第8’章 それぞれの想い(1)
あたしはそのまま、近衛隊の詰め所へと連行された。
茶色い髪をしたその背の高い男はグラフィアスと名乗った。
どうやら、この事件の担当者のようだった。
「本来なら……隊長がこの役目を勤めるのですが。……今回は無理なので、私が」
……それはそうよね。
父親が娘の関係した、しかも容疑者となってしまった事件を担当するなんて、あり得ない。
……結局心配をかけることになってしまったわ……。
これが原因で父は職を失ってしまうかもしれない。
あたしは、さっき見た父の顔を思い浮かべて、申し訳ない気持ちで一杯になる。
でも……どちらにせよ、あたしは父にそれを望むはずだった。
父さんが罪を被るよりマシかも……そんな思いが頭によぎったのは事実だった。
これなら……あたしが罪を被るだけですむ。
父も今の職を離れることがあったとしても……あたしを逃がして犯罪者にならないだけ、安全に生きていけるはずだった。 そこまでミネラウバが考えていたのかはわからないけれど……。
「何か言うべき事はありますか?」
グラフィアスは紳士的な態度を崩さなかった。
あたしはもっとひどい扱いを受けると思っていたので、少々驚く。
先ほどの睨むような視線はどこに行ったのやら、なぜか同情さえ感じるような目をしていた。
「…………」
あたしは黙っていた。言うべき事は見つからなかったのだ。
「認めるのですか? エリダヌス様を殺した事を」
グラフィアスは黙ったままのあたしを見て呆れたようにため息をついた。
「分かっていらっしゃると思いますけれど……あの状況では、あなたがやったとしか思えないのですよ?
何も言わなければどんどんあなたの立場は悪くなります。それでもいいのですか?」
あたしは現場の状況をよく理解していなかったけれど、おそらく、……うまく犯人に仕立てられたのだろう。
――殺したのはミネラウバだ。
それは明らかだった。
ただ、……今はそれを言う気にもなれなかった。
グラフィアスは真っ白な調書を前に淡々と質問を重ねた。
「昨晩……何があったのです? どうして彼女を?」
それでも黙っていると、グラフィアスは再度ため息をついて、あたしの左手首を見つめる。
「その痣……どうされたのです?」
かたくなな態度に矛先を変えて来たようだった。
あたしはギクリとして思わず手をテーブルの下に引っ込めた。
グラフィアスは明らかに哀れみを込めた目であたしをちらりと見る。
「……髪も随分乱れていますね。……あまり言いたくないですが、服も」
思わず自分を自分で抱きしめる。頬が熱くなるのが分かった。
「争った時にそうなったのですか? ……それにしては……」
「あたし……着替えたいの。……それから……出来れば湯を使わせてもらえれば」
それ以上詮索されたくなくて、思わず口を開く。
「……やっと口をきいてくれましたね。……分かりました。侍女に手伝わせます」
「……できれば……シュルマを」
贅沢を言える立場じゃないのは分かっていたけれど、一応頼んでみる。
「それは出来ません。規則ですので」
彼は淡々とそう言うと、多少がっかりするあたしを西側の外宮へと案内した。
館に一つ備え付けられている湯殿の前で待たされる。
「今はここを使用する方がいらっしゃいませんので」
彼は独り言のようにそう言うと、外宮入り口をじっと見つめて、侍女を待つ。
二人の侍女が入ってくるのと入れ替わりで、グラフィアスが出て行った。
一人は湯殿の前で見張りをするようだった。
もう一人の侍女があたしを湯殿へと案内してくれる。さすがに妃としての扱いとは違い、侍女が体を洗ってくれる事は無い。その方が今は良かったので、あたしは一人黙々と体を洗う。
いくら洗っても、髪からも、体からも血の匂いがなかなか抜けなかった。
――そして、それ以上にシリウスの触れた感触も洗い流せなかった。
侍女はその間にあたしの服の皺を直してくれていた。
やはり少し血の匂いの残るそれを、不快な思いをしながらも着せてもらい、続けて髪も結ってもらう。
侍女は髪の短さに驚いた様子だったが……何も言わずにいてくれた。それよりも気になったことがあったようだった。
「あの……」
その問うような視線。
何を聞きたいのか、何となく察して、あたしは侍女から目を逸らす。
……見たのかしら。
自分でも気がついていた。その痕はまだ、さっき付いたかのように新しかった。それはそうだろう、まだ半日しか経っていないんだから。本来なら冷やかされるような類いのものなはずなのに、今はなんだか哀れみしか誘わない。
あたしが何も言わないつもりだという事に気づいたのか、侍女はそれ以上何も問わなかった。