第11'話 変わらないもの(2)
「そう。……だいたい分かったわ」
どうやらヴェガはシリウスがあたしに酷いことをしていないか、本気で心配していたらしく、その心配がなさそうだと分かるとその質問の刃を引っ込めた。
あたしはようやくまともに息が出来るようになる。まさかこんな話を人にするなんて――。額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。全身に変な汗をかいていた。
そんなあたしをよそに、ヴェガは少し悲しげな顔をして呟く。
「あの子も過去のことがあるから……」
それはなんとなく分かった。
聞いたことがある。虐待を受けた人間はそれを繰り返す可能性が高い、って。
シュルマと違って、興味本位だけで聞いているのではないことは分かった。その纏う雰囲気から興味も混じっていることは否めないけれど……。
「今回のことは……もしかしたらその一端だったんじゃないかって、そう思ったのよね。だから……ちょっと安心したわ。
……でもそれと言葉を惜しむってのはまた別問題だけど。あなたもね、誰に何を言われたか知らないけど、今度から、嫌だったらそう言わないと駄目よ? あなたと違ってあの子は言わないと分からないんだから。……あぁ、もう。……言っても分からないが正しいのかも……」
彼女は最後は独り言のように呟く。そしてまだ呆れた様子でため息をついた。もうため息が止まらないようだ。
あたしももう何も言えずにただ頷くだけだった。
ヴェガは立ち上がり、窓辺に寄るとその木で出来た窓を開く。裏庭の池に反射する光が天井に差し込んで、その波面が映し出される。冷たい風がその波に誘われるように部屋を通り過ぎた。
ヴェガの追求で火照ってしまった頬にそれは心地よかった。
ちょうどその時、扉が音を立て、振り向くと父が顔を見せる。
「父さん」
「ああ、良かった。今話が終わったところ」
ヴェガがにっこりと窓辺から微笑む。言いたいことをだいたい言ってしまったようで、やけにスッキリした顔をしていた。
「話? 事件のですか?」
父は扉を閉めると怪訝そうな顔をしてこちらに近寄ってくる。
……父さんには言わないで!
あたしはヴェガを見つめるとそう懇願する。
だって……絶対に面倒なことになりそうなんだもの。今は、内輪で揉めている場合じゃないし。
さすがに心得ているらしく、ヴェガは目で合図をすると、誤摩化すようにお茶をいれ出す。
「ええと……じゃあ、メンツもそろったことだし……事件について話してもらおうかしら」
――ようやく、その話題になったわ。
確かに父に話して、ヴェガに話してじゃあ、二度手間だ。それで今まで聞かなかったのかもしれない。彼らの様子から、そう思った。
あたしは大きく深呼吸をすると、二人を見つめ、そして口を開いた。
*
「そうだったの……あの娘が」
「いったいどうして」
二人して難しい顔をしている。それはそうかもしれない。あたしも……意外だった。彼女は利用されていただけで……しかもそれを後悔して反省していると、事情を知っている誰の目にもそう見えていたのだ。彼女は被害者以外には見えなかった。だからこそ、宮に居続けられた。
その意志の弱そうな普段の姿を思い浮かべる。どう考えてもあの夜の彼女とは別人と思えた。
「あたしにも、はっきりとは分からない。ただ……どうやらルティが絡んでいるようなの」
あのときの彼女の目を思い出すと、なんだか悲しくなった。
もしシリウスに同じように頼まれたらあたしは断れるのだろうか。彼は自分のためには絶対そんなこと頼まないと思うけど、これから先、皇太子としてそういう決断を迫られることが無いとは限らない。その時は――あたしだって、彼のためなら何でもするかもしれない。
「ルティが?」
その声にハッとして、あたしは頷く。
「となると……あなたを犯罪者として北方に流した後、もしくはその移送途中を狙っているのかもしれないわね。皇都にいればどうしても警備が厚くて手に入らないし……彼が潜入するには、もうどうしても目立つから」
「それに今は宮に入れる人物も限られている。以前の事件以来新しく入る人間にはかなり厳しいチェックが入るんだ。アウストラリスの人間は特に。だから……利用できそうな彼女を、という訳か。二度も利用するとは。彼女が今後どうなるかなんておかまい無しなんだろう。手段を選ばないのは……相変わらずだ」
父もヴェガもひどく不愉快そうな顔をしていた。顔を見合わせてそれぞれにため息をつく。
――シトゥラ、か。
あたしは一体どうしたらあの血の呪縛から逃れられるんだろう。
「ただ……あたしはそれを知っているけど、……証拠は無いのよ。陛下と約束したから、あたしは目撃者として名乗り出ることは出来ないし。証拠も無いまま出て行っても罪を逃れようとしているだけって言われるだけだし。
現にあたしが一番怪しいんだもの。誰でもあの状況だったらあたしがやったって思うに決まってる。
……シリウスは……証拠を見つけられるのかしら」
さすがに心配になって来た。
犯人を知ってその周りを調べるのと、知らずに調べるのでは……労力が何倍も違う。
「イェッドが、ヒントを出したと言っていたけど……皇子に届いているかどうか」
「え? イェッド先生は犯人を知っているの?」
「いや……そんなはずは無いが。あいつのことはよく分からん」
父は渋い顔をする。どうも嫌な思い出があるようだ。
イェッドは父の昔の同僚らしいのだけど、父に聞いても何も教えてくれないし、その逆もそうだった。あまり隠されると、何かやましいことでもあるんじゃないかって疑ってしまう。
「あたしに出来ることって……ないのかしら」
ひっそりと呟くと、「ないな」「ないわ」
すっぱり即答された。
そして二人はお互いに顔を見合わせる。どちらが言うか、譲り合っているようにも押し付け合ってるようにも見えたが、やがてヴェガがあたしに言い聞かせるように口を開く。
「あのね。……シリウスはね、あなたに守られたいなんて、思ってないの。むしろ……守りたいって、そう思ってるの。あの子はね、もう守られるだけの『お姫様』ではいたくないのよ。その気持ちは、あなたが一番分かってるんじゃないの?」
父も続けて口を出す。
「お前が無鉄砲に飛び出せば、いくら皇子が全力で守ろうとしても難しくなるだろう。シトゥラが絡んでるんならなおさらだ。今度もしお前に何かあれば……戦になるかもしれない。そのくらいの自覚は……もうあるんだろう?」
――戦。
あたしは、何度も読み直して、もう覚えてしまった手紙を思い出した。
『君のためなら、僕は何を捨ててしまっても後悔しないと思う』
それには……ジョイアという国も入っているのかもしれなかった。
戦を起こさないとしても……おそらくその立場を捨てて、一人でアウストラリスに乗り込むくらいはやるに決まってる。
――絶対に、そんなことをさせる訳にはいかない。
「分かったわ……。大人しくしてる」
二人の目を見ると、あたしは渋々そう言った。