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第10’章 隠された瞳(2)

 あたしは人目を忍んで近衛隊の詰め所へと近づいた。

 父の部屋は……確か、入り口から3つ目。

 幸い、先ほどの騒ぎのせいで、皆そちらに気をとられているらしい。侍女一人を気に掛ける人間は居なかった。

 あたしは、周りを確認しつつ、部屋の中へと滑り込む。

 父がいないのは分かっていた。さっき、シリウスと一緒に居るのを見かけたから。


『スピカ!』


 鼓膜にその声が張り付いたようになっていた。いくら頭を振っても取り除くことは出来ない気がした。

 連行されるシュルマをあたしだと思って、縋るような瞳で、まるで血を吐くように叫んでいたシリウス。

 あたしは、その姿を外宮の入り口でじっと我慢して見つめていた。

 シュルマもその瞳を見せるわけにもいかず、固まっていた。あの場に居た人間は皆、あの声に凍り付いていたかに見えた。

 答える事の無い『あたし』に絶望して立ち尽くすその姿は、あまりに痛々しかった。

 昨日のあの言葉、あれを全部撥ね付けたに等しいのだ。

 実際は……違うのに。

 受け入れてもらえなかったと彼はきっと思うだろう。

 ふとどうしようもない重苦しい不安が胸をよぎる。


 ――もし、シリウスが諦めちゃったら……。


 可能性が無いわけは無い。

 だって、あれだけ精一杯の言葉を拒絶されたら。……あたしだったら、もう諦めてしまいそうだった。

 急激に帝と父を恨みたくなる。あと彼らの頼みを受け入れた自分を。

 罪を被れと言った帝、入れ替われと言った父。


 こんなのって理不尽だ。

 どうしてそこまでしなければいけないの。

 どうして彼を助けてはいけないの……。

 居ても立っても居られない気分で、八つ当たりとは分かっていても、あたしは父に文句を言いたくなっていた。



 あたしは、今朝、扉越しに外に居た兵に向かって打ち合わせ通りに自供した。

 そのあと、突然の事に慌てふためく兵によってグラフィアスが呼ばれ、シュルマはあたしの換わりに牢へと連行されていったのだ。

 グラフィアスは、あたしがシリウスから離れる覚悟をしたものだと思い込んだようだった。なぜだろう、……そう頑に思い込んでいた。

 もともと体型も似ているのだ。鬘に加え、頭に薄布を被っていたせいもあり、入れ替わりは疑われなかった。

 シュルマが身支度をしている間、部屋の前でシリウスがグラフィアスと言い争っているのが微かに聞こえた。

 何を言われたのか……傷ついたようなうめき声が微かに聞こえ、シリウスが絶句しているのが分かった。

 きっと、ある事無い事吹き込んだのだろう。あたしはグラフィアスの口を塞ぎたくなった。

 ――これ以上の誤解はして欲しくなかった。



 父は、しばらくして戻って来た。その手には昼食と一包みの着替えが抱えられている。

 昼食は当たり前のように二人分。

 あたしがいることは打ち合わせ通りだった。

 父は、部屋の隅から茶器を取り出すと、あたしの前にどんと置く。あたしは父の顔を睨みつつも、それでお茶を入れ、父の前に差し出した。

 まず事件について聞かれると思っていたが、あたしの顔があんまりに酷かったのだろう。父の口から出て来た言葉は別のものだった。

「文句がありそうな顔をしているな?」

「……当然でしょ。あれじゃ、シリウスがあんまりよ」

 自分の事は棚に上げてあたしは文句を言う。

「……どういう心境の変化なんだ? 昨日の朝のあの顔からは想像できないが」

 さすがに事情は詳しくは説明できず、不貞腐れる。

「さては、昨晩何か言われたか。……まったくお手軽なヤツだ」

 図星を突かれてあたしは言葉に詰まる。

「痴話喧嘩に周りを巻き込むな。迷惑だ」

 父は不愉快そうに眉をひそめると、そう呟きながら昼食の包みを開く。ふわりと香辛料の香りが漂った。父は揚げた鶏肉をそこから取り出し、口に放り込む。

「そんなのと一緒にしないで! ……昨日は、深刻だったの! でも……誤解だったんだもの」

 あたしが強い口調で言い返すと、父は心底呆れたようだった。

 確かに先日のあたしの様子を知ってる父からすると、この変わり様は呆れられても仕方が無いかもしれなかった。

「お前もなあ……ほんとにシリウスのこと分かってるのか? ……いちいちアイツのする事に傷つくようだったら、本当に止めておいた方がいいぞ? アイツは基本的に甘ったれなんだ。しかも自分でそう思ってなくて、悪気が無いところがたちが悪い。これからもお前を傷つける事は多いに決まってる」

「父さん!」

 あたしは口の前で人差し指を立て、父を睨む。

 主君に向かって言う言葉ではない。しかも声が大きすぎる! 薄い壁の向こうで誰が聞いてるか分からないというのに。

「お前を嫁にする男なら、俺の息子だろう?」

 文句があるか、と父は続ける。

 あたしは目を丸くする。

 ――あるに決まってるでしょう!

「立場ってモノがあるでしょう? シリウスは皇子で、あたしは臣下なんだから」

 思わずため息をつく。

 あたしがそれでどれだけ苦しんでると思ってるのかしら。

「……お前は、それを考え過ぎだ。シリウスもそれは望んでない。確かに人の目があるところでは考える必要もあるだろうが、二人の時までそれじゃあ、アイツも可哀想だ。なんでそれを分からない? だからこんな風にこじれるんだ」

「あたしのせいだって……言うの」

 思ってもみない非難の言葉にあたしは衝撃を受ける。

「ああ。こういうのはどっちが一方的に悪いってもんじゃないだろう。アイツも悪いし、お前も悪い。

 ―― 子供ガキの喧嘩はこれだから」

「子供」

「ああ、子供だ。お前もアイツも。……それじゃあ、もう困るんだがな」

 複雑そうに呟く父の顔を見ていて、はっとする。

「……だから、なの?」

 あたしとシリウスの間にまるでわざともうけられたような、その溝。

「そうだろうよ。……陛下もそう考えられたんだろう」

 父はそう言いながら、懐から手紙を取り出す。昨日あたしが受け取った手紙と同じ上質な白い封筒だった。

「父さんも頂いたの?」

「ああ。……さっきな。面会手続きに行った時に渡された。……散々詫びられたよ。

 ……あの方も変わられた。それだけ歳を取ったという事か」

 一瞬酷く切なそうな顔を父がしたような気がしたが、瞬きをした後見ると、それは夢のように消えていた。

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