第10’章 隠された瞳(7)
「それ……」
「ああ、このお茶ですか。……精神の緊張をほぐす効能があるのです。睡眠薬と同じ効能があります。
おそらくかなりお疲れでしょうし、これを飲めば本人にその気がなくともぐっすりお休みになられるでしょう」
「……変な薬じゃないでしょうね?」
漂ってくる怪しい甘い香りに、思わずそう口にすると、ミアーは顔を険しく強張らせる。
「信用されないのですか? ……それならいいです、私が飲みますから」
ミアーはカップを持ち上げると本当にそれを飲みそうになり、あたしは慌てた。本気で疑った訳じゃないのに。……この人、意外に短気だ。
「わ、分かったから! ごめんなさい、疑ったりして!」
必死で謝ると、ミアーはそれでも渋々のようにお茶を飲むのを止めた。
「これ、好物なんですよ……。せっかく用意したのにと。申し訳ありません。……南国でしか採れないので、手に入りにくいのです。
まあ……あなたは私の事を信用出来るほど、私の事を知らないでしょうし……仕方ないですね」
そう言うと、彼女はそのカップから自分用のカップに少し中身を移し、それを飲み干した。そしてその目を挑戦的に輝かせ、あたしを見る。
「これでいいですか?」
あたしがすまなそうに頷くと、ミアーはやっと表情を和らげ、言う。
「それでは、持っていきますので。……受け取って頂けるか分かりませんけどね」
あたしは、その後ろ姿を祈るような気持ちで見送る。
……シリウスがこれで少しでも休めますように。
しばらく後、ミアーは毛布だけ抱えて戻って来た。
「やはり、眠る気はないそうです。これは断られましたよ」
毛布を持ち上げると、やれやれと言った風にミアーはため息をつく。
そうして、毛布をあたしに手渡した。それは、ごわごわした質の悪いものだった。洗濯はされているようだったが、端の方など糸がほつれて形が崩れていた。
それでも、夜が更けるに従い足元を流れる空気がどんどん冷え込んでいる。無いよりマシなはずだった。
あたしの表情を読むようにして、ミアーは言う。
「皇子が眠られたら掛けてあげて下さい」
――それは、あなたの仕事でしょう?
その目がそう言っている気がした。
*
どこか遠くの方で水が流れる音がしていた。窓を開けると、雨の匂いがした。暗闇の中、雨が部屋の明かりに照らされれ、所々細く白い筋を描いている。
指先が窓についた水滴で冷やされ、ジンと痺れる。あたしは手を拭うと、そこに息を当て暖める。
……そろそろ、眠ったかもしれない。
あたしは長椅子から身を起こすと、そっと立ち上がり、いくつもの牢の扉を横目で見ながら、『あたし』の居る牢の前へと足を進める。
牢から少し離れた場所の長椅子でミアーがその頭を揺らしながらうつらうつらとしていた。あたしとシリウス両方に目が届く場所だった。あまり近くだと眠れないだろうという配慮だ。その手元に長剣を置いたまま。おそらく少しの気配でも対応できるよう、訓練されているのだろう。
昔、父にそんな風に訓練を受けた事を思い出す。
……騎士にはなりそびれちゃったけど、きっといつか役には立つわ。
そんな風に思いながら、息をひそめ、ミアーの前を通り過ぎる。
シリウスとの距離が縮まるのを感じて、急に胸が暴れだす。廊下にその音が響くんじゃないか、そのくらい大きな音に聞こえた。
シリウスは長椅子の上で体を丸めて眠っていた。
彼の目の前に立つと、今まで影になっていたその白い顔が蝋燭の光に浮かび上がり、はっとする。
その頬には、一筋の涙の痕があった。
子供のような寝顔にそれはあまりに痛々しく映る。
我慢して、我慢して。堪えきれなかったその想いが、そこに流れ出てるように見えた。
あたしは、気がついた時には、その一雫の涙に口づけていた。そうすることで彼を少しでも慰めたかったのかもしれない。
……苦い。
口の中に涙の味がじわりと広がる。鼻の奥が痛くなり、あたしはすんと鼻をすすった。
その音に反応するかのように、彼の瞼がぴくりと動き、驚いて体を離す。
――あ
目を見開いて彼を見つめると、その黒い瞳がじっとあたしを見つめ返していた。