第11'話 変わらないもの(4)
あたしは、髪をまとめ直し深く帽子をかぶると、廊下の隅を目立たないように歩く。ヴェガがどこからか手に入れて来た侍従用の服を身に纏い、少年の振りをする。久々に胸にしっかりと布を巻いたが、その感覚はなんだか懐かしかった。
話し込んだせいで、もう日も暮れかけていた。外宮でも夕食の時間なのだろう、厨房から良い匂いが漂ってくる。あたしは侍女の詰め所には近寄らないように注意しながら、遠回りして北東の外宮までようやくたどり着いていた。さすがに侍女をしていた頃に顔を知られている。いくら男の格好をしていたとしても古参の侍女にならすぐにバレてしまうだろう。
荷車に部屋のゴミを集めて乗せて行く。
ともかく、アレクシアの行動だけはどうしても気になった。何だか分からないけれど、嫌な予感がしたのだ。
ヴェガが言う噂話についても気にはなったけれど……人の噂なんてそのうち収まるだろうし、いちいち気にしてても仕方がない。まあ、誰が流したかって……妃候補の中だけで考えるなら、『彼女』しかいない気もするんだけど。
外宮の北東は宮で働くもの、特に文官の部屋が集中している。父のような武官は一様に南の近衛隊の詰め所へと集められていた。城の北側が崖のため、そんな風な警備体制となっている。
文官の部屋一つ一つは妃の部屋とは比べ物にならないくらい狭い。しかしさすがに重要な役職に就いているような人物となると、違った。
アレクシアもそのうちの一人だった。
あたしの部屋よりも豪華かも……。あたしは部屋の掃除をしながら、そんなことを思う。床には毛足の長い上品な緑色の絨毯が敷かれていて、足元がとても暖かい。壁には見事な花の刺繍のはいったタペストリーが掛けられ、窓辺には色硝子で出来た大きな花瓶。そこには大輪の百合が生けられて良い香りを放っている。
当の本人は夕食のため部屋を空けていた。あたしは手早くゴミを集め、さっさと部屋を出る。そして荷車に置いておいた新しいゴミ箱と部屋に置いてあったゴミ箱を交換した。
――ふぅ。目的達成。
何を持ち出そうかって考えたけど……これが無難な気がしたのだった。
ゴミならなくなっても構わないし、ゴミ箱が多少変わっていてもおそらく気にしないだろう。
あたしは荷車を押しつつ外宮を東側に回って部屋に戻ろうとした。
自分の部屋の前を通り過ぎて、外宮の入り口が見えて来た時、聞き覚えのある優しげな声が廊下に響く。
見ると、近くの部屋の扉が少し開いている。
「皇子はどちらにいらっしゃるの? 昨日もお部屋にいらっしゃらなかったけれど、まさか」
「……それが……」
「また、あの娘のところなの? 昨日もわざわざ牢まででしょう? 牢の中からでも誘うというわけ? 皇子もどこがいいのかしら……あんなアバズレ」
あたしは深いため息をつく。
どうしても慣れない。なんであんな優しげな愛らしい唇からあんな言葉が出てくるのかしら。
ここまで外見と中身が違うとそれはもう、計算とも言えないかもしれない。多分彼女の魂は間違って違う容れ物の中に入ってしまったのだ。
「せっかくライバルが都合良く一遍に消えて、もうあとはお子様と幽霊みたいな女だけだと言うのに。……これではね」
…………その台詞はあんまりじゃないかしら。
あたしだってエリダヌスに対して良い感情は持っていなかったけれど……さすがに今はその死を悼んではいる。
「とは言っても……まあ、もう時間の問題ですものね。あとはお母様がうまくやってくださるだろうし。明後日皇子の隣に立つのは私で決まりだわ」
そう言う彼女の声は自信に満ちあふれていて、何だか羨ましいくらいだった。彼女にはどうもいろいろ問題があると思うけれど、彼女なりに一生懸命で。欲しいものを何が何でも手に入れようっていう貪欲さは……あたしも見習うべきなのだろう。本当にシリウスが欲しかったら……うじうじと待ってるだけじゃ駄目なんだ。
……今度のことはその典型だったのかもしれない。
あたしはため息をつきつつ、部屋の前を通り過ぎようとした。
「ああ、ちょっと。これも持って行ってちょうだい」
「……」
声をかけられ飛び上がりそうになるのを押さえて、俯いたまま深く頭を下げる。
部屋の扉がわずかに開き、ポンとゴミ箱が外に置かれた。あたしはそれを手に取ると、中のゴミを先ほどのゴミ箱の中に移す。くしゃくしゃになった紙の塊がいくつかその円形の筒の中に転がり落ちる。
あたしは俯いたまま無言で礼をすると、そそくさとその場を去った。
ああ……びっくりした。バレちゃったのかと思った。
あたしは渡り廊下まで一気に通り過ぎると一息つく。もう辺りは暗くなり、東の空には星が燦然と輝き出す。それは、あたしの大好きな星だった。
――シリウス。
明日。きっと彼は事件を解決してくれる。
あたしは濃紺の天を仰いで深呼吸をした。
あたし……待ってるから。あなたが『あたし』をその手で助け出してくれるのを。