせて言う。
「あの……皇子。今日は、陛下がお話があるそうです。朝食後少しだけお願いできますか」
なんだか歯切れが悪い。
「話?」
「……スピカの部屋、端の方にあったでしょう? ……なぜだと思います?」
確かに、妃の部屋としては考えられないほど遠かった。
僕は顔をしかめる。
「嫌がらせかと、思ってたけど……」
「陛下の話を聞けば分かります」
ということは、違うのか??
僕が食事を終え部屋を出ようとすると、レグルスが後ろから僕を呼び止める。
「皇子」
彼は、一瞬躊躇ったように言葉を切ったが、そのスピカと同じ緑灰色の目で僕を鋭く見つめ、言った。
「スピカを裏切らないで下さいね」