第10’章 隠された瞳(1)
必死の抵抗もむなしく、いつの間にかあたしはシュルマの着ていた服と今まで着ていた服を交換させられていた。
久々に灰色の侍女服に包まれて、あたしは盛大にため息をつく。
「だめよ、こんなの。シュルマが危ないでしょ」
「……だって、あなた、右手使えないでしょう。……それに知らないみたいだから教えてあげるけど、宮に仕える侍女はそれなりに訓練をしてるのよ。そうじゃないと、何かあったとき、困るでしょう」
初耳だった。
「そうなの?」
「試してみてもいいわよ?」
シュルマはふとかがみ込んだかと思うと、いきなりあたしの首筋にナイフを突きつけた。ひやりとした空気が首元に忍び込む。
あまりの早業にあたしは何が起こったか分からなかった。
「!?」
「……ね?」
シュルマはあぜんとするあたしの目の前で、ゆっくりとその長いスカートを捲り上げ、ふくらはぎに付けたベルトのようなものにナイフを仕舞う。
「……」
あまりにびっくりして口がきけない。
……父さんは……知ってたのかしら。
さっき、シュルマが言った事。
それは、父からの伝言だった。
――侍女と入れ替わっておけ。
ただその一言。
どうしても納得いかないあたしに、シュルマは強硬手段をとったのだった。
あたしだって、怪我さえしなければ……。父とずっと続けて来た剣の稽古を思い出す。
悔いても仕方が無いけれど、どうしても悔しい。自分の身さえ守れないなんて。
あたしはじっと包帯を巻いたその白い右手を見つめた。
試しにぎゅっと握りしめてみる。痛みはほとんどない。……でも完全に指が曲がってしまわないのだ。ものを持つのが精一杯だった。
「明日の朝には自白をしてもらうの。手紙にも多分あったでしょう? 罪を被って欲しいって。
それで、牢に移されることになるわ。……牢って結構治安が悪いのよ。嫌な噂を結構聞くの。その手だと、万が一襲われた時に危ないでしょう?」
確かに、この手だと、抵抗できないかもしれなかった。左手での訓練を続けていたけれど、まだ追いついてはいないのだ。
「そんなことになったら、皇子があんまりじゃない。……私ならちゃんと撃退できるから大丈夫!」
シュルマはその白い歯を見せてにんまりと笑う。頼もしい笑顔だった。
「でも……」
あたしがそれでも渋ると、シュルマはため息をついて言った。
「大丈夫だって。……レグルス様、ちゃんと他にも護衛をつけて下さってるし」
「そうなの?」
「……牢番を数人買収したらしいの。……まあ、それは皇子が指示されたらしいけれど。……心配で堪らないのよ。……レグルス様の方が一枚上手みたいだけれど」
……シリウスが。
思わず顔を赤くすると、シュルマは冷やかすように笑う。
「ね? だから、安心して入れ替わっててちょうだい?」
あたしは、結局言いくるめられ、大人しくシュルマに成り代わる事となった。
シュルマは父が用意していた金色の鬘を身につけると、寝台に潜り込む。
せっかく入れ替わっているのがバレるといけないので、生活そのものを入れ替えるように提案したのだ。シュルマはさすがに恐縮していたが、あたしは頑として譲らなかった。
「明日からおしゃべりが出来ないのが……それだけが辛いわ」
彼女はそうぼやく。
あたしはくすりと笑う。……たしかに、おしゃべりなシュルマには、黙っているという事が一番辛いのかもしれない。
髪の色が分からないくらいに制服の帽子を深く被ると、長椅子に敷いた厚手の織物の上にあたしはそっと横になる。
手紙を胸にそっと抱きしめると、瞼の裏にシリウスの悲しそうな顔が浮かんで、胸が締め付けられた。
――愛してる、か。
一体どんな顔をして、どんな気持ちで、あの言葉を言ったんだろう。
「……シリウス」
あたしは天井に向かって密かに呟く。
彼の事だ、眠れないくらい悩んでるはず。
早く誤解だって伝えてあげたいのに。
……ごめんね。あたしだけ……こんな幸せな気分でいて。
そんな風に思いながら眠りに落ちる。
――その晩、あたしは久々に幸せな夢を見た。