第8’章 それぞれの想い(3)
シュルマに打ち明ける事で、少しだけ心が軽くなっていた。
それでも、シリウスから逃げたいっていう気持ちは変わらなかったけれど。だって、いくら良い方向に想像を働かせたとしても……それはあくまで想像でしかかない。どうしたって昨日の事は無かった事には出来なかった。あたしには、彼が変わってしまったようにしか思えなかったのだ。
それ以上考えていたくなくて、あたしは、冷めてしまった食事を少しずつ口に運ぶ。気持ちを他の事に逸らしたかった。
「シュルマも食べない? こんなに食べきれないわ」
あたしが勧めると、シュルマは首を振った。
「いいの。……なんだか彼らが可哀想だし。食べてあげて」
「彼ら?」
「ああー……なんでそんなに鈍いのかしら……。自覚が無いって恐ろしいわ。皇子も……鈍そうだし。ああ、でもスピカよりはきっとマシよね。すれ違うのもしょうがないのかも」
あたしは訳が分からない。
鈍い? 自覚が無いって……何の自覚?
シリウスは確かに鈍いと思うけど……。
不可解そうに見つめてると、シュルマは少し困ったような顔をする。
「あの副隊長、グラフィアス様も実は怪しいのよね。……私聞いたことがあるもの。ルティリクス様と競ってたって」
「ルティ……」
今は聞きたくない名前だった。
嫌でも昨日の事を思い出す。シリウスの頭の中の、あたしとルティの姿。一気に嫌悪感が沸き上がる。
シュルマはそんなあたしに気づかずに話を続けた。
「あなたの事、どっちが早く落とせるかって」
「え?」
「あの副隊長、剣術大会でも結構いい成績残してたのよ。準決勝だったかしら、ルティリクス様と当たって、そこで負けちゃったんだけど……凄い熱戦だったみたい。まるで決勝みたいだったって。勝てば、あのときのように帝にお願いできるからって」
「……」
信じられなかった。あの時そんな事があってたなんて。
「実際は皇子が全部いい所持っていってしまわれたけれどねぇ」
思い出していた。
あの時……シリウスはおびえるあたしに……あたしが納得できるまで待つと言ってくれた。でも昨日の彼は、あたしの一言を聞く時間さえ待ってくれなかった。……あのときの彼とは別人だった。
あの時感じた優しい気持ちは一体どこに行ってしまったんだろう。
その思い出は優しければ優しいほど、あたしの心を深く抉る。
あたしの心は血の涙を流しているかのようだった。
「あの人には気をつけた方がいいかもね。まだ諦めてないかもしれないし、これから尋問もあると思うから……」
あたしはどこかそれを人ごとのように聞いていた。
さっきのグラフィアスの様子からは……同情と哀れみ、あと押し隠したような苛立ちしか感じられなかったのだ。
同情っていうのも、よく考えると変な話だった。あたしは犯罪者として捕えられているというのに。
―― 一体、なぜ。
*
いつしか辺りは暗くなっていた。
東側にあるこの部屋には、西日は入らず、日が傾くと建物の影で一気に薄暗くなる。
シュルマが部屋の隅の燭台に灯を灯した。
オレンジ色の光があたしとシュルマの影を部屋の中に落とす。
シュルマはあたしに付き合って部屋に軟禁されていた。一度、出ても良いと言われたのに、あたしを心配して残ってくれていた。……さすがに心細かったので、嬉しかった。
彼女は大きくため息をつくと、それでも陽気な笑顔をその顔に浮かべて言う。
「閉じ込められるのも……結構堪えるわね。昨日までの忙しさが嘘みたいでしょ」
「……ええ」
本当に嘘みたいだった。
昨日は一日中集中していたとしても終わらないくらいの量の課題に追われていたのだ。
あっけなかった。
妃にならなければ必要の無いあの膨大な知識。ここ2、3日の努力は泡と消えることになる。なんだか一気に無気力になってしまいそうだった。
あたしは机の上の大量の資料を見てため息をついた。
……いっそ燃やしてしまおうかしら。
扉が叩かれ、シュルマが立ち上がる。
「夕食です」
低い声が響き、シュルマが二人分のトレイを受け取る。
ふと兵を見ると、それはグラフィアスだった。
「食べながらで良いので、少しお話があるのですが」
……尋問だわ。
あたしはため息をつく。
話せる事なんか無かった。
だって、やってないんだもの。変に答えれば嘘がバレるに決まっていた。
でも断るなんて選択肢も残されていないのだろう。
「分かりました」
あたしは答えるとシュルマを見る。なんだか不安だった。
「外さなければいけないですか?」
シュルマはあたしの様子を気にしたのか、グラフィアスに尋ねてくれた。
「お願いします。すぐに終わりますから……まあ、聞きたい事を話して下されば、ですけれど」
あたしをその蟻のような目で少しだけ睨むと、グラフィアスは淡々とそう言った。